毎年来るのは分かってはいるが、頼むから繁忙期よ一生来ないでくれ。
職場から2駅の自宅に帰るのは23時を過ぎ、翌日はまた朝から仕事というクソみたいな日々。
今日も変わらず23時に自宅に着いて、ソファーに倒れこんだ。
忙しすぎて死ぬかと思った。

彼氏とは同棲して2年が経った。
実直で真面目で頼りがいのある月島基との生活は穏やかで、随分体に馴染んでいる。
もう同棲前の一人暮らしには戻れない。
彼は料理にもハマったらしく、週末には作り置きの作成に勤しんでいる。
冷蔵庫から最後の作り置きを取り出してレンジでチンする。
今日は同郷の古い友人が出張でこちらに来るから飲みに行くと、彼は今外出中である。
愚痴を聞いてほしい気持ちもあるが、たぶんご飯を食べて風呂に入ったら忘れそうだ…
私はなんて単純な女なんだ…

風呂に入ってアイスを食べて、布団に潜り込んだ。
明日は休みだから多少夜更かししてもいい。
間接照明をつけてお洒落感を出してみる。
ぼんやりSNSを眺めていると時計が1時を過ぎた。
そのあと少しして玄関が開く音がした。
寝ているだろう私を気遣って物音を立てないようにしてくれているらしい。
布団を出てリビングに向かうと月島がネクタイを緩めてソファーに座ったまま寝そうになっていた。
珍しく顔が紅潮しているから、結構酔っているらしい。

「起こしたか?すまない」
「いや起きてたから大丈夫、楽しかったー?」

月島の隣に座って膝枕をしてやる。
坊主頭を掌でジョリジョリするのは付き合い始めてからずっとやってるけど、中々飽きない。

「あいつの嫁さん妊娠してるらしくてな、それを祝ってたんだ。それから同郷のやつの近況を聞いたりしてた」
「そうなんだ、いいね〜」

月島は酔っているからかいつもより良く喋る。
友人たちを話したことや面白かったことが次々口から出てくる。
お口が滑らか状態だ。

「それからあの子に子供が産まれたらしくて写真を見せてもらったんだ。あの子も随分大人になって綺麗になってたな。それに赤ん坊は子供も髪がいご草みたいで、…もし俺も結婚してたらあんな子供ができるのかとか思ってな。」
「……へぇ」

月島の頭に触れていた手が自然と止まる。
あの子の事、金輪際私の前で話さないでって言ったことはもう忘れたんだろうかこいつは。
初恋の人が忘れられなくてもいい、でもその子の話を聞いても平常でいられるような心の広さを私は持ち合わせていない。
それに俺も結婚したら、と来た。
そんなにその子と結婚したけりゃ今から力づくで奪いに行けばいいんじゃないの、知らんけど。
繁忙期の中久しぶりに月島ちゃんと話せることに上がっていた気持ちが急速に落ちて氷点下まで下がっていく。
頭の中で恨み言が沢山出てきて絡み合っていた。
私が相槌を打たなくなったことに気付いた月島が私を見てどうした、と声を掛けた。

「…一人にして。今日はここで寝て」

ソファーから立ち上がって出ていく私を月島が唖然とした顔で見ていた。

「おい、ちょっと待…」

扉をバタンと強めに閉めると月島の声は聞こえなくなった。
ふざけんな。
いつまでも初恋を引き摺って。
私はそんなに不幸な過去もないから分かんないんだよ。
初めて経緯を聞いた時は悲しい話すぎて普通に泣いちゃったけど。
付き合ってるのは私なのにいつまでもその子のことを嬉しそうに話しやがって。
そんなにも忘れられないなら、もう別れてくれよ。









全然眠れなかったけど早く起きた。
1泊分の着替えとSwichを鞄に詰めて、静かに家を出た。
ベッドの上に週末出かけます、とメモを残しておいた。
多分月島はソファーで眠気と戦っていると思う。
私が不機嫌になるとちゃんと解決しようとしてくれる人だから、酒に負けないよう頑張っているはずだ。

とにかく独りになりたかった。
家にいて月島の気配を感じるのが辛かった。
電車を乗り継いで市場に来た頃には昼になっていた。
休日だからかそこそこ賑わっている。

評価の高い店に入り、海鮮丼を食べた。
滅茶苦茶うまい!!
月島好きだぞこの店。
……無意識に月島のことを考えてしまう自分に腹が立った。

市場を出て、近くのカフェで茶をしばく。
昨日のうちに予約したホテルは新設で温泉もある!
茶をしばきながら携帯をチェックすると月島から有り得ない量のメッセージが来ていた。
開いて既読を付けるのすら憚られる。
着信履歴も月島で埋まっていた。
こわ……
何なら後輩の杉元と尾形からも何してんだ、という旨のメッセージが来てた。
私は元気です、と適当に返事をしておく。
自慢として海鮮丼の写真も添付してやった。
月島にはなんて返事をしようか…
いや、やめておこう…
返信したくない、というよりメッセージを見ることが怖いので…

チェックインを済ませ、部屋に入ると窓から海が見えた。
佐渡の海もこんな感じなのだろうか。
外はまだ明るくて、仲睦まじげなカップルの姿が見えてしまって気が萎えた。

テレビにSwitchを繋ぐ。
攻撃的な気持ちだったのでオンラインで大乱闘を始めた。
大乱闘が楽しすぎて、気が付いたら日が沈んでいた。
テレビの案内で大浴場の混雑状況を確認する。
中々に空いているらしいので、急いで準備をして最上階にある大浴場に向かった。

温泉って何でこんなに気持ちいんだろう。
全ての疲労と毒が消えていく感じがする。
一人用の桶型風呂に入って外を見渡す。

どこにいたって何をしたって月島ならって考えてしまうのが思ったよりも辛い。
月島と同じ時間を過ごしすぎて、半身のようになってしまっている。

あの子の事を忘れられない月島が許せないわけじゃない。
ただ私は悲しかった、それでいて嫉妬している。
月島の初恋の相手にはどう頑張っても私じゃなれないのだ。
お前が一番だって言ってほしい。
いや言い続けて欲しい。
そうじゃないと、私は安心出来ないよ。

でもあの子と結婚したらっていうのはマジで許せないから10発ぐらいぶん殴らせろ。


温泉を出てアイスを食べて、それからビールを買った。
エレベーターを待っていると、夜泣きそば提供のお知らせが目についた。
そのままレストランに行って夜泣きそばを受け取る。
自室でビールを飲みながら食べる夜泣きそばは格別だった。
また来たいなー
次は月島と来られたりするんだろうか。






だいぶぐっすり眠れたので疲れが取れた。
朝食バイキングで本気を出し、胃袋が限界を迎えた。
市場の近くだからか海鮮がバイキングで最高すぎた。
マイ海鮮丼を作って朝から食べるの貴族すぎる。
チェックアウトギリギリまで居座り、ホテルを出たときには11時を過ぎていた。

「ゆうこ!」

ホテルを出て、道の端を歩きながらどうしようかと考えているとでかい声で呼び止められた。
聞き間違えるはずもない、月島の声だ。

「悪かった」

月島は私の前に現れて、頭を下げた。
私は坊主頭を見下ろしていた。

「何が」
「軽率にあの子のことをゆうこの前で話して悲しませた。酒を飲んでいたのは言い訳にしかならないが、これからは気を付ける」
「それで終わり?」
「え…、他に何かあるのか…」
「……結婚したいって、俺も結婚したいって言ったよね。そうすればいいじゃん。今からでもあの子に告白しに行っちゃえば。別れてあげるから略奪でもしてきなよ。月島なら出来るんじゃない、お互い初恋なんでしょめでたいことだわ。荷物纏めて出ていくから2度と面見せんな」

頭を上げた月島が傷ついたとでも言いたげな顔をしていたけど、だから何という感じだ。
こっちのが傷付いているんですわ。
宿泊して落ち着いていた気持ちがどんどん怒りに染まっていく。
拳に力を入れすぎて痛い。

「ゆうこ、それは誤解だ」
「はあ?何が」
「俺が結婚したいのはゆうこだけだ。結婚したら、っていうのはゆうこと結婚したら子供が産まれたりするのかってことだ。俺はゆうこと歩む将来しか考えてない」
「…はぁ、……」

急にプロポーズか?
情緒が滅茶苦茶になる。

「あの子は確かに俺の初恋だったし、正直完全に忘れることはできないと思う。でも俺が結婚して妻になってほしいのはゆうこなんだよ。不器用でだらしなくてすぐ調子乗るけど、俺はそういうゆうこを人生の伴侶にしたい」
「えー待って、今なんかディスられた。それで月島は今私にプロポーズしてんの?」
「ああ、まあ一応そうだが」
「こんな喧嘩した後嫌なんだけど」
「ダメなのか」
「えー……じゃあずっと私が一番だってこれからも言い続けて。事あるごとに私が満足するまでずっと言って。そうじゃないと結婚なんてしてあげないよ」
「当然だ」




それから月島は海鮮が食べたいと言い始めたので、昨日私が行った店に連れて行った。
私は腹がちぎれそうなのでカフェで茶をしばいた。
話を聞けば本当は一昨日帰ってからプロポーズをしようとしていたらしい。
友人と相談して、あの子の話から繋げる予定だったらしいが悪手すぎる。
よく考えろ。

「美味しかった」
「月島も好きそうだなって思ったんだよね」
「俺は、お前のそういうとこがいいと思う」
「ちょっと、お前って言うなって」
「悪い悪い」

なぜ私が市場近くにいるのが分かったのかというと、送られた海鮮丼の写真から尾形が店を特定して月島に伝えたららしい。
そこからホテルを割り出して、私が好きそうなホテルに目星をつけて待ち伏せしたと。
ネトスト上級者かよ。
怖いわ。

「ねー服買いたい」
「俺の金で」
「そう」
「わかったよ。今日はとことん付き合う」
「やったぜ」

2人で電車に乗って外を見ると海が見える。
佐渡の海はどんなものか、確かめに行ってもいいかもしれない。
ALICE+