日記

▽2017/06/14(15:32)

(戯言シリーズ)

 実につまらない、普遍的な人生だと思う。
 適度に楽しく、適度に辛く、適度に立ちはだかる困難を適度に乗り越える。そしてそれらに対していちいち適度に笑い、泣き、困り、怒る。そんな普遍的な人生。私の短いこれまで大体二十年くらいの人生は、振り返ればそんな感じだった。
 そう、再確認するまでもない。私は不特定多数の人間から著しく特出するようなスペックを搭載していないし、不特定多数の人間から著しく逸脱するような歪んだ精神を持ち合わせているわけでもない。全てが個性や個人差の範囲に収まる、特徴もないすっごく平凡な一市民だ。

 だから、こんなことがあってはいけない。

 ほんのちょっと夜中に家を出ただけで殺人現場に居合わせて、しかもそれが今ここ、京都に出没している無差別連続殺人鬼と同じ刃物による解体死体で、尚且つ振り返った犯人と目が合って、さらっと「あー、もしかしてこの道通んの? 悪いね、散らかして」なんて話し掛けられる。そんな平凡の逆を行く状況が在ってはいけないし、平凡な日々を生きる私がこんな状況に遭ってはいけない。
 そう。遭っては、いけない。

「……いや、私は回り道をするから別にいいけど、これは車の人とか困りますよ」
「知らずに通って朝見たら血や肉片がタイヤにべっとりってか」
「そして真っ青になって『大変だ、人をひき殺してしまった。昨日は飲み過ぎていたから……ああ僕は何てことを。自首しないと!』と勘違いのまま自首」
「かはっ! そりゃあ傑作だな!」
「陳腐ですけどね」

 だから私は普通を演じて会話に興じた。私が騒がなければ、そして殺されなければ、これもまた、個性や個人差で収まる程度の平凡な日常に違いはない。

「……あー。おねーさんさあ」
「はい?」
「オレが言うのもナンだけど、こういう時は必死に逃げるモンじゃねえ?」

 生憎とこういう時に今まで出会ったことがない私に、殺人犯は呆れたように頭を横に振りつつアドバイスをくれる。うんうん、何と親切な人だ。殺人犯だけど。

「じゃあ、逃げた方がいいのかしら。何だかタイミングを逃しちゃったし、今更逃げるっていうのも随分間抜けな絵面ですよね」
「オレはおねーさん殺す気はねえから、今回は逃げなくていいだろ。ただ、今後オレみたいなのに会ったら逃げた方が身の為だろうな」
「じゃあ次回からそうします」

 この殺人犯は私を殺す気はないらしい。じゃあやはり、これは日常の範疇内なんだろう。最初はこんなことがあってなるものかと思っていたが、いやはや、蓋を開ければいつもの日常だったとは。予想も付かなかった。
 しみじみと思いながら頷いていると、殺人犯は変なものを見る目で私を見ていた。

「何でしょう」
「いや……何つーか、うん。アンタはきっと眠いんだ、それか疲れてんだな。だからそんなぽややんとしてんだ。ほら、家に帰れ。んで、早く寝ろ」

 しかも入眠まで促されてしまった。この殺人犯、いよいよ唯のいい人だ。

「そうですね。では、帰って早く寝ます。それじゃあお休みなさい、おにーさん」
「おう。お休み、おねーさん」

 次の日のニュースで、京都連続無差別殺人事件の被害者が一人増えていた。いやはや、物騒な世の中になったと思う。



 ***



 大学の食堂で、少しの間見なかった姿を見付けた。巫女子さんを向かいに食事をしている彼の隣に、牛丼を乗せたトレイを置く。彼がほんの少し目を上げた。

「久し振り、いっくん」
「……ぼくは自慢じゃないが記憶力が相当悪い」
「そうだね。私のこと分かる?」
「まあ流石に。それに君からそんな呼び方をされていなかったのは辛うじて覚えてるよ」
「でも構わないでしょ」
「まあ構わないけどね」

 そしてご飯に目線を戻すいっくん。葵井さんが呼んでいて妙に面白かったので倣ってみるとやはりというかなんというか、彼は大して気にしていない様子だった。
 因みに以前は「いのにー」と呼んでいたりする。知り合いが彼に付けたニックネーム(いの字といー兄)をミックスした結果だが、その時はかなり微妙な顔をされていたと思う。

「組み合わせが珍しいね」
「ああ、うん……確かにぼくは一人派なんだけどね。どうやら巫女子ちゃん、智恵ちゃんの誕生日会にぼくを呼びたかったらしくて」
「ほーん。来るの?」
「まあ、そういうことになるね」
「そかそか。当日は私も行くから適度に宜しく」

 言いつつ牛肉の上の卵をぷつりと潰す。黄身を絡めた牛肉を口に入れて咀嚼。うん、美味しい。流石少しばかり値が張るだけはある。

「つまり六人? それとも他に参加者がいたりするのかな」
「六人六人。江本さん、葵井さん、貴宮さん、宇佐見くんの仲良し四人組と、江本さんの推薦枠で私と、葵井さんの推薦枠でいっくん。他二人の推薦はなしってことで計六人」
「……って、え、ちょ、ちょっと待って! 二人は何でそんなに仲良しさんっぽいのかなっ! も、もしかしてもしかしなくてもいっくんと知り合いなのかなっ!?」

 ふうんと気のない返事をしたいっくんと唐突に騒ぎ出した葵井さんを見て、そういえば葵井さんはいっくんが好きらしいと思い出す。
 現に知り合い伝いに知り合いだと言った所、酷くショックを受けている様子だった。私は年下趣味だからと言ったら立ち直っていたが。因みに心境は「模範囚を早期に仮釈放。ただし囚人は二重人格みたいな……」らしい。

「そう言えばいっくん」
「ん?」
「こないだ萌太くんと崩子ちゃん連れて遊園地に行ったんだ。これお土産」

 鞄からボールペンの入った袋を取り出して差し出すと、いっくんは不思議そうにしながらも受け取ってくれた。

「二人からも貰ったけど。チョコレート」
「うん。あれは二人からでこれは私から。萌太くんのバイト代と崩子ちゃんのお小遣いから出てるから、そのチョコは有り難く食べるように」
「なるほど」

 納得したいっくんは袋の中身を見ることもなくポケットに納めた。ありがとう、と儀礼的にお礼を告げられる。多分あのボールペンは使われないだろう。袋から出してもらえるか……いや、ポケットにあることを洗濯前に思い出してもらえたら御の字だ。

「えーっと、渡したし話したし用事は終わりかな。それじゃあ会えたらまた明日、会えなかったらまた週末。葵井さんもね」
「うん」
「えっ。あ、う、うん! またね!」

 かっかっかと牛丼を掻き込んで私は食堂を後にすることにした。いっくんは愉快な奴だが、だらだら語らいたい奴ではあってもだらだら一緒にいたい奴ではない。葵井さんも同じく、長時間の会話向きなテンションではない。
 トレイを持って食器を返しに行くその寸前。私はどうしても気になっていたことを思い切っていっくんに訊くことにした。

「最後に一ついいかな、いっくん」
「いいよ、何?」
「何でキムチ丼をお米抜きで食べてるの?」
「あう」

 どうやら痛い所というか訊かれたくないことだったらしい。訊かなかったことにした。

(日々是平穏也)

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