リリリリリリリ…


私を現実に引き戻す目覚ましの音が今日も起床の時間を教えてくれた。上半身を起こししばらく、ぼーっとしていると危うく二度寝をしそうになり慌ててベッドから立ち上がった。歯を磨き、顔を洗い、メイクをして早朝からのニュース番組を見る。

この人達、何時から起きてるんだろうか?お給料はいくら貰ってるのだろうか?と考える。思い返せば昨日も同じ事を考えていた気がする。朝ごはんを済ませ、ロングの髪の毛を低い位置で結ぶ。いつもと同じ朝だった。ジャージに着替え、家を出る。夏休みなのに。


「先生、おはようー」


「おはよう。今日も頑張ろうね」


私は生徒ではない。この高校の教師だ。教科は現代国語。そして吹奏楽部の顧問をしている。そう、夏休みなのに出勤する理由はこれだ。もうすぐ体育祭が近づく。うちの高校は生徒の入場から校歌斉唱の音楽、閉会式の楽曲を全て吹奏楽部が演奏するようになっている。その為、夏休みを返上して指導に励んでいる。

いいのよ、別に。夏休みだからって特にする事も無いし。彼氏がいるワケでも無い。実家は遠過ぎて帰る気にならない。女友達と旅行に行く計画はあるがまだ先の話。学生時代から私自身も吹奏楽部に所属していたおかげか気付けば顧問になっていた。


「アルト‼そこはもっと優しく入って。全体の雰囲気が変わるよ」


「はい、すいません」


音楽への妥協は許さない。真剣に指導し、生徒達と一緒にお昼ご飯を食べ、17時まで練習をする。こうやって過ごす毎日の連続。

とある日の17時15分。練習を解散した後、職員室に戻ると数人いる先生達の中にデスクに伏せて、明らかに寝ている坂田先生を見つけた。疲れて伏せているだけなのか。そっと近づいてみると小さくスースーと寝息を立てていた。


「(起こした方がいいのかな?)」


夏休みに長居する先生は少ないので、恐らくこのままだと坂田先生は寝過ごしてしまうだろう。私は坂田先生の肩を小さく揺すった。


「先生。坂田先生」


すると目元が少しピクっと動いた。普段はこんなに近づく事は無いが、自分の腕を枕にして眠る坂田先生の横顔は綺麗なものだった。


「先生、起きて下さい」


声を少し大きめにして呼びかけてみると、「ん…」と、目覚め動きだした。


「お疲れ様です。坂田先生。今の時間から寝ちゃうと目覚めた時に誰も居なくなると思って声かけました」


ふふ、私が笑うと頭を掻きながら「あれ、俺寝ちゃってました?」と坂田先生は言った。寝ていた自覚が無かったらしい。


「ありがとうございます。助かりました。先生も夏休み返上ですか?」


「えぇ。体育祭の為の吹奏楽部の練習です。坂田先生は?」


「いやー、俺は次の体育祭の団長達が今までに無い新しい体育祭にしたいとか言い出してそれに巻き込まれただけですよ。あのガキ共、俺の休みを何だと思ってんだか」


坂田先生はどこの部の顧問などしていない。つまり夏休みに学校にいる理由が無いのだが、生徒からの人気と信頼は十二分にある。これで何故坂田先生がここにいるのかを理解した。


「後は?後は帰られるだけですか?」


「そうです。あ、今日もコンビニで夜の弁当買って帰るだけっすよ」


「今日も、って…」


そういえばある男子生徒達が言ってたな。坂田先生の家に行った事があるって。ゲームとか揃っていて超楽しかったと。一人暮らしだから気を使わなくて自由に出来たと。そっか。自炊はしない人なのか。


「先生は?夜ご飯は?」


急に聞かれた質問に、「えっ」と答えると「晩ご飯ですよ」とまた言われた。


「あっ、えっと私は昨日作った筑前煮があるので…」


もっと洒落たメニューを言えば良かった。ビーフシチューとか。なんで筑前煮とか田舎臭いメニューを正直に答えたのだろう。


「あ、今絶対ババァ臭いな。って思ったでしょ」


言われる前に自分から言ってやる。そうしたら少し恥ずかしさが無くなる気がする。そしたら坂田先生は急に笑い出して、


「俺好きっすよ?筑前煮。昔は肉大好きだったんすけどね?やっぱり歳取ると和食とか魚が良いってなるんすよね。だから俺は好きですよ」


なぜか好き≠ニ言う言葉が私の頭の中で繰り返される。最近、男性から間近でそんな言葉を聞いていないからだわ。きっと。


「先生の彼氏が羨ましいわ」


彼氏?同じく歳を重ねる私への嫌味だろうか。学校のせいにする訳ではないがかれこれ3年程彼氏は出来てない。


「?彼氏ですか?…ここ数年居ませんが。ほぼ毎日ジャージを着ている女子力少ない私に彼氏がいると思います?一応ピンクのジャージを選んでますけど」


私だって好きでジャージを着ている訳ではない。管楽器を使う生徒達の肺活量などを考えて体力作りの為に走り込みや運動を吹奏楽部は取り入れているからだ。



「…彼氏居ないんだ。





じゃあ、そのポジション俺が狙っちゃってもいいですか?」


第三者の目から見たら今の私は相当マヌケな顔をしていると思う。理解する事に少し時間がかかった。坂田先生は頬杖をつき、ニコニコしながら私を見ている。


「あ。えっと…あの、坂田先生。あの…」


上手く言葉が出てこないこの状況。すると助け舟の声が私に降ってきた。


「あ‼先生やっと見つけたー‼あれからみんなに付き合ってもらってあのパートを練習したの。ちょっと来て来て‼」


職員室に現れたのは、演奏中私に指導されたアルトサックスの子だった。私の所に駆け足でやって来て、私の腕を掴みグイグイと職員室の入り口に連れていかれる。恐らくこのまま音楽室まで引っ張られていくんだろう。ふと坂田先生の方に振り返ると「いってらっしゃい」と、笑顔でヒラヒラと手を振っていた。



〜♪〜♪♪


「どう先生?出来てるでしょ?…先生?ねぇ、先生聞いてる?」


「あ、ごめん…もう一回いい?」


顧問失格だ。生徒の奏でる音楽よりも今の私の頭の中はさっきの坂田先生でいっぱいだ。

それから20分程指導にあたり、職員室に戻ると職員は半分程に減っていた。坂田先生の姿も無かった。先生が居なくて安心した様な、がっかりした様な気もする。自分のデスクに戻ると一枚のメモ紙が置いてあった。


「?」


そっと手に取って見てみると、その紙には、


お先に失礼します 坂田


お世辞でも決して上手いとは言えない字でそう書いてあった。ふと溜息をついて紙を裏返した。


「‼」


そこには11桁の数字が書かれていた。


「先生どうしました?」


急に背後から他の先生からの声に慌てて、メモをポケットに突っ込んだ。


「な、何でもないですよ‼大丈夫です‼あ、帰りますね、お疲れ様でしたー」


慌てて入れた、私の右ポケットの中のメモ紙は今クシャクシャになっている。


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