ずっと、ずっと君が、




好きだったんだ。







なんと言う事だ。簿記の授業に限って大事な電卓を忘れるなんて。あんな桁違いな数の並びを足し算と引き算の連続を暗算なんて、出来やしない。そろばんだって習ってないし。

終わった。簿記の先生は学校一厳しいと言われる先生だ。しかも、忘れ物には特に厳しい。人から借りる事さえも許されないのだ。それがバレると貸した者にも制裁が与えられる。鞄の中を隅まで探してみたが、やはり見つけだす事は出来なかった。


「山崎ィ、電卓忘れたんですかぃ?」


約9.5割「何か面白そうな事が起きるぞー」と物語るテンションで沖田君が話しかけてきた。彼は見た目はアイドル級だが、中身が腐っている。それはもう例え様が無い程にだ。

以前、彼と仲の良い坂田先輩が電卓を忘れた時に先生から与えられた制裁の現場を笑いながら写メを撮っていた。最近の若い子はすぐに画像に収めたがるからいけない。

あ、俺もまだ若いか。

ニヤニヤしながら近付いてくる彼は、俺の動きを見て、電卓を忘れたと確信したのだろう。面倒な相手に見つかったもんだ。あー、俺も沖田君に写メを撮られるのか。そんな場面を想像していたが…


「山崎くん、電卓忘れたの?」


目を向けると、席が斜め後ろの彼女が声をかけてくれた。頭を右に傾げている。


「あ…、えっと、そ、そうなんだ。参っちゃうよー。次はあの先生の授業なのにね」


ははは、と俺は言葉を続けて頭をかいた。それを聞いた彼女は自分の机の中に手を伸ばし、何やら物色を始めた。すぐに机から引き抜いた手には電卓が握られている。


「これ、良かったら使って?」


彼女ももちろん、共犯となれば自分にも罰が与えられる事を知っているはずだ。そんな事知っている以上、俺は快くそれを受け取る事は出来ない。


「いや…だってあの先生だよ?バレたら君が…」


「沖田くんが内緒にしててくれれば大丈夫だよ。ね?沖田くん?」


俺と彼女とのやりとりを側で見ていた、沖田君に彼女は問いかけた。


「みんな誰も山崎くんが電卓忘れたって気づいてないから、沖田くんが内緒にしてくれたら先生にもバレないよ」


彼女の言う通り、周りはスマートフォンをいじる生徒、談笑する生徒達で賑わっているから誰も俺が忘れ物をした事には気付いていないだろう。


「ね?」


彼女は沖田くんに賛成を求めると、


「あんたがそう言うんなら、黙っといてやりマサァ。」


いやいや、何、その顔。何なのさ、沖田君のこのにこやかな笑顔。知らない人からすれば王子様スマイルだけど、中身を知ってる俺からするとゲテモノ以上だよ。

え?いや、これ絶対沖田君も好きだよね?彼女の事、気に入っちゃってるよね?

新たな事実に気付いた俺はポカンとしてしまった。沖田君の答えを聞いた彼女は「ありがと」と、返事を返し俺の机に電卓を置いた。


「私、次の授業音楽を選択してるから電卓使わないし。使ってね?」


そう告げると、音楽の教科書を抱え、彼女を待っていただろう女友達と音楽室へ向かって行った。俺の机には大事に使っているのが伺える傷の少ない電卓が置いてある。


「山崎ィ、抜け駆けは無しですぜぃ?」


沖田君は俺の肩をポンと叩くと、怪しい笑顔を向け、自分の席に座った。

目が笑ってないんですけど?

やっぱり彼女は思った通り競争率が高い様だ。学校一ひょうきん者の坂田先輩も気に入っているという噂があるし、不良グループの高杉君もどうやら彼女を狙っているらしい。それに今日、沖田君が参戦してきたのだ。
地味の取り柄しかない俺には到底勝ち目は見えない。彼女が俺に電卓を貸してくれた嬉しさと、改めて確信した彼女の人気ぶりに心が落ち込み、簿記の授業はまったく身に入らなかった。








「ごちそうさま」


今日の夕食は好きなメニューだったのに、あと少しが食べられずに残した。母さんは「どこか調子悪いの?」と心配する。そりゃそうだ。いつもはおかわりまでする好物を残すのだから。

「ううん、大丈夫だよ」と、笑顔を作って玄関に向かう。コンビニ行ってくるね、と伝え家を出た。いや、特にコンビニに用がある訳じゃないんだ。
自分はもう気付いている。これが俗に言う恋煩い≠ニ言う病気であることに。
家に居たってこのすっきり晴れない気持ちは無くならないし、かと言って、外に出たって変わらない。

ライバルがみんな強すぎるよ。

気付けばもうコンビニ付近まで歩いていた。角を曲がればすぐそこだ。







「あのっ!本当に困りますっ!」



角の向こうから、数人の男と女の子の者であろう声が聞こえる。俺は足音を立てないようにそーっと、覗きこむようにして、様子を伺った。


「!?」


彼女が3人の男に囲まれている。明らかにナンパをしている様だが、度が過ぎている。彼女は泣きそうな顔で「やめてください」と言っていた。

あの3人組を俺は知っている。隣の男子校の不良グループだ。男子校で出会いがないという理由で可愛い子を見ると、手当たり次第声をかける事で有名だ。


「ねー、ちょっとそこの車に乗ってくれるだけでいいからさぁ」


路肩に停めている車を指差し、彼女を乗せようとしている。

周りを見回しても誰も居ない。俺しか助けてあげられる人間は居ないようだ。

しかし、俺は勝てるだろうか…
彼女を気に入っているひょうきん者の坂田先輩はああ見えて喧嘩が強いし、高杉君だって喧嘩慣れしている。俺はどうだ?ミントンと地味しか取り柄のない俺があの3人に勝てるのか?俺は…





いや、そんな事考えている場合じゃないだろ‼


「やめろ‼彼女が嫌がってるだろ‼」


4人の動きが一斉に止まり、視線が俺に集まる。「山崎くん…」と彼女が小さく名前を呼んだ。


「あ?誰だお前」


その中の一人が案の定、食ってかかって来た。その気迫に少し後ずさりをしてしまった。


「お、俺は…‼」


彼女の何だと答えれば良いのか?友達というポジションにいるが、ここで「友達だ‼」と言うのは実に情けない。しどろもどろしていると、胸ぐらを捕まれ「邪魔だ、あっち行ってろ」と左頬にストレートをおみまいされた。


「山崎くんっ‼」


その勢いで地面に倒れこむ。少し眩暈を感じた。咄嗟に地面と身体を支えた右の手の平に擦り傷が出来た。微かに口の中は鉄の味がする。俺を殴った男は彼女の肩を抱いて、車へと歩き出す。


「行きませんっ‼離してっ…山崎くんっ‼」


彼女は顔をこちらに向け、必死に俺の名前を呼ぶ。








「…待て」


男は立ち止まり振り返ると、「あ?」と一言だけ口にした。


「待てって言ってんだよ‼」


その言葉と同時に走り出した俺は助走を付けて、同じく右ストレートで殴りかかった。
今まで喧嘩というものを経験してこなかった俺が何かの衝動に駆られた様だ。それは彼女を守りたいと思う気持ちだけで発動したらしい。体は無意識に動く事が分かった。





「あ‼こっちです、こっちです‼」


その声の方をみると、すぐそこのコンビニの店員が警官らしい人を手招きしている。どうやら、コンビニ店員が喧嘩が始まったと思い通報したらしい。


「やべっ‼おい、逃げっぞ‼」


3人組みは警官を見るや否や、踵を返し、一斉に散った。1人は車の所有者だろう。車に乗り込み、猛スピードで消えていった。


「後でしょっぴいとくか」


黒髪の警官は帽子のつばを触りながらそう言った。「大丈夫か?」未だ地面に座り込んだままの俺の腕を掴み、彼は砂埃のついた俺の服をパンパンとはらった。

コンビニ店員は警官が駆けつけてくれた事に安心し、「じゃ、後はお願いします」と言い、駆け足で仕事に戻って行った。何も喋らない俺に警官は「あいつら、よく面倒事起こすんだよ。またナンパ失敗したみてーだな」と呆れた様に話す。

少し離れた場所で立ち尽くす彼女と俺を交互に見た彼は、俺にしか聞こえない小さい声で、


「好きな女の為の喧嘩なら俺は賛成だ。しっかり守ってやれ」


そう言った。じゃあな、と肩をポンと叩いて、いつの間にか落ちてしまっていたであろう「土方十四郎」と言う名前のかかれた警察手帳を拾うとパトカーに乗って行ってしまった。


「…山崎くん」


背後からそう聞こえたが、俺は彼女の顔を見る事が出来なかった。結局、人に助けてもらったのだ。そう思うと悔しさが混み上げて来て、言葉を発する事ができない。


そんな中、「着いたよーん‼」と、車の運転席から明るく手をこちらに振る女性がいた。「お姉ちゃん…」と、彼女が呟く。そういえば、彼女の手には塾の鞄らしき物がある。恐らく、塾が終わりお姉さんの迎えをまっている間に奴らに絡まれたのだろう。


「…俺、帰るね」


「え…、山崎くん⁉」


俺は彼女の言葉も聞かずに俺は走り出した。目的地なんて何も無い。ただ情けない俺を彼女に見られたく無かったんだ。




気付けばそこは河川敷だった。走り疲れ近くにあったベンチに座る。まだ少し口の中に鉄の味が残る。初めて殴り合いの喧嘩と言うものをした。あの時、間に入る事に躊躇したが彼女を助けなければという気持ちが大きかったのは間違いない。アドレナリンが出ていたのか?殴られても痛いと思うことは無かった。痛みに弱い俺がそう思うという事は、そう俺を動かせた彼女の存在は計り知れない程に巨大なのだろう。

じゃあ、さっきの自分は本当に情けなかったのか?いや、むしろ誇らしいと思うべきじゃないか。ただ、守りたかった≠サれだけで十分じゃないか。あの時の警官も言っていた。しっかり守ってやれ≠ニ。その想いだけでいいじゃないか。



俺は決めた。



彼女に想いを伝えよう。












とは決めたものの、なかなか誘うタイミングを掴めず、気付けば部活生が活動する時間になっていた。「このままだと彼女が帰ってしまうよ」心の中は焦っている。顔の向きは変えず、そっと黒目だけを彼女に動かした。何か、鞄をあさっている。すると彼女は一緒に帰るであろう友達に両手を合わせ、「ごめーん、移動教室した所にペンケース忘れたみたい。すぐ行くから靴箱で待ってて」と言い、友達からの了解を得て教室を駆け足で出て行った。


今だ‼今しかチャンスはないぞ、頑張れ、俺‼



自分自身で士気を高め、彼女の後を追った。
彼女が生物室に入って行くのが見える。長い廊下を足早に歩き中を覗くと、彼女が窓際に並んでいる1番後ろの机からペンケースを取り出している。


「あの…」


彼女が振り向く。教室に入らず、廊下から声をかけてしまった。


「あ、山崎くん…昨日は、」


「俺の話を聞いて欲しいんだ」


言葉を遮った。彼女はなんとも例えようがない表情をしている。困った様な、不安そうなそんな顔だ。


「昨日はちゃんと助けてあげられなくてごめん。…情けないところを見せてしまって」


彼女は何も言わず、首を左右に小さく振る。


「でも、分かったんだ、…君が好きだって。これからもっともっと強くなるから、君を守らせて欲しい」


はにかんだ笑顔を彼女は見せてくれた。俺はもっと沢山この笑顔を見たいと思った。


「こんな俺で良かったら、付き合っ」


「あ、山崎ィ。みーつけた」



え?


悪魔の声がする方向を見ると、沖田君と坂田先輩がいた。この廊下の数十メートル先に立っている。二人は歩きながらこちらに歩み寄ってきた。


「いやー、ちょーど良かったよ、山崎くん。いやぁね、ミントンしようと思ったんだけどネットの張り方が分かんないのよ。やってくんない?え?一緒にミントンしたいだって?いいよー、やりましょう」


え、待って?俺、一言もミントンしたいだなんて言ってないよね?


「いや…あの、俺今…」


沖田君が俺の腕を掴む。丁度、二人から彼女の居る位置が壁で隔たれている為、その存在に気付いていない。「ほら、行きやすぜィ」強い力で引っ張られ、その場で踏ん張るが力及ばず。

あぁ、俺の告白が台無しだ。
沖田君に捕まり、引っ張られ。視界から彼女が消えそうな時、俺は見たんだ。

彼女の口が小さく動いたのを。

読唇術と言うチカラをもってはいないが、
確かにその唇はこう言ったんだ。



「わたしもすきだよ」




坂田先輩より、高杉君より、沖田君よりも最強の人間がここに存在した。


俺はその言葉で一撃、即死した。


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