私の女中としての記念すべき一日目が、ようやく終わろうとしている。昼間は庭の掃除に買い物にと忙しかったものの、流石に夜ともなれば、仕事に追われることもなくなる。緊張もあってか一日ピンと張り詰めっぱなしだった気分も緩み、ほっと溜め息を吐いた。
 そんな一方で、夜が更けてもなお、屯所の中では賑やかな声が溢れていた。その中には一番隊の皆さんと一緒に話に花を咲かす総悟の姿も見える。一日の公務を終えた隊士たちが、羽を伸ばしてのんびりと談笑する大部屋の横を通り抜けて、私は土方さんの部屋へと向かった。


 近藤さんは、まだ男所帯の環境に上手く馴染めず、所在なさげにしていた私を気遣ってか、トシも今はそこまで忙しくないだろうからと、土方さんの所へお茶を出しに行くように勧めてくれたのだった。いや正直なところ土方さんと一緒にいるのも大概心休まるものでもないのだけれど、近藤さんのご厚意に甘えることにした。もちろん近藤さんにも、私渾身の美味しいお茶を淹れてから。


 副長室、と書かれた室内札が掲げられた部屋の中からは、賑やかな周りとは打って変わって物音が何も聞こえない。湯呑みに注いだ煎茶を零さぬように、慎重にお盆を床に置いて、ほんの少し襖を開いた。

「名前です。お茶をお持ちしました」

呼びかけに対して、おう、と襖越しに声が聞こえたので、お盆を持って部屋へと入る。中では寝間着に着替えた土方さんが、刀身の手入れをしていた。作業邪魔にならないようにと側の文机に盆を置いたのだけど、土方さんはその手入れの手を止めた。

「悪いな、ありがとよ……今、時間あるか?」
「えっと、大丈夫です!もう仕事は終わりましたし」
「そうか。まあ、座んな」

土方さんに促されて、おずおずとその横に腰を下ろす。こうやって二人で部屋で話したことなんて今まであっただろうか。昨日も酒の席で二人隣合って話していたけれど、周りに誰もいない静かな部屋の中では、心做しか物理的な距離が近く感じる。これまでその鋭い目や端正な横顔を間近で見たことが無かったので、視線をどこに置くべきか戸惑ってしまう。座れと言ったのは土方さんの方なのだけど、こんな風にドギマギする私の緊張が向こうにまで伝播しているのか、土方さん無言のまま、硬い動きでお茶を啜っている。このままでは埒が明かない。

「あの……今日も一日、お疲れ様でした」
「ああ、そうだな、お疲れ。……どうだ、仕事の方は?」
「とっても楽しいです。その、一日やってみただけでも、あっちにいた頃より充実感があって」

とはいっても、そんな女中らしい働きも出来てないんですけどね。そう肩をすくめると、土方さんはそんなことはないと労いの言葉をかけてくれた。

「でもそれを言ったら、土方さんたちの方だって!やっぱり大変なんですね、副長のお仕事って」

今日も朝から皆の指揮を執り、事務に見廻りに取り調べにとオールマイティに仕事をこなしていた土方さんの姿を思い出す。その手際のいい、まさしく“リーダー”と呼べるような働きぶりは、四年前のぶっきらぼうで無口な土方さんからは想像もつかないものだった。思ったままの賛辞を述べると、土方さんは面映ゆそうな顔をした。

「そうか?……まあ少なくとも、簡単な仕事ではねェか」
「そうですよ。本当、かっこよかったです!」
「かっ!?……かっこいい、のか……?」

──あ、違うんですかっこいいっていうのは別にその違うくて、そういった他意はなくてですね!
思わず口を出た誤解を招きかねない言葉に、土方さんが口に含んでいた茶を吹き出した。私も慌てて、必死に弁明をする。

「ただ純粋に、すごいなーっていう、アレです。ハイ!」
「だ、よな。……ありがとよ」

また照れ臭そうに笑う土方さんは、やはり“あの頃”からは大きく変わったようで。



 ──総悟と二人、聞いてしまったあの会話。私たちだけが知っている、あの二人の秘密。
 ふと、思い浮かんだ四年前のとある光景を、一瞬のうちに無意識の奥へと消し去る。まだ今は、この話を掘り返すべき時ではない。



 「そういや、引き止めちまったが、時間大丈夫か?明日も早いだろ」

しばらく他愛もない話をしていると、部屋の掛け時計を見た土方さんが話を中断した。私も時計の方に目をやると、既に時刻は十一時を回っていた。まだここに居たい気もしたけれど、夜更かしをして寝坊だなんてことだけは絶対に避けなければ。

「確かにそろそろお暇したほうがいい時間かもしれないです……」
「だよな。……悪かったな、いきなり付き合わせて」 
「とんでもないです!じっくり土方さんとお話できて、嬉しかったですから」

それでは失礼致します、と立ち上がり部屋を去ろうとした私の背中に、土方さんが声を掛けた。

「あー……なあ、名前」
「あ、はい!何でしょう?」
「お前の茶、美味かったよ、ありがとう。あのよ……また頼んでもいいか?」
「もちろん、いつでも喜んで!」

それじゃあ頼む、とほっとしたように笑う土方さんと、数秒の間視線が合った。さっきから目を見て話してはいたはずだけど、今の数秒には何か今までと違う、妙な違和感を感じた。その、不穏なものの正体に、気づいてはいけないような気がして。

「っと、じゃあそろそろお暇しますね!……いつでも、お茶汲みスタンバイしてるので!」

じゃあ、私はこれで!去り際に、おやすみなさい、と言い残して、私はそそくさと土方さんの部屋を立ち去った。

 この日の私がお仕事一日目ヘトヘトに疲れていたにも関わらず、なかなか寝付けなかったことは、私だけの秘密だ。
  




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