幼馴染という立場は非常に便利であってそれでいて非常に厄介である。
氷室辰也と私は幼馴染であった。
私は彼のことを心の底から好いていたし愛していた。
だからこそ恋愛などという下らない柵で彼を縛りたくはなかった。
辰也が私のことを好きなことは知っていた。
私に告白して振られた男の全てがボコボコにされて見つかっていた。
それはきっと不器用な彼なりの愛情表現なのだ。
私のことを見る辰也の瞳は凄く熱っぽくて蕩けてしまいそうだった。

私は辰也のことを愛してはいたけど、他の男と付き合った。
その度に彼の瞳がどす黒く濁る様が好きだった。
永遠に閉じ込めてしまいたいと思う程に。
別々の大学に進学して辰也とは違う道を選んだけれど、辰也は私から離れようとはしなかった。
わざわざ私の大学を仮面浪人してまで受験して受かったのだ。
これには私も驚いた。
一年間私は先輩に可愛がられたりそれこそ辰也の知らない人と付き合ったりした。
それすらも辰也は受け入れて私の隣に存在しようとしていた。
冬から春にかけて辰也と連絡を取り合っていなかったから、校内で辰也を見た時は腰を抜かしそうになった。

「ゆうこ」

そう言って笑顔で私に手を振る辰也は最早正気ではなかった。
辰也は当然の如く私の所属するサークルに入り、親睦を深めた。

「ゆうこって氷室くんの幼馴染なんだね」
「うん、そうだよ」
「いいなぁ…あんなカッコいい幼馴染がいるなんて羨ましいよ」
「そうかなあ」

羨ましいだなんて。
私達の関係はもう拗れに拗れて解けない程に汚いものだった。
彼氏は辰也とも仲良くしているみたいだった。
けれど彼氏を見る辰也の瞳は背筋が凍る程に冷え切っていて、それがとても美しいもんだから私はまた辰也を閉じ込めてしまいたいと思うのだった。


辰也と私は告白とかそんな生ぬるいことはしなかった。
ただそばにいて相手の生きる時間を侵食し合うだけだ。
私はお酒に弱かったから、辰也の前で飲むことは控えていた。
私のこんなにも醜くて汚くて醜悪な部分を辰也には見られたくなかった。
酔ってしまえば理性が崩れる。
醜さを隠した冷静な私が辰也の前では剥がれ落ちてしまうような気がしていた。
それでもサークル全員で酒を飲むという通過儀礼を避けることは出来ない。
何とか泥酔しないように、理性が無くならない様に酒を飲んだ。
一本締めをして解散となったが、足元がふらつく。
頭がぼーっとしてうまく働かない。
私の彼氏は何をしているんだろう。
私を家まで連れて行って欲しい。
こんな時に辰也と一緒にいたくなかった。

「ゆうこ」
「辰、也」
「彼氏さんは潰れてるから俺がゆうこを家まで送っていくよ」
「…大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ。ほら、足元注意して」

辰也はするりと私の腰に手を回した。
その仕草に心臓が跳ねる。
辰也にこんなにも接近したのは初めてだった。
辰也のことだから彼を潰したのも辰也の仕組んだことなのだろう。
でもそれを他人に勘づかせない所が辰也の恐ろしい所なのだ。
サークルの仲間たちが気付かないようにそっと私達はその場を離れた。



「辰也、もう帰っていいよ」
「人様の彼女を傷つけるようなことがあったらダメだろ。家に入るまで見届けるさ」

結局辰也は私の家まで着いてきた。
一人暮らしの家はしん、と静まり返っている。
鍵を取り出して扉を開けた。
玄関先の電気だけつけて、窮屈なパンプスを脱いだ。
送ってくれてありがとうと言おうと辰也の方を向いた。
彼は玄関に立っていて、扉をゆっくり閉めて鍵をかけた。
そのカギの音が妙に耳に響いた。

「ゆうこ」

肩を掴まれて名前を呼ばれてハッとした。
いつもの私なら辰也を部屋に入れるようなヘマはしない。
ダメだ、今日の私は。
いつでも逃げ出せる程辰也の力は弱かったけど、私は何故か逃げられなかった。

「俺はゆうこが好きだとか、そんなことは言わないよ」

辰也の顔がだんだんと近付いて、私の喉に口づけた。
それはただのキスなんかよりも美しかった。
そして首にもキスを落とした。

「好きという言葉は俺にとっては軽すぎるからね」

そして辰也は跪いて、私の脛にキスをした。
そのまま足の甲にも口付けた。

「ゆうこが最後に選ぶ相手が俺であればそれでいい」

足の甲に口を寄せて辰也はそう言った。
その姿がとても妖艶だったから、私はまた辰也を閉じ込めたくなった。

「私が辰也のことを好きと言う日は永遠に来ないよ」
「知っているさ」
「私が辰也を選ぶという自信はあるの?」
「ああ、ゆうこは絶対に俺を選ぶよ。これは予言さ」

彼は私の気持ちすら知っているのかもしれない。
この表現し難い複雑な感情すら、辰也にはお見通しだったのかもしれない。
でももしも私が彼を選んだとしてもそれは恋なんかじゃない。
ただの傲慢に過ぎない。
辰也は綺麗な笑みを浮かべて私を見ていた。

「ごめんね辰也。彼氏以外には敷居を跨がせられないの」
「そうだね。じゃあ俺は帰ろうかな」
「じゃあね、辰也」
「ああゆうこ。またね」

辰也はそう言って姿を消した。
彼はあれを予言と称した。
けれどそれは実現しないかもしれない。
彼の瞳が濁りきった頃、きっと辰也は私を殺す。
私は彼の中で恋愛何かよりも深い何かを残すのだ。
それこそが私の本当の願いなのかもしれない。
これじゃあただの自殺志願者だと自分を嘲笑った。
冷めた部屋の中で、辰也の唇が触れた部分だけが温かかった。

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