「高杉が数学⁉ないない‼」
4人で囲む居酒屋のテーブルをバンバンと叩きながら銀ちゃんは笑い出した。
周りを気にせず大声で笑う銀ちゃんと、
「やめないか、銀時」とそれを宥めるヅラ、「銀時死ね」と不機嫌な高杉と、私。
4人揃って集まるのはいつ以来だろうか。
銀ちゃんからお誘いを受け、幼稚園・小・中・高校と青春を共に過ごして来た、幼馴染のメンバーで集まるのは。
「教員になっていたのは知っていたが、まさか数学とはな」
昔から物事を冷静に捉えるヅラ(たまに羽目外す)は高杉が数学を生徒に教えている事に少し驚いているようだった。
「え?背小さいのに数学?黒板届くの?背小さいのに?」
いまだ小馬鹿にする銀ちゃんは昔からこんなだ。高杉をからかうのが面白くてたまらないのだろう。学生時代からそんな風景はよく見ていた。
「背は関係ねぇだろうがよ、お前そろそろマジで一回死ね」
高杉が毒舌を吐いても銀ちゃんは怒らない。そんな関係が私達には出来あがっていた。
さて私はと言うと、
中学の時、実は隣にいる高杉が気になっていた。しかし、それが恋心だと気付いた中学2年生の夏には既に高杉には可愛い彼女が居て、割って入る事も出来ない私は、好きだったのか未だわからない男子と付き合ったりしていた。すぐ別れたけど。
高校に入ると高杉ともっと疎遠になってしまった。少し悪の道に入ってしまった様で、たばこを吸っている事が学校にばれたり、付き合う友達もちょっと変わっていた。
それでもたまに校内で会えば、銀ちゃんとヅラと連んでいるところも見かけたし、私と移動教室なんかですれ違っても、「相変わらず色白いな。もっと焼けろ」と、色白=美人と思っていた私に対する暴言とも言える言葉をかけてくれていた。
その時一緒に居た友達が、「高杉くんてさー、かっこいいんだけど、ちょっと近寄りがたいオーラ出すよね」と言っていたのを思い出した。
それぞれ社会人になった今は4人がお互い忙しいからか、頻繁に連絡を取り合う事は無かったが、ヅラが年下の彼女にデレデレな事や、銀ちゃんがパチンコが好き過ぎるあまり、パチンコ店の面接を受けた事などそれなりに、情報交換はしてきた。
そしてあの高杉が教員になった事も。
3時間と言う時間はあっという間に過ぎ、私の乗る終電の時間が迫っていた事と、銀ちゃんとヅラが明日も仕事という理由で楽しい時間は終わろうとしていた。
「高杉、しっかりこやつを送り届けるのだぞ」
時折、いつの時代の人間か分からない言葉を使うヅラは高杉にそう言った。
「はいはい、わーってるよ。んじゃ、またな」
その答えを聞くと、泥酔している銀ちゃんを支えながら、ヅラと銀ちゃんは私達とは真逆の道へと歩き出した。本当ならこの後、ヅラは例の彼女と会う予定だったらしいが、あまりにも泥酔しきった銀ちゃんを見て、予定を断念し、 自宅へと銀ちゃんを泊める事にしたのだ。
そんな2人を立ち止まって見ていた私に、「おい、行くぞ」と高杉が言った。
なんか2人だとちょっと緊張するな。
酔いが回っていたせいなのか、心なしか鼓動が早い気がした。
「で、でも…高杉が数学の先生だなんて、アレだね‼」
「アレって何だよ」
「いやー、なんか高杉の事だから楽っぽい保健室の先生とかしてると思ってたから。数学って難しいよね‼あれなんだっけ?サインコサインなんとかってヤツ。あれ結局なんなんだっただろうね」
私がそう言うと、ククッと喉を鳴らして高杉は笑った。
「そりゃ、三角比の一種だ」
「サンカクヒ?」
「…いや、もういいわ」
そんな事も分かんねーのか、と小さい声で言われた。別に分かる、分からないの問題ではなく、会話を繋げる為のひとつだったのに、高杉の中の私に対するバカ数値が上がったらしい。
言ってしまおうか。
どーせ、高杉は酔っ払ってるんだし。明日になったら忘れるんだ。きっと。それなら言っちゃってもいいよね。
「あのね、高杉。実は私、昔高杉の事好きだったんだよね」
「あぁ⁉」
大きく口を開け、高杉は立ちつくす。
「え、気づかなかったの?」
「気付くわけねーだろ、小せぇ頃から一緒だったし…いつからだよ」
「中2位だったかな?あ、でも高杉には可愛い彼女いたもんね。まりちゃんだったっけ?」
「あ?誰だそれ」
眉間にシワを寄せ、あの頃を思い出している様だ。
「え?覚えてないの?元カノでしょ?ほら、2-A組だった、ほわほわした感じのまりちゃんだよー‼」
「いや、全然記憶にねーわ」
それは、本当に記憶にないのか、それとも周りに女が何人もいて、その中の1人に過ぎないと言う意味なのか。後者だとなんかショックを受けそうだったので、聞くのはやめた。
「いやいや、でもお前だって何だっけ?あのサッカー部のキャプテンのヤツと付き合ってた時期あったじゃねーか」
ん?
「どうしてそれを知ってるの?」
「え?」
高杉の顔が固まる。
「私、その人と付き合ってた事誰にも言ってないし、向こうも誰にも言ってないよ。サッカー部顧問から恋愛禁止って言われたからバレると大変だからってお互い誰にも言わないって約束してたんだけど」
高杉は私と目を合わせようとしない。何かこれは隠してるな。
「なーんか、隠してない?」
「隠してない。」
いや、絶対隠してる。視線を右上、左上と交互に移す行動は、高杉が立場がやばくなるとする動きだ。何年一緒に居たと思ってるんだろうか。
今後も活用できそうだから、本人には教えてあげないけど。
「あ、駅見えてきた。あれに乗るの」
会話が盛り上がれば時間が経つのも早かった。気付けば私がいつも利用する駅が見えていた。駅を指差し、高杉の顔を見ると少し挙動不審な感じがする。
「高杉?聞いてる?」
「…ん?あぁ、すまねぇ。あれか」
その返事に笑顔で私は返事を返した。
「高杉のマンションもうちょっと先だったよね?もうここで大丈夫だから」
改札口の所で、高杉と向かい合わせの立ち位置でそう告げた。周りには終電に乗り遅れたくない人々が足早に私たちの周りを通過する。
「今日は楽しかった。高杉に会えて良かったよ。また4人で呑めるといいね」
「じゃあ、またね」そう言って私は方向を変え、歩き出そうとした時だった。
「…なぁ」
「え?」
周りの足音にかき消されそうな小さい高杉の声がして振り向く。
「お前が嫌じゃなかったら…」
「え?何よく消こえない」
手を耳に添え、ありきたりな手法で高杉の声を集めてみる。一旦離れかけた距離をもう一度縮めた。
高杉は私の目を見ようとはしない。自分の足元に視線を落としたままだ。
「ごめんね、何だった?」
「…」
「ねぇ、高杉?」
「嫌じゃなければ、お前に教えてやってもいい」
教える?何をだろうか?数学?
「数学以外の事。俺の事全部。それ以外の事も」
私はそこで彼が何を言いたいのか理解した。そうか、高杉は高杉なりに頑張って誘っているんだ。なぜなら握り締められている高杉の右の手が微かに震えている。
「来るか?まだ話したい事がたくさんある」
やっと私の目を見てくれた高杉は笑っていない。彼は真剣なのだと確信した。
終電発車まで3分をきった。乗るにはまだ間に合う。
なのに、私はその電車には乗れなかった。いや、乗らなかったのだ。
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