パラダイム・シフト



「いらっしゃい〜」

「相変わらず暇そうだな」

「良く言うよ、態々私が仕込みしてる時間に来るくせに」

ドアベルを響かせて店内に現れたのは、見慣れた金髪にグレーのスーツをピシッと着た降谷さん。ぐるりと店内を見回し誰もいないことを確認したのか、慣れた様子でカウンター席に腰掛けいつもの、と口にした。少しだけクマが酷いように見えるのはきっと気のせいじゃない。お湯を沸かす間に裏口の鍵を開けておく。彼の好みに合わせて淹れた珈琲と珈琲請けを差し出した。ふう、と一息ついている降谷さんを見ながら、扉にかかったプレートをCloseの面が通りに向くようにひっくり返す。

「アルツーラ、好きだよね」

「息抜きするには丁度いいからな。15時になったら奥の席を使う」

「はいはい、お好きにどうぞ」

今では勝手知ったる様子の降谷さんに初めて会ったのは、まだアルバイトで喫茶店に出入りしてる時だった。マスターに頼まれて珈琲豆の買い付けに行ったその帰り道、今日はサービスだよと顔見知りであるトニオさんからすごく珍しい豆を横流ししてもらってホクホクしていたのだけれど、市場を出て駅に向かう道で金髪のイケメンに呼び止められた。めっちゃイケメンだけど何処か棘があるその人は、私が貰った豆を睨んでいる。え、欲しいの?あげないけど。

「えーと…何か?」

「すみません。今お手元にあるそちらの袋、渡してもらえませんか」

「嫌です」

あまりに直球で来たので即答で返した。イケメンの顔が歪み、そして重苦しい息を吐き出す。そんな残念そうな顔をしてもあげません。この珈琲豆、正規で買ったら一体いくらすると思っているんだ。私とトニオさんとマスターの信頼関係の賜物で手に入れた豆なのに、どうして見ず知らずの人に、しかも無料で渡さなければならないのか。

「どうしても此方に渡さないと?」

「欲しかったらご自身で購入することをお勧めします。それに私はお使いを頼まれただけなので、一個人の判断で渡せるものでもありません」

怪しい雲行きに、それじゃあ、とそそくさとその場を後にしようとしたけど無理だった。腕を取られて担がれると、そのまま近くに止められていたバンの中に放られる。幼気な女子大学生に対して酷くない?え、私このまま連れ去られるって寸法かしら。親いないから身代金は望めないよ。あまりの展開に思考はまともに働いてくれず、もし誘拐されたらマスターに連絡いくのかな、と余計なことばかり頭に浮かぶ。そんな私を余所に、金髪のイケメンは耳につけたインカムで誰かと連絡を取っていた。二言三言交わして通信を切った後、暗い車内に2人きり。鋭い眼光が自分に向けられる。全てを見透かそうとするそれは絶対に一般人に向けられるものじゃないので、自分が知らないうちに何か不味い沼へ足を踏み入れたのだと何となく分かった。ただお使いに行っただけなのに、とんだ貧乏くじを引いたものである。

「そちらの中身を確認させてください」

「…お兄さんは警察の人ですか?」

「ええ。これ以上拒否するようであれば実力行使も厭わない」

「…お店に帰ってからじゃダメですか?」

彼がこの袋の中の何を確認したいのか分からないけど、珈琲は湿気と酸化に弱い。できることならコンディションが保たれたお店で開けたいのだが、否応なく却下された。

「じゃあ理由を教えてください。私にも知る権利があると思います」

「本当に分からないのか?」

「さっぱりですね。だって私は珈琲を買い付けて、珍しい豆をおまけして貰っただけなのに」

「あまり捜査情報を漏らすのは適切じゃない。君が本当に巻き込まれただけかどうかは此方で判断する」

そう無残に切り捨てられて袋を取られた。ありえん。そうして私から取った袋を何の躊躇いもなくザバーッとひっくり返すのだから、目が飛び出るかと思った。その豆で淹れた珈琲、一杯いくらすると思ってんの。せめて綺麗な布の上で出してよ!

「あ!ちょっと!何してくれたんですか!一杯8000円もする豆をぞんざいに扱うなんて!珈琲に謝れ!」

「邪魔するな。珈琲豆なんてどれも同じだろ」

「人間と一緒で個性があるんです!これだから仕事人間の素人は!!滅多に手に入らない希少価値のある豆なのに!」

怒る私と念入りに袋を調べるイケメン。その後目的のものを見つけたのか、ぽいっと袋だけ放られた。彼が何処かに連絡してる間、一粒一粒丁寧に拾った豆をお家に返していると、再び、おい、と呼ばれたけど無視だ無視。私は今豆拾いで大変忙しい。

「遠路はるばる海を越えてきたのに…可哀想に…」

「…おい」

「どっかの誰かさんのせいで、現地の人の苦労も水の泡だよ…汗水流して摘んだのにさぁ」

「…悪かった。君が白なのは分かったから協力してほしい」

「嫌です。私にとって珈琲愛がない人は敵です。お家に返してください」

「その豆は何ていう種類なんだ?」

「ブラック・アイボリーですよ。タイで採れるんですけど、象のフンから見つけ出すんです」

「…あまり飲みたくない豆だな」

「ジャコウネコと一緒ですよ。ちゃんと処理してあるし品質も衛生面も問題ありません」

きっと一回飲んだら癖になる。そう説明してもやっぱり敬遠したそうな表情をされたから無理には勧めない。飲みたい豆でおいしく飲むのが一番だから、私の好みを押し付けるのもね。とまあ、豆の話になっちゃったけど、それでも金髪のお兄さんは満足そうに私の話を聞いていた。全く何が何だかさっぱりだ。

「成程。協力感謝する。もう帰ってもらって構わない」

「…帰っていいの?」

「あぁ。問題はない」

「あそ?じゃあ、二度と会わないと思うけどお元気で」

バンから出してもらい珈琲豆を抱えて家路を急ぐ。この後、麻薬密売人検挙の餌として使われるとはこの時はまだ知るはずもなかった。アレを返せと、襲いかかってきたトニオさんの息子に殴られそうになったところを、駆け付けたイケメンが右ストレートで迎え撃ち事なきを得るのだが、囮として使われたことに私が憤慨することになるのは想像に難くないだろう。何でもトニオさんから頂いた珈琲豆の袋には警察に当てたメモと仲間同士で使う密売場所が書かれていたらしく、私を使って本命を泳がせることにしたらしい。トニオさんも警察もそういう事は教えておいてよ。お陰で凄く怖い体験をした。私の代わりにマスターが本気で怒ってくれたので、あの場はとりあえず収まったけれど、自慢ではないが未だに根に持ってる。それからだ、このお店に公安の人たちが出入りすようになったのは。それは私がマスターからお店を引き継いだ今でも続いているというか、隠れ家スペースを設置した今では酷くなっている。今動いている人で顔知らない人はいないんじゃないかなってレベルだ。どうなの?これ。顔隠してる公安としてはよろしくないんじゃないかな。

「なまえ以外に知られなければ大きな問題ない」

「そういう問題?でもさ、お店を連絡手段に使うのは止めてほしいなあ」

「ここは邪魔な視線がないからな…重宝している」

知る人ぞ知る喫茶店であるため大衆の目に晒されることは確かにないし、新入りもすぐ分かる。そのせいか彼の部下もここを気に入ってくれたようで、即席の会議場としてだけでなく各々空いた時間で来てくれるので売り上げ貢献してくれてることには感謝している。でもね、何だか公安に私物化されている気がしないでもない。

「持ちつもたれつだと思えば安い。感謝しろよ、俺のおかげで客足が増えただろう?」

「ポリス系のね。厄介事も増えたよ」

肩をすくめれば鼻で笑われる。そうこうしているとスタッフルームの扉が開いて、これまた降谷さんつながりの常連が顔を出した。裏口の鍵を開けておいて正解。風見さんと油井さんくらいだよ、当たり前に裏口から出入りするのは。お疲れ様です、と降谷さんにのみ礼儀正しく挨拶をした風見さんは、ついっと私に目を向けるといつものを持ってこいとぶっきらぼうに言う。この扱いの差はいったい何だろう。私は君の部下ではないよ、風見さん。

「なまえ、久しぶり〜。俺今日モカブレンドね」

「了解〜降谷さん、今の風見さん見た?もう少し愛想よくするように教育してよ。油井さん見習ってさ」

「愛想ないと組織の中ではやっていけねーってよ、風見ちゃん」

「光はありすぎだ。風見は潜入捜査はしないから愛想がなくても問題ない」

「お前に愛想振りまいたところで、我々には何のメリットもないからな」

「うわ〜…そんなにとげとげしてたら良好な人間関係は築けないよ、風見さん」

「仲間と信頼関係が築けていれば問題ない」

「…風見さんってプライベートでお友達いる?」

「さあな。そこまで俺が知るわけないだろ」

「風見はかったいからな…俺たちくらい?」

ケラケラ笑う油井さんに、何気に風見さんがショックを受けたような顔してるのは気のせいかな。そうして3人が隠れ家スペースに移動したところで、プレートを元に戻した。待ってましたとばかりにお店に飛び込んできたのはやっぱり公安の人だった。店に入るなり、どん、と大量のタンブラーがカウンターに置かれる。え、これちゃんと洗ってきてるよね?流石に洗浄からだと追加料金取るよ。

「なまえ!持ち帰りでよろしく!!」

「多っ?!何人分のタンブラー?!」

「今大詰めでさ〜徹夜続きで中々外出れないわけ。眠気から俺たちを救ってくれ…」

ここの珈琲じゃないと頑張れない、と言われたら動くしかない。待っている間、ここの珈琲は警視庁内で有名だとか、ほかの部の人が喫茶店の場所を知りだがるけど内緒にしていると聞かされて、これ以上警察関係者が増えないことを祈るばかりだ。上司が厳しくてと泣く泣く話しているけど、いいのかな。近くにその上司3人組がいるよ。あとで何か言われても私のせいにしないでくれ。せめてもの癒しで珈琲を一杯ご馳走してあげたら、めっちゃ喜んでくれた。大量の注文をこなし彼を見送った後、休憩がてら大きく伸びをしていると、再び扉が開いてお客さんが入ってきた。今日はお客さんが多い。

「ここか…噂の喫茶店は」

「めっちゃアンティークで懐かしい感じだなぁ。とりあえずブレンド二つでよろしく〜」

店内を見まわした後カウンター席に着いた二人組。天パでサングラスの男性とへらっと笑う優しそうな男性。言わずもがな、後々の松田さんと萩原さんである。初見だったので取り合えず嗜好に合った珈琲豆を探すことから始めたのだが、それぞれ気に入りの豆を見つけたらしい。提供した珈琲をほめられお店をほめられ、新規のお客さんの開拓に成功したのだが、彼らが爆発物処理班に籍を置いていることを知るのはもう少し後。こうして今日もまた、警察関係者は増えていくのであった。

title by プラム