たのしいお壊しの時間だよ



これの続き

飲み比べなんて最初からなかった。1人に手酌したらわらわらとグラスを出されて、なにこれ飲み屋のママみたいなんだけど、と思いつつ言われるがままにお酒を注いであげること1時間。元々お酒に強いわけではない上に、あれが美味い、これも飲んでみろと勧められるがままお酒を飲んでしまい、何だかふわふわするなぁと思ったところで記憶が途切れた。

***

なまえの変化に最初に気付いたのは松田だった。飲み比べも崩壊し各々が好きな酒を好きなつまみと一緒に嗜むようになった頃、ぴたりとなまえがグラスを持ったまま動かなくなり、そのまま見守っていたらゆらゆらとゆっくり身体が揺れだした。

「おいなまえ、大丈夫か?」

「ん〜?」

「もう止めとけ。飲むならこっちにしな」

代わりに水を渡してやろうと、持ったままだったグラスに手をかけるが嫌々するように首を振る。唸りながらもグラスを放さないあたり、まだ飲む気らしい。終いには人の顔を見てケラケラと笑い出すその顔は完全に酔っ払いである。

「ふふっ…じんぺーさん、心配しすぎ〜」

名前呼び、だと?ピシリと固まった松田。それだけで楽しいのかやはり笑うなまえ。いや待て、落ち着け陣平。ただ名前を呼ばれただけで何を動揺している。止めてくれ、なんだその無防備な顔は。未だかつてそんな表情を見たことがない。箸が転がるだけで楽しいお年頃のなまえに対し、気を引き締めちょっと強く引っ張れば倒れこんできそうな柔い身体から極めて慎重にグラスの奪還を試みる。

「そろそろ止めとけっての。お前相当酔ってるだろ」

「酔ってない!返してー!じんぺーさんの意地悪!」

「酔っ払いは皆そう言うんだよ!取り敢えず水にしろ!」

グラスを取り上げられたなまえは、反対側へ行ってしまったそれを取り戻そうと松田の膝に手を置いて身を乗り出し必死に縋りつく。いつもよりパーソナルスペースが狭いが、そんなことを気にしている暇はない。空いた手で肩を押し無理矢理座らせ手の届かないところにグラスを置いてしまえば、ぶずっとした顔で恨めしそうに睨まれた。アルコールのせいで赤く潤んだ目で睨まれても全く効果はない。やめろ、そんな目で見るな。それを見た萩原が、面白いものを見つけたとでもいうようになまえをのぞき込んだ。

「何々?なまえちゃん酔っちゃった?」

「けんじさんだ〜」

うん、酔っちゃったの〜、と萩原と同じように首をこてんと傾げる。これはあれだ、ちょっとまずい。そんな松田の心配を裏切ることなく、萩原は両手で顔を覆い肩を震わせた。研二さんと呼ばれた瞬間の顔はゆるっゆるだったし、舌ったらずな発音で名前を呼ばれてみろ、悶えるに決まってる。何だこの生き物は。可愛すぎか。聞こえてくるそんな心の声に同感しつつ、飛び出して行った精神を現世に戻そうと萩原の肩に手を置く。だだ漏れのその気持ちは非常に分かるが同じく萩原も酔っ払いだ。そこに名前呼びの破壊力は凄まじい。頼むから暴走してくれるな。

「けんじさん、じんぺーさんが意地悪する」

「そっか〜じゃあ松田には俺からきつく言ってあげるよ!」

「うむ、良きに計らえ〜」

「承知つかまつる〜」

「…煽んな、これ以上なまえが壊れたらどうすんだよ」

「松田は心配しすぎだっての。なまえちゃん、何か飲みたいお酒ある?」

「おいしいやつ!」

「了解〜!持ってきてあげるからちょっと待ってて」

「萩原、お前マジでいい加減にしろ。なまえも酒は終わりだ」

「まあまあ。俺に任せとけって。ね?なまえちゃん」

「ねー!」

「はい、お代わり欲しい人〜」

「はーい!」

嬉しそうに手を挙げたなまえに、萩原は茶色の液体が入ったグラスをほいほいと渡す。液体の色から判断するにバーボンかブランデー。この馬鹿!と取り上げようとした松田を悪戯に笑った萩原が止めた。あれは烏龍茶だから安心しろと耳打ちされてホッと肩の力を抜く。タチの悪い酔っ払いかと思っていたが、そこはちゃんと大人の対応だった。疑ってしまった事を心の中で謝っておく。乾杯〜とグラスをカチンとぶつけてぐいっと飲んだなまえはその上機嫌な顔を引っ込めて、眉を顰めた。

「…ちがう」

「ん?」

「これお酒じゃない。けんじさんの嘘つきー」

酔っていても味は分かるらしい。流石は数々の珈琲豆を扱っているだけある。ごまかしは通用しなかった。うそつきはきらい、とぷいっと顔を背けたなまえはそのままとてとてと酒を恵んでくれそうなメンバーのもとへと歩いていく。それを見送ると同時に、松田の耳はガンッと見えない石が頭上へ落ちた音を捉えた。あぁ、うん、嫌いだなんて言われたらそうなるわな。項垂れる萩原に無言でウイスキーを渡しつつ、誰にも届かない溜息を吐いた。酔っぱらったなまえは心臓に悪い。

「ねえねえ、ゆいさん」

「おー?出来上がってんな、なまえ」

シャツの裾を後ろから引っ張られた油井は、振り向いた一瞬で状況を理解する。いつもより数倍も緩くなった表情で何飲んでるの?と聞いて来た彼女は、酔ってますと言わんばかりである。向こうでは何かを諦めたように酒をあおっている男性が2人。酔っ払いのなまえに手を焼かされたことを何となく察し、堪らず降谷と目配せをする。

「一緒に飲みますか?」

「のむ!ふるやさん優しー」

狭いだろうに、いそいそと二人間に隣に座ったなまえはへにょっと笑いつつ、持っていたグラスを差し出した。準備万端とも言いたげだ。酔っているけれども。試しに名前を呼べは、なにー?と表情に華が咲くあたり随分と機嫌がいいらしい。つられるようにこちらも笑ってしまう。普段もこれくらい無防備なら可愛げの一つや二つあるのだが。間に収まる彼女との距離がいつもよりも近いのはきっと気のせい。柔らかい太ももが触れてる?きっとそれも気のせいだ。いい匂いだなんてこれっぽっちも思っているものか。こんな時こそ日本警察伝統の鋼の精神を降臨させないでなんとする。

「ゼロ…顔、顔!緩んでるぜ?」

「そういうお前もな。引き締めろ」

「今のお前にだけは言われたくねぇわ」

何も知らず無邪気に笑うなまえに、今まで胃に流し込んだ酒も相まってこちらも表情筋が緩んでしまうのは仕方のないことだ。すべては酒のせいである。しかし満面の笑みで期待しているところ悪いが、これ以上お酒を与えるつもりはないのだ。とりあえず酒が抜けやすいように何とかして水を飲ませ、寝かせてしまえと結論付けた。

「これお水でしょー」

「酔って味が分からなくなっているんですよ。ちゃんと酒瓶から注いだのを見てたでしょう」

「嘘だ。絶対お水入れてたんだよ、れいさんそういうの得意だもん」

「…バレてんぞ、零。つーか、なまえ、今こいつのこと名前で呼んだ?俺も呼んで」

「おい、光!そんなことはいいだろ」

「ひかるさん!」

「よく出来ました!」

わしゃわしゃと頭を撫でられ、きゃーっと言いつつ嬉しそうにはしゃぐなまえ。もういい、許す。ほらご褒美だと出されたグラスを嬉しそうに受け取った彼女はそのまま口に運ぼうとしたのだが、後ろからにゅっと伸びてきた大きな手がグラスを覆い下へと押し戻した。邪魔されたことに膨れつつ、のけぞって後ろにいる人物を視界に入れたなまえは眉を下げる。言わずもがな、ベランダでの一服から戻ってきた赤井である。彼女がひっくり返らないように背中を足で支えているあたりは流石といったところか。

「なまえ、だいぶ飲んだな」

「飲んでない〜」

「ホー…隣の客は?」

「よくきゃくくうきゃくだ!」

「恐ろしい隣人がいたもんだ。これは没収だな」

なまえが飲むはずだったものを代わりに飲んだ赤井は、視線を合わせるようにその場に腰を下ろす。なんだかんだ最年長からの威圧には耐えられないのか、彼女は居心地が悪そうに視線をそらしつつ、私のお酒なのにとややむくれた表情を見せている。これでは完全に拗ねた妹を慰める兄の図だ。なんだその美味しいポジションは、早急に変われ。などとその場にいる全員の心の声が一致したところで、赤井はゆっくりと口を開いた。

「もうやめておけ。眠いだろう?」

「眠くないもん」

「欠伸を噛み締めながら言われてもな…寝たら嫌なことでもあるのか?」

「だって、ねたらみんな帰っちゃう…」

赤井の言葉に、先ほどの上機嫌とは打って変わって眉を下げたなまえ。組織が崩壊したということは、それぞれ本来の国と仕事へと戻るということだ。突然家を訪ねたり、変装して珈琲を飲みに来くることはもちろん、皆でこうして集まることもなくなるということ。文句を言いつつ何だかんだで彼らとの時間を大事にしていたなまえにとっては、それは死刑宣告にも似た別れに感じた。また一人の時間が増えると思うと嬉しいというよりも寂しさの方が勝ってしまう。こんなはずじゃなかったのに。楽しい時間だけ置いて行かれても困るのだ。大量のゴミが出るのに片付けだって終わっていない。両目からぽろぽろと涙がこぼれ出した彼女を見て、降谷がたまらず声を荒げた。

「赤井ィイィ!何泣かせてるんですか!!」

「別に泣かせては…驚いた、なまえは寂しいのか?」

「赤井、それ言わせんのは酷じゃね?」

「う〜…っ」

「ああああもう!!なまえちゃん!大丈夫だよ、俺と松田は暇さえあればお店に行くから!!」

「まあ、そうだな。降谷達と違って比較的時間はある。…おい萩原、少しは自重しろ!」

向こうで飲んでいた二人も騒ぎを聞きつけ駆けつける。その勢いのまま今にもなまえに飛びつきそうな萩原を抑え込みながら、松田もそう言った。むしろ頼まれなくても喫茶店には通うつもりでいるのだが、潤んだ目で上機嫌に名前を呼び、最後には寂しいと泣き落としときた。さみしいと言われては日を空けずに店に行くしかない。末恐ろしい店主である。

「…安心しろ。俺も時々日本に帰って来るさ。真純達もいるからな」

「俺たちもちゃんとお店には顔を出しますよ。息抜きにもなりますしね」

「御所望とあれば今まで通り家宅侵入もしてやるよ」

「ふふ…ゆいさん、それ犯罪だよ〜」

約束してね、と笑うなまえに5人は頷く。序でに今日の飲み会の片付けを約束させるあたり、ちゃっかりしている。なまえの機嫌が戻ったところで、誰かが仕切り直しで飲むか、と言えばみんなそれに賛同した。勿論、なまえも嬉々としてお酒に飛びついたが、強化された監視のせいでお茶や水ばかり飲む羽目になるのだが。暫くは色の付いた酒が入ったグラスを羨ましそうに目で追っていたなまえだが、再び睡魔で船を漕ぎ出した。それを目ざとく見つけた赤井が良かれと思って自分に寄りかかるようにしたのだが、夢現の彼女は人肌に安心したのかへらっと頬を緩め、ずるずると寝やすい体勢を探し結局膝枕をされる形で落ち着く。その瞬間、第2ラウンドのコングが鳴った。

「ふふふ…しゅういちさんのひざ枕〜」

「そのままだと首が痛いだろう。クッションを入れるか?」

「ん〜いらない。このままがいい」

「そうか」

「…なぁ、松田、あれはいいのか?あれがいいなら何でさっき俺を止めたんだよ?」

「…酔った女にいきなり飛び付いたらいくら知り合いでも色々まずいしな。つーかお前、膝借りるほうが目的だろ、却下だ」

「退いてください、赤井。なまえが穢れる」

「酷い言い草だな、降谷君。悪いが挑発には乗ってやれない。今動いたらなまえが起きるんでね」

「ちょっ、赤井そのままで頼むわ。なまえの寝顔写メって後でゆする」

「油井君、それ後で俺にも横流しして!」

「任せろ!全員に送ってやんよ」

そうしてまた膝枕のための飲み比べが始まるのだが、夢の中に旅立ってしまった彼女は、勿論この後に起こったことなんて露ほども知るはずがない。翌日、フローリングで寝たことによる背中と腰の痛みによって目が覚めたなまえは、自分の周りに5人が雑魚寝している状況に首を傾げつつ、記憶よりもさらに増えている空きカンと空き瓶の数を見て卒倒しそうになり、ゴミ袋を持って男性陣を起こして回る羽目になるのだった。

title by ユリ柩