十
「私……みんなの……」
──十四郎さんの側にいたい。
今までに聞いたことのないほどに震えた声がそう告げるのを、俺と姉ちゃんは息を潜めて聞いていた。こんな場面出くわすつもりもなかったし、死んでも出くわしたくなかったのに。
何だよそれ、と叫び飛び出したくなる気持ちを必死に抑えて耳を澄ます。姉ちゃんは隣で声に出さずに“どうしよう”と言って、不安げな顔で俺を見た。
息の詰まるような静寂。何とかいえよ!今の聞いてたんだろ?
姉上の言葉にも、アイツは何の反応も示さない──きっとどんな返事だったとしても、俺はあいつを許すことは無かっただろう。しかし、聞こえてきたのは、耳を疑うような言葉だった。
「知らねーよ」
──知ったこっちゃねーんだよ、おまえのことなんざ。
隣で姉ちゃんが大きく息を呑む音が聞こえる。眩暈がして吐き気がして、その場に立ちすくみそうになる。心拍音が向こうに聞こえてしまってはいないかだけが心配だった。
結局俺の胸に一番に残ったのは、怒りよりも悲しみよりも“喪失感”だった。大好きな姉上が好きだったのは俺の大嫌いな男で、そいつは姉上をあっさりと切り捨てた。何も言わずにアイツは立ち去って、しばらくしてから涙を堪えて姉上が去っていったその場所には、それだけが事実として残されていた。
──あれから四年の月日が経った今。
パトロールへ出ようとした時、食事をしていた時、一番隊の奴等と話をしていた時。そんなときふと姉ちゃんの姿を目にするたび、その隣にはいつも土方の野郎の姿があって、しかもその顔がいつもより数段明るく見えるのは、きっと俺の気のせいじゃない。そしてその上、いつもは眉間に皺を寄せて苦々しい顔をしているはずのアイツの顔すら綻んで見えることも。
その姿は、四年前に俺が嫌った光景を写し取ったようで、唯一違っていたのは、前は隣で一緒にその光景を眺めていたはずの姉ちゃんが、今は俺の視線の先にいるということだろうか。
もしかしたら、あの四年前の姉ちゃんが辛そうな顔を浮かべたのは、姉ちゃんもアイツのことが好きだったからじゃないのか?ほんとは姉ちゃんもアイツに告白しようとしてたんじゃないのか?
考えれば考えるほど思考は悪い方へ働いて、そのたびにひとり頭を抱えるのだ。姉ちゃんだって、考えすぎだと言っていたのに。
姉の幸せを心から願えないほど姉不孝な弟でいたつもりはない。自分勝手に──それでもありがとうとは言ってくれたが──姉ちゃんを屯所に連れてきたのは自分だった。だから姉ちゃんのやりたいこと、望むことは弟である自分が叶えてあげなければならないだろうし、そうしてあげたいと思っている。けれど、もし──もし姉ちゃんの幸せが、姉上と同じものだったとしたら。たとえそれで姉ちゃんが悲しむことになるとしても、俺はきっと、それを否定してしまうんだろう。
前を歩いていた姉ちゃんを、アイツが連れ去ってしまいそうな予感に襲われる。無意識にその腕を掴みそうになった手を、バレないように押さえ込んだ。