私と彼は会社の同期で、研修で隣の席になったのがきっかけで交流を持つことになった。
顔に大きな傷があるのでヤバイ人なのかと思ってたが、実際は普通に滅茶苦茶優しかった。
何の縁か、杉元とは同じ部署に配属になった。
私は可もなく不可もなく仕事の出来は普通だったので、仕事の出来る杉元が羨ましかった。
先輩に可愛がられるのも杉元の方だ。
私も先輩の立場だったら杉元を可愛がりたいと思う。
人間に深く突っ込むと碌なことがないので、新人歓迎会では仮病を使い、忘年会もアポを入れて参加を回避してきた。
新年会は実家から架空の呼び出しを喰らったことにした。
そりゃあこんな可愛くない新人、可愛がりたいと思わない。

「手が止まってるぞ」
「あーすみません」
「杉元が気になるか」
「先輩方としたらあんな素直な後輩が入って来てくれて嬉しいよな、と思いまして」
「俺は嫌いだ」
「僻みですか」
「そんなに残業したいなら俺が手伝ってやる」
「勘弁して下さい」

3つ上の尾形さんが缶コーヒーを置いて去っていった。
愛想ないし言い方きついし厭味ったらしいが、こいうことをしてくるので嫌いになれない。
尾形さんは新人である私達の指導者だ。
杉元は、杉元を可愛がる他の先輩から指導される場面が多いので、実際尾形さんは私の指導が主だ。
尾形さんは何故か杉元を嫌っているので丁度よかったのか?
キリのいいとこまでやってコーヒー休憩でも挟むか。



ぐーっと伸びをして、缶コーヒーに手を伸ばす。
杉元が隣の席に戻って来ていて、私のコーヒーを見ていた。

「さっきコーヒー牛乳買ったんだけど、ブラックの気分に変わっちゃったから交換してくれない?」
「あーそういう時あるよね。全然いいよ」

ありがとうと笑う顔が眩しい。
これは恋愛的な好き、というよりアイドルに対するそれと同じ感じだ。
ペットボトルのコーヒー牛乳を受け取る。
甘い。
杉元は甘いものが好きなのにブラックなんて飲むんだ。
甘いもの好き情報はソースが尾形さんなのだが…

「来週やる年度末の打ち上げ、来るよね?」
「杉元主催なんだっけ」
「そうだよ」
「…正直行きたくない」
「お願い。絶対来て」

コーヒー牛乳を握っていた手を、その上から握られる。
手がでかいな。
杉元が私を真っ直ぐ見るので視線を逸らせない。
得物を狙うかのように殺気すら籠った目だった。
私は遂に白旗を上げて参加の意を伝えたのだ。












来てほしくない日ほど早く来てしまうのだ。
杉元がオシャレな私を見たいとごねたので今日はスカートを履いた。
一個オシャレにすると他もオシャレにしたくなったので、なんかすごく気合が入ってるみたいになってしまって最悪だ。
いつもほぼすっぴんでパンツとよくわからんシャツというクソみたいな恰好なのに。
今日はレース襟のついた白のシャツにピンクのタイトスカートを履いた。
コートは紺のトレンチコートで、黒いパンプスを合わせた。
職場に着いた瞬間に部署内全員の視線を感じた。
とは言っても他の女性社員に紛れるほどのオシャレ度なのだが…
髪もコテで緩く巻いて、申し訳程度のアクセサリーも付け来た。
友達を遊ぶ時はちゃんとこれくらいのオシャレはするのだが、この恰好で職場に来るのは違和感がすごい。
もう二度としたくない。
というか時間が掛かって朝早く起きるのが無理すぎる。

杉元は朝から取引先での打ち合わせらしく不在で、見られなくてよかったとすら思う。
杉元は何故か私に絡むので、あしらうのに体力を使うのだ。
唯一の同期なので話しかけたくなるんだろう。

「やけに気合が入ってるな。気でも狂ったか」
「オシャレしてこいって杉元が煩かったので…休日に遊びに行った写真見せたからですかね」
「ははぁ、なるほどな」
「尾形さんも今日行きますよね。私尾形さんの隣座ってていいですか?」
「俺がお前を持ち帰ってもいいということか?」
「尾形さんあんまり喋らないし、人が寄ってこないから楽だってだけです」
「お前の俺に対する評価がよく分かった」

尾形さんがドサッと書類を置いてにこやかに去っていった。
ブルーライトカットの眼鏡を掛けて、業務を始めた。













飲み会は円滑に始まった。
杉元はまだ不在だったので、先輩が乾杯の音頭をとった。
いつもその恰好で来て、だの今日はどうしたの、だとかいろいろと聞かれて面倒だ。
杉元のリクエストだと伝えると微笑まれた。
嫌な感じだ。

私は物心ついた時から、異性と深い関係を築くと体に悪寒が走るようになっていた。
友達に心配されて占いに行ってみたところ、前世で男に殺されたからだと言われてしまった。
怖すぎる。

「面白いな」
「全然面白くないです。私恋愛に憧れありますし、このままじゃ困ります」
「それなら悪いことをしたな」
「尾形さんにとっちゃ他人事ですからね。尾形さんは前世とか信じますか?」
「俺には前世の記憶があるからな、信じる」
「…酔ってます?」

そんな話をしていると杉元がやってきた。
先輩たちにもみくちゃにされていた。
私に気付いて手を振ってくれたので、手を挙げて返しておく。
そろそろ1時間が経つ。
会社の金なのでアルコールが進む。

「前世の記憶のこと教えてください。面白そうなんで」
「この徳利を空にしたら聞かせてやる」

日本酒で満たされた徳利を差し出された。
さっき来たばかりなので、かなり量がある。
私はその徳利を受け取り、そのまま口付けた。
そのまま一気に飲み干して、空になった徳利を机に置いた。

「お話始めてください」
「はは…お前本当に面白いな」

近くにあった水を飲み干した。
頭が浮遊感に包まれていた。

尾形さんの記憶は明治時代のものらしい。
尾形さんは狙撃手で、軍隊にいたと。
日露戦争にも行って、それからアイヌの金塊についての話を聞いた。
何と杉元もそこにいたらしい。
その時から2人は仲が悪かったらしい。
前世からの因縁だったのか。

「面白かったです。マジフィクションみたいですね」
「調べてみたが俺たちのことは出てこなかったから、たぶん世界線が違うんだろうがな」
「へぇ……あ、すみません!水4つ貰えますか!」

日本酒が体に回る。
水を浴びないと、このままだと吐く。
さっき飲み干した徳利を握って、何とか姿勢を保つ。
尾形さんがハイボールを飲んでいた。

「昔から度胸だけはあったよな。あの時杉元の前に出てきたのも驚いた。まあそのせいもあって俺はあいつを殺し損ねたんだが。まあ最期は____」
「はぁ、…度胸はありますよ。絡んできたスカウトに説教したことだってありますから」

水が来た。
尾形さんがジョッキを握らせてくれたので口を付けると、それは尾形さんが飲んでいたハイボールだった。
ジョッキの底を支えて傾けられているので飲まざるを得ない。
飲み干したところで、口がやっと解放された

「殺す気ですか」
「誰がお前を潰さないと言った」
「私を潰しても楽しくないです」
「俺は……ゆうこを貰ってやってもいいと思ってる」
「付き合うってことですか」
「お前がよければな」

顔の輪郭をなぞられて、顔に熱が集まる。
尾形さんが彼氏か…
尾形さんは色々淡泊そうだし、付き合ってもそんなに干渉してこなさそうだし楽かもしれない。
普通のカップルみたいにベタベタしないで済むかも。
形から入ってみるのもありかもしれない。
尾形さんも私のことが好きという感じもしないし、ちょどよいのかも。

「尾形ァ…てめえ……」

ぼうっとしていると私と尾形さんの間に杉元が入ってきて、杉元が尾形さんの胸倉を掴んでいた。
杉元の腕を引き剥がそうとしてみるもびくともしない。
目が血走っている。
こんな杉元を見るのは初めてだった。
いつもあんなに穏やかで優しい杉元の内にこんな獣がなりを潜めていたなんて。
背中を何かが走って肩が跳ね上がる。

「杉元、喧嘩なら外でやって」
「ゆうこ、尾形に何もされてない?」
「私は大丈夫だから。何が逆鱗に触れたか分からないけど、落ち着いて」
「……ごめん」

それは私に対する謝罪だった。
杉元は尾形さんから手を放し、私の横に座った。
尾形さんが口角を上げてニヤニヤしていた。
杉元は結構飲まされているようで、顔が紅潮していた。
尾形さんは面白いものが見れた、と言って席を立った。
私はもうほとんど力が残っていなくて、頬杖をついて日本酒を舐めた。
電車乗ったら場ゲロする。
これはもうタクるしかない。

「ゆうこ、本当に大丈夫だった?」
「うん、もう怒んないで」
「怖がらせたかな…ごめんね」

もうすっかりいつもの杉元に戻っていた。
さっきのが嘘みたいだ。
杉元は今日の私の恰好を褒めちぎってきた。
朝から会社にいればよかったと悔いていた。
仕事の話をして、それから私生活の話もした。

「今日はなんでそんなに来てほしかったの?あんなにごねた理由を教えて欲しい」
「今日は……前の誕生日なんだ」
「あー前世ってやつ?さっき尾形さんからちょっと聞いたんだけど」
「尾形に聞いたんだね……今日は前のゆうこの誕生日なんだよ」
「え、私もそこにいたんだ。それは聞いてないや」

私には前世の記憶なんて全くない。
あったとしても、私は私なので関係ない。
それから杉元も明治時代のことを教えてくれた。
顔の傷も、前世でできた物らしい。
完全に創作の話を聞いているような気分になる。

そんなこんなで話をしているともう解散の時間になっていた。
酒が回りすぎて足がおぼつかない。
尾形さんはすでにそこにはいなかった。

先輩方に挨拶をして、少し歩いたところでタクシーを捕まえる。
タクシーに乗り込むと、走ってきた杉元が同乗したいと言ってきたので端に詰めた。
とりあえず私の家でいいということで住所を伝える。
30分もあれば着くだろう。
眠っていいと言われたので、そのまま私は目を瞑ることにした。









「下りるよ」

杉元に声を掛けられて目を開けた。
手を引かれて何とかタクシーから降りた。

「お金…」
「大丈夫」
「タクシー行っちゃったけど…」
「大丈夫だから、心配だから部屋まで送るよ」

部屋番号を伝えて、連れて行ってもらった。
目がショボショボする。
頭もぼーっとしてポヤポヤする。
鍵を渡してドアを開けてもらう。
電気を付けていつもの自分の部屋が見えると安心する。
玄関に入って扉の外にいる杉元を見ると、彼がじいっと私を見ていた。

杉元は一歩踏み出して、玄関に踏み込んで私を抱き締めた。
そのままの勢いで壁に激突した。
突然のことに体がうまく動かない。
背中に冷や汗をかいていた。

杉元がぎゅうぎゅうと私を抱き締めるので痛かった。
体が解放されて、杉元と顔を合わせる。
まるで獲物を狙うような、鋭い眼光だった。
随分前から、私はその目を知っている。
私はその目から逃れる術を、ずっと分からないままでいる。

獣のような口付けが降ってきて、私はそれに応える。
息が出来なくて苦しい。
口の端から誰の物か分からない唾液が流れ出ていた。
縺れながら靴を脱いで、ベッドに投げ出された。
杉元が器用に電気を小さくして、荷物を床に置いた音が聞こえた。
仰向けになると杉元が上に跨ってきた。
何でか、同じようなことがあったような気がしていた。

どこか煩い所で、私は胸の中心から血を流していてすごく痛い。
今みたいに頭がぼうっとして訳が分からなかった。
杉元は頭から血を流していて、泣いていた。
手にはナイフが握られていて、それを振りかぶったのが見えた。

「ゆうこ、今度は俺に殺させるようなことはしないで」

目の前の杉元も泣いていて、少しおかしく感じる。

「今度は俺が最期まで守るから」

嬉しいのか怖いのか私の体は震えていた。
言葉の代わりに涙が出た。
背中の冷や汗が冷たかった。
私はその言葉をずっと待っていたような気がする。
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