日記

▽2017/05/25(15:48)

デフォ名:永山氷雨
 その日、目の前で薔薇の花が咲いた。
 比喩ではない。前方に人影があったと思いそちらに何の気なしに目を向けると、目の前で大輪の薔薇が咲いたのだ。思わず帰路についていた足を止めてその薔薇をまじまじと見詰める。その薔薇は人の手で私の眼前に突き付けられているようだった。薔薇から視線をずらして視界に薔薇を咲かせたらしい誰かを見ると、背の高い美丈夫が瞳を輝かせて立っていた。よく見るとその服装は同じ学校のアイドル科のものだ。納得の美貌である。
「どうぞ」
 呆けている私に目の前の男子が促してくる。どうやらくれるらしい。よく分からないまま「はあ、どうも」と間抜けた礼で受け取った。ほわりと甘い芳香を放つそれと男子を代わる代わる見ていると、男子は芝居かかった動作で腕を広げる。
「先ほどの舞台を拝見いたしました。いやはや実に素晴らしい主演女優振りに私、他人の演技で初めて感動を通り越して恐怖心すら抱くようでしたよ……あんなにも往来の台本に忠実な台詞で極悪にシンデレラを、それに違和感を抱かせず忌諱を許さず舞台に観客の意識を取り込んでいくあの演技! 今でも胸の高鳴りが止まりません! たった一度! あのたった一度の舞台で私はあなたのファンになってしまったようです! 実にAmazing!」
 彼のわざとらしく抑揚が激しい語り口はどんどん大きくなっていく。演劇科の、そして演劇部の私としては実に有り難いものであるその賛辞は、往来であることもあり非常に肩身が狭い。同じ舞台帰りの部員達が何だ何だと此方を擦れ違い様に見ている。
「嬉しいけど、今回は特別に主役を貰っただけで普段は端役だから次を期待したらがっかりするよ」
「でしょうねぇ。あなた、異質ですから。下手に名のある役だと主役を霞ませ、今回のように主役を張れば周りを塗り潰す。輝きは一瞬だけの端役以外に使い道がありませんよ」
 期待外れと言われないために予防線を張ると、意外なことに私の予想していない方向性での納得顔が返ってきた。しかしそれはどうだろうか。私はただ何でも自分らしいままになりたかっただけでその結果として周りの演技がどうとかは特に見たことはなかった。だから彼の言葉が事実に対してどうであるかは分からない。返答に困りちょっと笑って小首を傾げると、彼はにこーっと笑いわざとらしく身体ごと大きく傾げて見せた。
「ですがあなたが遠慮する必要はありませんよ! 高みを目指す意思は、そして高みへ上れる才能は宝! 刺激を受けて驚きを放ち今よりも高みにあるステージへ上った先にこそ文化や種族の進化と発展はあるというもの!」
 何やら宗教のようなことを言い始めた彼に私はへえともはあともつかない相槌を入れる。語り口調も動作も何処か芝居染みている辺り、アイドル科の彼も部活かドラマ出演か某かで演技に携わっているのだろうか。制服の上から分かる範囲であるが、身体作りもしっかりしているようなので需要はありそうだ。じっと彼の話す様を見ているとわくわくしてくる。彼の舞台上での輝きは、どれほどのものなのだろうか。そんな気持ちがつい零れた。
「君との舞台は楽しそうだね」
「故に役者は……おんやぁ?」
 語り続けていた彼は私の言葉に動きを止めて、口元に笑みを浮かべたまま目を丸くして私を見詰め返す。そうして暫くして彼は一瞬すっと口元の笑みを消すと、次にぱっと満面の笑みを作った。私の両肩を掴んで動きは落ち着きなく、今にもその場で跳ね出しそうだ。
「ええ、ええ、そうですとも! 私との舞台は楽しいですよ! 愛と驚きをお約束しましょう! フフフ、嬉しいですねぇ、喜ばしいですねぇ、ファンになった役者と同じ舞台に立てるなんてこの上ない幸せですよ……☆」
「機会があればね」
「何を仰る! 機会とは作り、手に入れるもの! あなたが一言、私との舞台を望んだ今この時から機会は生まれるのです! さあさあ、つきましては部長さんとお話を」
 それから勢いに押されるままに彼を部長のところへ案内して話を聞いたところ、どうも彼はアイドル科の演劇部らしい。彼が客演という形で、彼が人魚姫、私が王子の『人魚姫』を演じる運びになった。性別的に逆じゃないかとか客演の立場に主役やらせていいのかとか思う所はあるが部長がノリノリなので多分押し通すのだろう。備長炭の擬人化ヒーローショーとかやった人だし。

(本編1年前の春に出会った話)

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