深津は私の初恋だったと思う。

深津は所謂幼馴染で、小さい時から一緒に過ごしていた。
小学生の頃は毎日登下校を共にして仲も良かったからよく揶揄われたものだ。
その頃深津はすでにバスケを始めていて、凄く上手いらしいというのを母親から聞いた。
深津とはバスケの話を特にすることもなく、テレビや授業の話などただの在り来たりなつまらない話をしていたので知らなかったのだ。
思い出に残ってない程どうでもいいことを私達は話していたということだ。
深津の呼称を名字に変えたのは自然な流れだった。
一丁前な気恥ずかしさが私をそうさせたのだ。

深津はその頃から周りの男子とは違って大人びていた。
他の男子のように馬鹿騒ぎもせず、スカートめくりもせず、大人しいというよりは大人びていた。
男子に揶揄われてキレる私を無表情で宥めるのはいつも深津だった。
私が完全に深津のことを好きになっていたのは多分その頃だったと思う。

深津はバスケの強い中学に進むため、私達の進路は早速別れることになった。
ただ県内の中学だったためか、自宅付近で深津と会うことはしばしばあった。
私が個人的に面白かった話をして、深津はただ頷いているという構図がほとんどだったと思う。
深津は毎回私に会うと話を聞いてくれていたし、嫌われてはいなかったと思いたい。
何か面白いことがあるとこれも深津に言ってあげなくちゃと思ってしまうのは、私が彼に恋していたからなのだろう。
最低週一で会う生活は結局中学三年間続いた。
高校受験の前は流石に会えなかったが、深津の応援してくれた言葉を思い出して辛いことも乗り越えられた。

私の受験が終わった報告をすると、深津が私の名前入りのハンカチをプレゼントしてくれた。
私がよく物を無くすことを知っていたから、わざわざ刺繍で入れたと言っていた。
彼女いるだろうからこういうことは止めるべきだと思ったが、彼女の有無をはっきりさせるのが怖くて言えなかった。
プレゼントが嬉しすぎて泣いたら引かれた。

「高校は秋田に行くことになったベシ」

私はその時あまりのショックで何も返すことが出来なかった。
情けないことに言葉が何も出てこなかった。
衝撃のあまり1、2分黙り込んだ後に気を付けてね、と何とか返事をした。
私が受験に集中するように今まで黙っていたのか、とかバスケ推薦なのか、とか何で秋田なのか、とかいろいろ聞きたいことはあるのに言葉が紡げなかった。
頭はもう真っ白で、用事を思い出したとかいうクソみたいな言い訳でその場を去った。
中学生の私にとって秋田県は非常に遠くて、行くのにどれくらい電車に乗ればいいのかも分からない程だった。
何かの衝動を逃がすように走っているうち、気付けば自宅まで辿り着いていて、涙は完全に乾いていた。

それから深津と話すことはなくなった、というか私が避けた。
近くで見かけた時もすぐに身を隠して、自宅に駆け込んだ。
視野の広い深津のことだからもしかしたらバレていたかもしれないが、深津が私に声を掛けてくることはなかった。

それからしばらくして私は中学を卒業することになる。
同じ高校に進む人は多くなくて、もう会うこともない人だっていると思うと卒業式は泣けた。
卒業式を終えた後は友達と遊んだり、入学準備と割と忙しく過ごしていた。
もう深津の事を深く考えることもなく、私は高校入学に心躍らせていた。

「一成君から明日16時の約束覚えてるかって電話来たよ」

友達と遊んで帰ってきた日、母親にそう言われた私は意味の分からなさに思わず固まった。
まず、私はその頃深津と会っていないのでそんな約束はしていない。
そしてなぜ16時なのか。
最後になぜ私が明日暇だと知っているのか。

「明日駅前で待ってるって。ついでに晩御飯食べてきたらって言ったらそうしますって言われちゃったから、明日は一成君と食べてきなさいよ」
「…へえ…うん、そうなんだ」

どういう意図だ?
深津も幼馴染と離れるのが寂しかったりするのだろうか。
最後に顔でも見ておこうといった感じか。
深津の事はまだよくわからないままだった。


「いるわ…」

約束?通り駅前に着いた私は深津の姿を確認して思わず呟いた。
頭一つ飛びぬけているからいつもすぐ見つかるが、今は少しそれが憎たらしかった。
深津も私を視界に入れると何時ものように、当たり前のように私の目の前まで歩いてくる。

「お前からのプレゼント、まだ貰ってないベシ」
「はあ?あー、そうだったね」
「選べ」
「…何がいいの」
「お前が決めろベシ」
「何なんだよ…」

深津はこれと決めたら絶対に曲げない男なので私が折れるしかない。
仕方のない奴だ。
バスケ関連が良いのか聞いたが、別に何でもいいと言われてしまった。
駅ビルを散策して、色々見ながら適当に感想を呟く。

「そうだ…ハンドクリームってどう?知らないけどバスケって手が大事なんでしょ?秋田って多分めっちゃ寒いしハンドクリームにしようよ!あと寒いから手袋も良くない?!うん、いいねそうしよう」
「……」

私は思いついたままボディーケア用品店に入り、ハンドクリームを探す。
店の内装と深津のミスマッチ感が笑える。
香りのサンプルを貰って、深津を見ながら嗅いでいく。
私的にはこのちょっと甘い香りが好きだけど、深津が使うなら柑橘系かウッド系のがいいだろうな…

「嫌いな香りある?」
「ないベシ」
「ふーん…」
「二番目のやつにしろベシ」
「…マジ女子って感じの香りだけど」
「…俺がいいって言ってるベシ」

まあいいけど…私の好きな香りだけど…
深津のご指定なので私はそれに従うまでだ。
私の好きな香りを纏う深津を想像すると嬉しくもあるが、面白くもある。

プレゼント包装をして貰って、そのまま深津に渡す。
当然のように受け取った深津は少しだけ口角を上げた。

「俺の手が入る手袋はお前の小遣いじゃ買えないベシ」
「そんなにでかいんだ」
「手袋は持ち越しベシ」

それから駅ビルのレストランに入ってパスタを食べるなどした。
素直に深津の秋田行を祝うことが出来てよかった、もう大丈夫みたい。
ただ私は一つだけ確認しておきたいことがあった。

「深津って彼女いるの?」
「いないベシ」

間髪入れずに返事をした深津になぜか安心感すら覚える。
彼女いなかったんだ。
驚きと安堵で口元が緩む。

「じゃあ好きな人は?」
「いるベシ」

またも間髪入れずに返事をした深津に、私は思わず手を止めた。
そりゃあそうだ。
私が深津を好きでいるのと同様、深津は誰かを好きでいるのだ。
中学生なら、普通に有り得ることなのだ。

「でも俺は遠距離恋愛出来ないベシ」

また一つ深津のことを知ることが出来たが、その言葉は私を割とどん底に突き落とした。
深津の好きな人が私じゃない場合、私は失恋する。
そして深津の好きな人が私の場合、またも私は実質失恋するということだ。
どちらに転んだって終わっている。
ダメだ。
おしまいだ。

「へー…そういう時あるよね」

意味の分からない返事をしてしまった。
こんな時でもパスタは美味しかった。

その後は普通に何事もなく解散した。
私たちはその後会うことも無く深津は秋田へ飛び立った。
貰ったはずのハンカチはもうどこに行ったのか分からない。
やっと深津の事を吹っ切れた私は、他の人を好きになるという選択肢をようやく得ることが出来たのだ。

高校デビューとまでは言わないが、伸ばしていた髪を肩まで切った。
案外似合っていたので良かった。
私は相変わらず帰宅部だったので、帰りにスタバ寄ったりプリクラ撮ったりカラオケ行ったりバイトしたりと帰宅部エースとして放課後を満喫していた。

2年生の時、高校生で初めて彼氏ができた。
テニス部の部長候補で、顔がかっこよかった。
テニス部はほぼ毎年全国大会に出場する程強かった。
友達には羨ましいだとか、あの人気者がなんであんたと、など言われた。
関わりがあったのは多分体育祭ぐらいだ。
帰宅部ということで非常に面倒な体育祭委員に選出されたのだ。
あれはもう最悪だった。
全クラスの予定調整だの先生との打ち合わせだの競技に出るメンバーの調整だの、本当に面倒しかない。
彼は自ら体育祭委員に立候補したという話を聞いて、人間もまだ捨てたもんじゃないなと思った。

素晴らしいスペックなのにプライドが高い訳でもなく、指摘には素直に謝って改善してくれるような人だった。
こりゃ人気でるわと感心したものだ。

「君の怒りも、悲しみも、楽しい感情も全部一番近くで感じたい」

これを言われて堕ちない女がいれば教えて欲しい。
彼のことは人として好きだったため私はその告白にOKを出したのだった。

それから帰宅部エースは引退し、たまにギャラリーに混ざって彼の練習を見ることになった。
練習が終わるまで待っていると彼が非常に喜ぶため、また来てやらんこともないと思ってしまうのだ。
ただの好意が愛情に変わるまでに時間は掛からなかった。
それ程までに彼は私のことを大切にしてくれていたし、私もそれに応えたいと思っていた。

高校生の夏、最後の全国大会を見に来てくれないかと提案があった。
広島であるらしい。
この人意外と大胆な提案してくるんだよな、と思いつつも一旦保留にしてもらう。
流石に親に相談しないといけない。
聞けば彼のチームメイトも彼女を誘っているらしい。
その子が私の友達でもあったため、行くなら一緒に行こうということになった。

親に相談するとあっさり許可が出た。
宿も親が取ってくれることになった。
団体戦の最終日とその前日を見に行くことになった。
友達も何とか許可が出たらしく、私たちは旅に出ることが決定したのだった。
彼が凄く喜んで、絶対に優勝すると宣言していた。

広島に行く前日、準備をしながら宿やお金の確認をする。
夜な夜な作った不格好なお守りを、当日渡せたら渡そうと鞄の奥に仕舞い込む。

「宿ね、深津さんと同じとこだから困ったら深津さんに頼るのよ。部屋は全然違うけどね。事前に教えてもらったから部屋の番号教えておくわ」
「は?」

渾身のは?が出た。
何となく疑問に思っていたことが解消した瞬間だった。
母は何故私の広島行を快諾したのか。
それは深津母の行き先が同じだったからだ。
深津母がわざわざ広島に行くなんて、理由は一つしか思いつかなかった。

「分かったよ」

パソコンを借りて調べると、それはすぐにヒットした。
インターハイ、秋田県の山王工業。
深津が明日、広島で初戦を戦うのだ。
変な動悸がして、私は画面を閉じた。


会場に着いた頃、空には少し雲が掛かっていた。
初めての電車が難しすぎて、二人の知恵を振り絞っても大幅に遅刻した。
もう試合は始まっていて、大勢の観客をかき分けてなるべく近くの席に着いた。

彼はチームメイトと共に観戦していた。
彼が私に気付いたので、手で呼び寄せる。

「…作ってみたんだけど」
「ありがとう!俺、今日も絶対勝つから」

手をぎゅっと握ってくれたので、さざ波の立つ私の心が凪いでいく。
今日と明日勝てば優勝するらしい。
頑張って、いやベストを尽くしてほしいと思う。

地方予選も見ていたけれど、全国になると彼の気合の入りようも違った。
こちらが緊張してしまう程だ。
彼が勝ちを決めた頃にはパラパラと雨が降っていた。
私に拳を向ける彼に心がじんわりと温かくなる。

私達は特にやることもないためもう一つの準々決勝も見ることにした。
雨が強く降ってきたため、試合は一旦中止になった。
傘を差してみるも心許ない。
靴下が冷たくなってきていた。
うちの学校の選手たちは近くの施設でミーティングをしている。
友達がうちらも一旦どこか寄ろうかと、私に声を掛けた。

「…………私、行かなきゃいけないところがある」
「どこ?」
「もし私が試合が終わるまで戻って来なかったら先に宿行ってて。お母さんの名前で予約してあるから。知ってるよね」
「ちょっと、本当にどこ行くの!」
「ごめん!本当に本当に本当にごめん!!」

私はもう走り出していて、足が勝手に駅に向かっていた。
何やってんだろう。
彼が知ったらどんな顔をするだろう。
私は彼の応援に来ただけで、あとは広島に用事なんてないのに。
何でこんな雨の中私は走ってんだろう。

もう3年も会っていない。
試合なんて見たこともない。
ルールも、何人でやるのかも、何にも知らない。
もっと好きになってしまうのが分かっていたから。

私の中で消化済みのはずだった。
バスケの会場を見て行き方を調べてしまっていたのか、昨日からもう随分私はおかしかったらしい。
それでも深津の名前を聞けば、それだけで心臓が跳ねてしまう。


そこに踏み入れた時、試合はあと10分だった。
貰ったパンフレットはすでに雨で濡れていて文字が滲んでいた。
深津が何番を付けているのかすら分からない。
手すりから少し身を乗り出して、深津を確認した。
4番だった。
バスケは5人でやるものだと知った。
周りの観客が深津の講評をしていたのを耳に流しながら試合を見た。

凄く派手なプレーをするわけでもない。
きっちり守ってしっかり攻めていく。
何も知らないはずなのに深津らしいと思ってしまう。

勝って欲しい。
頑張れと声を上げるのを許してほしい。
普段大きい声を出さないから喉がすでに疲れていた。
私が私じゃいれらなくなる。
その感覚すらも愛おしいと思ってしまう。

深津は私のオム・ファタールだ。
運命の男などと言うつもりはない。
ただ、深津が私の運命を狂わせたのだ。

最後の1分、私は呼吸することすら忘れていたように思える。
声を出すことも出来ず、ただ試合だけを見ていた。
こんなに何かに夢中になることなんて初めてだったかもしれない。
敵側のゴールネットからボールの落ちる音が妙に耳に残った。

深津は少し息を吐いて、整列に向かっていた。
両者が頭を下げていてたのを私はぼうっと見ていた。
深津と目が合った気がしたが、それは私の見た都合のいい幻覚だった。
頬が濡れていて、自分が泣いていることに気付いた。


大学受験というのは人生において凄く大きなイベントだと思う。
広島の一件から彼とは距離を置いている。
あの後試合開始までには何とか帰ってこれたし、何とか友達も言いくるめられた。
準決勝で負けた彼を見ても、私は何故か泣けなかった。
頑張ったねとかお疲れ様とか言葉だけが先行して、彼の気持ちを一番近くで感じることが出来なかった。

私は帰って来てから受験モードに突入し、塾と学校と家のトライアングルを行き来するだけになっていた。
大学で上京しておきたかったので私は必死だった。
大晦日もお正月も返上して受験まで一直線だった。
勉強で頭を一杯にすることが、いつもより幾分か楽だった。

二次試験を終えて帰路に着いた私はベッドに倒れこんだ。
頭がショートしている。
何も考えられなかった。
試験結果が出るまでの一週間、家から出たくないしテレビも見たくないしで部屋の片づけを始めた。
もし受かっていれば私はこの家を出て行くことになっていた。

上京する前に、私は燻った深津への思いを完全に断ち切る必要があった。
いつまでも深津に狂わされているなんてたまったもんじゃない。
中学の時は勇気が出なかった。
でももう、大丈夫な気がしていた。

試験結果が出た。
合格だった。
家族総出で喜び、泣いた。
その勢いのまま私は深津家に電話を掛ける。
今このスピード感を失ったら、もうタイミングを逃してしまう。
深津は不在だったがこっちに帰って来ているらしい。
私は深津母に一言言付けを頼んで電話を切った。

私が翌日駅前に向かうと、以前よりも一つ頭の抜けた男が立っていた。
目が合うと、変わらず当たり前のように私に近寄ってくる。

「意趣返しのつもりかピョン」
「お、語尾が変わってる」

半年ほど前に遠目から見たとはいえ、やはり近くにいると大きい。
この三年間でだいぶ遠くに行ってしまったようだ。

「手袋、大きいの探さないとでしょ」
「……覚えてないと思ってたピョン」
「実はこの前思い出した」
「俺は返してもらってない物は一生覚えてるタイプだピョン」
「知ってる」

紳士物の店に入って、大きめの物を見繕ってもらう。
思っていたより深津の手はでかかった。
大きめの手袋でさえも指が足らなかった。
店で一番大きい物を出してもらって、ようやく適切なサイズのものが見付かった。
サイズが大きくなると選べる柄も少なかった。

「このくまさんあるのかわいいじゃん、これにしようよ」
「……くまさん」
「ちっちゃいくまさんだからそんなに目立たないって!すみませんこれでお願いします」
「……」

小さいくまさんが散りばめられている手袋に決めた。
もうこれしか考えられない。
ラッピングをして貰って、そのまま深津に渡した。
当たり前のように受け取った深津は、またも少し口角を上げた。

そのまま夕飯を食べることになった。
3年前に食べた店はもうなくて、時の流れは残酷だなとぼんやり思う。

「私大学合格したの!」
「おめでとう。お前なら合格すると思ってたピョン」
「褒めてる?」
「褒めてるピョン」
「深津は?」
「東京の大学からスカウトされて進学ピョン」
「そうなんだ」

ならばやはり今日、はっきり振ってもらう必要があると決意を固める。
10年近くの片思い拗らせ対象が近くにいるなんて無理だ。

「折り入って頼みがあるんだけど、深津のこと好きだったから今日振ってもらってもいい?」
「…………」
「実は私も大学東京なんだよね。新しい門出を迎える訳だし、もう流石に吹っ切れないとやばいと思うんでお願いします」
「……」

私は軽く頭を下げる。
顔を上げて深津を確認すると、パスタを無言で食べ続けているようだ。
……もしかして聞こえてない?
いや聞いてない?
そんなにパスタ美味しいか?
凄く嫌だけどもう一度最初っから言うしかない?

「……実は折り入って頼みが」
「聞こえてるピョン」
「返事してよ」
「呆れて声が出なかっただけだピョン」
「パスタ食いまくってたじゃん」

仕方ないので私もパスタを進める。
こんな時でさえパスタは美味い。

「俺は遠距離恋愛は出来ないっていったはずだピョン」
「そういえば言ってたね」
「東京なら問題ないピョン。俺と付き合ってもらうピョン」

私の手からカトラリーが滑り落ちて、大きい音を立てる。
汚れたカトラリーを店員さんが拾い上げ、新しいものを置いて去っていったのがスローモーションで見えていた。

「……深津、私のこと好きなの?」
「だいぶ前から好きだピョン。気付いてないお前が鈍感なだけだピョン」
「知らなかった……」

私はかなり混乱している。
深津が私のことをずっと好きだったなんて。
じゃあ私は一人でずっと空回りしていたということ?

「お前と付き合っていれば、俺の知らない所で他の男とイチャつく可能性があるピョン。殺すピョン」
「語尾がピョンだから許される発言だからね?物騒すぎるからマジで」
「実際お前彼氏いるピョン」
「……明日卒業式でちゃんと別れようと思ってた」

中途半端なまま登校自由期間になってしまったので、このまま放置はいけないとは思っていた。
彼もテニスのスカウトが来ていたが、結局どこにするかは聞いていなかった。
明日、ちゃんと終わらせて彼も私も次に行こうとするつもりだったのだ。

「いや何で知ってるの」
「インターハイ、テニスも広島でやってたピョン。お前がわざわざ広島に来るなんてそれしかないピョン」
「私が来てたの気付いてたの?!」
「俺がお前を見付けられない訳ないピョン」
「うわ恥ずかしー……消えたい……」

顔から火が出るとはこのことだ。
身勝手に勝手に片思い相手の試合を見に行き、勝手に泣いてたのを本人に見られていたなんて……!
無理だ…
いくら両思いだったということが分かったとてこれは恥ずかしすぎる。

「今日からお前は俺の彼女だピョン」
「……よろしくお願いします」
「明日彼氏とはちゃんと別れてくるピョン。分かったな」
「はーい、元々もう自然消滅気味だけどね」

深津が少し口角を上げるのを私は見ていた。
別に顔が凄く好みな訳じゃない。
何が好きかと言われたら、もう分からない。
何にも分からないけど、とにかく深津のことが好きだということだけは分かっていた。


卒業式でまたも私は泣いていた。
年々涙腺が馬鹿になってきている気がする。
卒業式の後、私は彼に呼び出された。
私も彼を呼び出すつもりだったので手間が省けた。

「君がもう俺のこと好きじゃなかったのは知ってたのに、ここまで手放せなくてごめん」
「私こそ引き延ばしちゃってごめん」
「もしまた再開したら、普通の友達として仲良くしてほしい」
「うん、私もお願いします」

タスクを完了したような気持ちになってしまい、罪悪感すら感じる。
卒業式後はクラスでご飯を食べに行って、そこでも泣いてしまった。
一緒に広島に行った友達は、奇跡的に同じ大学だった。
あれからも仲良くしてくれているのには感謝しかない。
あの時のネタバレはもう少し時間が経ったらしようと思う。


東京に発った私は一人暮らしを始めた。
私の要望を聞いた父が内見に行って決めてくれた部屋だ。
まあ及第点といったところだろう……
このアパートは学生が多いらしい。
隣人は見たことがないが聞くところによれば学生らしい

深津と付き合うことになったとはいえ正直恋人らしいことは何一つしていない。
なんならデートすらしていない。
しかも深津が東京に出発する時も連絡すらしてもらえず、気付けば深津は地元からいなくなっていたのだ。
薄情な奴だ。
しかも住所も教えてもらえなかった。
何なんだよふざけんなよ。

近くのスーパーで買い物をして帰路に着く。
入学式の前までに自炊する習慣をつけておかなければ。
近くの喫茶店でのバイトも合格したし、やることが意外と多い。
新しい生活への不安と期待が入り混じっていた。

「おい」

自宅の鍵を開けていると声を掛けられた。
この声を私が聞き間違えるわけが無い。

「深津?!何でここに……」

ジャージ姿の深津がそこ立っていた。
エナメルのバッグを持っているからバスケをしてきたのだろうか。
確かに顔に汗がにじんでいる気がする。
スカウトされてるから入学前から練習に参加しているのか?

「俺の家だピョン」
「は?」
「お前の隣だピョン」
「ん?」
「遠距離恋愛は出来ないって言ったピョン」

深津はそれだけ言って私の隣の部屋に入っていった。
もしかして、嵌められた?
お父さんが部屋を即決してきたのも深津の隣だから?
お母さんが楽しみだわって言ってたのも?

「遠距離って……」

近すぎるだろ。
私もまた部屋に入って冷蔵庫へ食材を詰め込む。
深津にも可愛いところがあることを知って、私は少し口角を上げた。
ALICE+