ここでバイトを初めてからもう2年が経った。
もうバイトリーダーと言っても過言ではない程私は人魚達に扱き使……いや、仕事をマスターしていた。
もう3年生にもなるというのにまだ元の世界への帰り方は分かっていない。
向こうでもろくな生活を送っては居なかったからそこまでホームシックとかはないけれども。
ただ自分の仕事とか家とか色々どうなったんだろうか、変な責任感が残っているので確かめておきたいというだけだ。
寧ろ私はこれからこの世界でどう生きていくのかを本格的に考えなくてはいけない時期に突入していた。

「ゆうこさん、あなたここを卒業したらどうするつもりなんですか?」
「奇遇ですね、私も今同じことを考えていました」

ジェイド先輩は私の隣に立ち、いつもの様に人当たりのいい笑みを浮かべていた。
ジェイド先輩は第一印象こそ最悪だったが、その後印象が良くなるなんてことも無かった。
今日はフロイド先輩とは別行動なのか、と思いながら皿洗いを済ませていく。

4年生ということで殆ど学校にいない彼等は、たまに店に顔を出してはスタッフに緊張感を与える仕事をしに来ていた。
私もたまに遭遇する事があるので気配を消していたが、やはり彼等の縄張りでは見付かってしまう。

前世界のように人を殺めることを生業にするには、魔法というファンタジーが大きなネックになる。
命のやり取りをする上で魔法が使えなければ、どんなに殺しが上手かろうと意味は無い。
なのでやはり殺しは却下だ。
となると私でも出来ることと言えば、事務作業か飲食店でのバイトになるだろうか。
モストロラウンジでのおかげで一通りのことは出来るようになったのでそれを活かすしかない。
しかし安定した生活を送りたいから正社員になりたいというのが本音だ。
学園長に言えば、どこか就職先を斡旋してくれそうな気もする。
学園長に人望がなければ無理なので、その選択肢は現実的じゃあない。

皿洗いを終えて、フロアの片付けに取り掛かる。
私の後ろを着いてくるジェイド先輩に、他のスタッフの視線が集まっているのを感じる。

「僕が養ってあげてもいいですよ」
「…はい?」
「どこにも行き場のないあなたに、僕が居場所と安定した生活を提供して差し上げると言っているんです」
「対価は何ですか?」
「これは契約ではありません。僕からの提案です」

怪しい。
こんなのネットビジネスより怪しい。
あの歩く指定暴力団ジェイド・リーチが対価もなく人に施しを与えるなんて、ラギー先輩が 食べ物を残すぐらい有り得ないことなのだ。
こういった根拠の無い話には必ず裏がある。
相手を刺激しないよう、丁重にお断りするのが吉だ。

「自分の道ぐらいは自分で決めます。ご提案はありがたいのですが遠慮しておきます」
「…あなたは少々自分を過信し過ぎているのではありませんか?」
「どういう意味ですか」
「あなたは自分がどれほど弱く、壊されやすい存在かという自覚があまりにもない」
「…私はそこまで儚い人間ではありません」

立ち止まりジェイド先輩を見ると笑顔はそこになくて、ただじっと私を見ていた。
そんなに見られたら穴が開きます、と言おうとしたがそれは出来なかった。
ジェイド先輩は私の腹を徐に殴ったのだ。

意味がわからない。
提案を断られたから?
いやいや流石にそんなに沸点低くないでしょ。

少し距離をとって臨戦態勢に入る。
この人魚何をしてくるか本当に分からない。
周りのスタッフがザワザワと騒ぎ立てる。
フロイド先輩とアズール先輩を呼びに行ったんだろう。

「やる気ですか」
「ええ。貴方が僕に従わないのなら」
「じゃあ、仕方ないですね」

私とジェイド先輩は殴り合い蹴り合い、それはもうカオスだった。
何故自分がジェイド先輩を殴っているのか、そして殴られているのか分からなくなり宇宙猫みたいな顔をしていたと思う。
私の腕は骨が折れてしまっていたけど、ジェイド先輩もそれは同じだった。

「何してんの?」

ジェイド先輩の後ろから現れたフロイド先輩がジェイド先輩を羽交い締めにすることで、この乱闘はこれにて終了となった。

「……」
「…そちらが殴ってきたので私は応戦しただけです」
「ゆうこさんが僕の言うことを聞かないから当然です」
「私がジェイド先輩に従う必要はありません」
「……」
「あ〜もう…ジェイド、頭冷やしてきて」

フロイド先輩が呆れたように言うと、ジェイド先輩は1人でフロアから出ていった。
私のせいなのだが、その姿はボロボロだった。
私はアズール先輩とフロイド先輩によってスタッフルームに連行された。

「…小エビちゃん腕折れてるじゃん」
「そうですね。ジェイド先輩の腕も折ってしまいました」
「ジェイドはいいんですよ、魔法が使えますから。でも貴方は使えないんですよ、わかってますか?」
「はい、重々分かっています」

そんなことはこの3年で嫌という程理解出来ている。
アズール先輩が私に回復魔法を掛け始めてくれた。

アズール先輩から何故こんなことになったのか問い詰められたため事のあらましを説明した。
自分で説明しながら、意味がわからないなと改めて感じた。

「…小エビちゃんって鈍感なの?」
「アレルギーとかあるので敏感な方です」
「あのジェイドが対価とかなしに小エビちゃんの居場所になりたいって言ってんだよ?」
「はあ」

私の居場所になることに何の価値があるというのだ。
ジェイド先輩にとって何の得にもならない。
対価もなしに施し、しかも他人の生活を支えるなんてあり得なさすぎる。
何か裏があるに違いないと思うのが普通だ。

「ジェイドはさぁ、ただ小エビちゃんにそばに居て欲しいってことなんじゃないの」

フロイド先輩が呆れ顔でそう言った。
私は口を半開きにして固まった。

「………え、そういう解釈なんですか」
「そういう解釈以外ありませんよ。貴方は本当にバカだ」
「そこまで言わなくても」

いやはやまさかそういう意味だったとは。
私みたいな恋愛鈍感人間に対して回りくどいやり方はやめてくれ。
アズール先輩とフロイド先輩に罵られている間に怪我は治っていた。

「ありがとうございます」
「対価としてこれから面白いものを見せてくださいね、ゆうこさん」
「お約束はできませんが」
「ふふ、十分です」

アズール先輩はニコニコと笑った。
明らかにおもちゃにされている。
人の恋愛で遊ぶんじゃない。

「小エビちゃん、行くでしょ?」
「はい、お願いします」

フロイド先輩の後ろを歩く。
カツカツと廊下に靴音が響く。
いつから、とかどこが、とか何で、とか聞きたいことはたくさんある。

「着いたよ」
「はい」
「あとは好きにやりな、小エビちゃん」
「ではお言葉に甘えて」

フロイド先輩が一歩引いたので私は前に出た。
目の前の扉を二回ノックすると、小さく返事があった。
さて、なんて声をかけようか。
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