其れ処じゃない



これの続き

ついにこの日が来てしまった。ぽとっとドリップポットの先から落ちる雫の音が、店内に大きく反響する。普段は感じない剣呑というか緊張感がカウンター席を取り巻いていた。いやね、バレた時からもしかしてとは思ってたんだよ。こんな日が来るかもしれないとは少しだけ予想していたけど、こんなに早く来るとは。痛すぎる空気に肺が潰れそう。結局フィンガージャブはまだ習得出来てないけどどうにかなるかな。赤井さんの呆れ顔思い出してちょっとイラッときたけどそんな場合じゃない。

「なまえさん、お代わりを頂けますか?」

「ファイ!」

緊張で変な声が出てしまう。にこにこ人の良い笑顔を浮かべるのは我らが降谷さんこと、安室さん。その席から綺麗に三つ空けて座っているのは、久しぶりに来てくれたギンさん。一人でしっぽり珈琲を楽しむはずが、邪魔が入ったとばかりの表情だ。店内に安室さんが入って来た瞬間の表情と言ったらない。それなのににこにこしながら空のコーヒーカップ出さないで!ほらぁ!ギンさんの眉間にシワが!!ビリビリっとした空気を察して!

「…えっと…、ギンさんもいる?お代わり」

「………」

「…うん、じゃあ次はマンデリンで用意するね」

たっぷり間を空けること3秒。相変わらず何も言わないギンさんはとってもご機嫌ナナメだけど、私の問いかけにいらない時は何かしら反応するから、多分お代わりは用意していいんだと思う。そんな私と彼のやりとりに片眉を上げたのは安室さんだ。へえ、と誰に向けるでもなく零した言葉。いつの間にそんなに仲良くなってるんだと視線だけで責められる。波風立たせないでという私の願いは、全くもって無視されるらしい。珈琲を淹れる手がめっちゃ震えるんだけど。取り敢えず先に用意したモカブレンドを安室さんの前に置いた。コソコソ話が始まる。

「もしかして緊張してます?」

「…してませんよ?」

「おや、そうですか…表情が硬いのでもしやと思ったんですが…そうそう、彼もよく来るんですか?」

「え、あぁ…まあ気が向いたら来てくれますね」

「成る程。随分と彼のこと理解されているようなので、常連の方かと思いました。いつもこの時間に?」

「えーと、どうだったかな…常連といえば常連かも…?というか珍しいですね!安室さんがこんな時間に来るなんて」

余計なことは話すなというギンさんからの無言の圧力も相まって慌てて話題を変える。まだ死にたくないから殺気を飛ばすの程々にしてくれないかな。安室さん、あんた絶対楽しんでるでしょ、顔笑ってるよ。

「ええ。久しぶりに夕方からの依頼でしたから。帰りがけになまえさんのお店を思い出しまして…駄目元で来たんですがラッキーでした」

「成る程。じゃあのんびり珈琲タイムを楽しんでください〜」

私からギンさんの情報をふんだくろうとする安室さんから離れ、次はギンさんのためのマンデリンを用意する。チラッとギンさんを見ると人を殺しそうな視線で睨まれた。多分、この時間に人が来るなんてどういうことだって言われてる気がする。そんなの私が知りたいよ。確かに扉に鍵をかけなかった私も悪いのかもしれないけど。トリプルフェイスで忙しい安室さんが来るなんて思わないじゃん。

「はい、お代わりですよ〜」

「…おい」

「やだなギンさん、怒んないで。この時間に開けてること知ってるのはギンさんだけだったはずなんだけど…あの人探偵やってるらしいから探られたのかなあ」

せっかく飲みに来てくれたのにごめんね、と言えば鼻を鳴らすだけで何も言わなかった。どうやらお店をやってる以上、仕方のないことだと思ってくれているらしい。因みにお詫びの意味も込めて、用意した珈琲はゴールデンマンデリンである。普通のマンデリンよりもワンランク上の上質さをお楽しみ頂けます。ごめんね、ギンさん。安室さんには後でキツく言っておくよ。だからここで黒いものは出さないで、切実に。それでも何かまだ言いたげな彼に、ん?と首を傾げると、ちらりと珈琲の入ったカップに視線を向けられた。マジか。奢れってか。ギンさんにたかられる日が来るとは思わなかったよ。

「うぐぐ……一杯、奢ります…」

「懸命な判断だなァ」

「…最近遠慮ないよねえ」

「フン…なまえも大概じゃねェか」

「えー…ギンさんには色々貰ってるから文句は言わないけどさ」

「強請っておいて損はなさそうだなァ」

「赤字覚悟ですよー」

淹れたてのそれに口をつけたギンさんは、ニヤリとその口角を上げた。今なら何でも切れそうな笑みにぶるりと震えた背中。もうやだこの緊張感。いつもなら夜カフェ的なジャズを流して、誰かに邪魔されるわけでもなく静かな時間を過ごす筈だったんだけどな。それもこれも何処からか聞きつけてやって来た安室さんのせいだ。というか二人が知り合いだってこと、私も知らないふりしてるけどこれが結構疲れるんだけど、これいつまで続ければいいの。ふう、と人知れず息を吐いたところで、ボソリとギンさんが幾分か真面目な顔で呟いた。

「…あの金髪ヤローには気をつけるこったな」

「え?何それ、急に言われても不安でしかないよ」

うん、知ってる!なんてポロリと出ないように必死に取り繕うけど、これバレるの時間の問題な気がする。ちらりと安室さんを見ればニンマリと笑いながらこっちを見ている。あの顔は後で詳しく聞くからなってことなんだろう。怖い。

「えーと…じゃあ二人とも、お代わり欲しかったらまた声かけてね…?ちょっと焙煎機の方に行って来るから」

二人を交互に見ながらちょっとカウンターから離れる旨を伝えると、焙煎する豆を持ってそそくさと焙煎機の元へと移動する。何も言わないから大丈夫何だろうけど、この2人を残していくのは不安でしかない。いや、何処にいても不安しかないけれども。誰か助けてはくれまいか。そんな私の願いを神様は聞き届けたのか、カランカランと再び扉が開いた。私を含め、3人の視線がお店に入って来たその人へ向けられる。流れるような金髪と、ふわりと香る高潔な花の香り。私は目を輝かせた。これぞ女神の降臨である。

「ハァイ、なまえ。貴女、夜もやっていたのね」

「あ!ベルさん!」

お久しぶりです!と飛びつけば、カウンターに座る男性陣の纏う空気が再びピリッとしたものに変わる。え、何でよ。ギンさんも安室さんもそんなに眼光を爛々とさせないで。せっかくのリラックスタイムが台無しだよ。ベルさんはベルさんで、カウンター席に座る2人を見て目を瞬いた。そしてそのぷっくりと艶のある唇に笑みを乗せる。

「あら、2人も来てたの?」

「ん?お知り合いです?」

「ええ。仕事仲間ってとこかしら」

丁度安室さんとギンさんの間に腰掛けたベルさんは、メニューを開くことなくエメラルドマウンテンを注文した。豆を変えるなんて珍しい。今日はクリスタルじゃなくていいのかと問うと、甘めの珈琲を飲みたい気分だと返ってきた。何かしら彼女の気分を変える出来事があったのかも知れない。すぐに準備することを伝えると、満面の笑みを返してくれた。ハリウッド女優の笑顔、めっちゃ尊い。

「それにしても不思議ね。貴方達もこのお店を知っていたなんて」

「…フン。偶々入っただけだ」

「おや、そうなんですか?とても店長さんと親しげに話していたようなのでてっきり行きつけかと思ってました」

「あ、何だお知り合いだったんですね…言ってくれればよかったのに」

「すみません。緊張した貴女を見るのが中々楽しかったので」

「…安室さん、悪趣味」

「生まれたての小鹿はちゃんと立てるようになったらしいなァ」

「ギンさん、それ私のこと?そんなにプルプルしてなかったよ?!」

「アハハ!遊ばれたわねなまえ」

ベルさん、笑い事じゃないです。私の心労をどうしてくれるんですか。次は隣の席に案内してあげます、と皮肉を込めて言ったらギンさんにめっちゃ睨まれた。あな、恐ろしや。ヒッと喉を引き吊らせるとベルさんがやんわりギンさんを制してくれた。安室さん?勿論満面の笑みでしたよ、薄情者め。興醒めだとばかりに高らかに聞こえた舌打ち。次にギンさんが1人できた時は覚悟したほうがいいのかも知れない。

「この2人は一癖も二癖もあるから気を付けなさい」

「テメェが言えたことじゃねェだろうよ」

「心外ですね。貴方方と一緒にされるのは」

「喧嘩は良くないですよ!はい、そんな殺伐としたお二人には追加の珈琲です!」

勿論、珈琲で気をそらす作戦は上手くいかなかった。カウンターだけめっちゃ空気が痛い。ピリピリとする空気を楽しんでいるのか、ベルさんは微笑んだままだ。え、楽しんでます?火をつけたのベルさんだよね、お店でドンパチはやだよ。うろうろと視線を彷徨わせているとギンさんがゆっくりと席を立った。どうやら胸糞悪くなって来たのでお帰りらしい。

「…なまえ」

「は〜い、お会計ですね、ギンさん」

「あの2人がいるんじゃゆっくり飲めたもんじゃねェ」

「あはー…ごめんね」

「次が楽しみだなァ」

「ウッス!次はギンさん来たらプレートひっくり返します!」

ギンさんの視線に薄ら寒いものを感じ、ピシッと敬礼すると、持っていた財布でチョップされた。銃を出されなかっただけマシだと思いたい。賄賂でも餌付けでもないけど、取り敢えずお家で飲めるように一杯だけ持ち帰りの紙コップに淹れてあげた。命に比べたら一杯くらい安い安い。

「はい、特別サービスです」

「…次はタンブラーを買えってか?」

「何故バレたし」

「フン…次までその首繋げておけ」

物騒な言葉を残し、ニヒルに笑ったギンさんは暗闇に足を踏み出していった。何だかとっても疲れた。1人でもプレッシャーをかけて来る人が居なくなっただけで、どっと肩の力が抜ける。フラフラしながら戻って来た私を、ベルさんが笑った。

「ふふっ…なまえも災難ね」

「あの男は気を付けた方がいいですよ、なまえさん」

「あら、それは貴方にも言えることじゃなくて?」

「どうでしょうね。少なくとも、貴方達2人よりも穏便な性格だと自負していますよ」

「あーもう、2人とも楽しみすぎですよ!心臓が破裂したらどうしてくれるんですか!」

私が怒ると何が楽しいのか、ベルさんの肩の震えは止まらない。何だが年の離れた大人に揶揄われている気分だ。私も大人だけど。そうしてゆっくり珈琲を飲んだベルさんは、すでに飲み終えて居た安室さんに、いつの間にか送迎して貰う約束を取り付けていたらしい。美人さんだもんね、ストーカーされたらシャレにならない。

「じゃあね、なまえ。また来るわ」

「はい!お待ちしてます!…安室さんも」

「ええ、またお邪魔しますね。あぁ、そんな顔をしなくても次はお二人がいない時に来ますよ」

「あら、私が一緒だと不満かしら?」

「そんなまさか!」

2人で来るとベルさんと中々お話しできないので、と本音半分建前半分で伝える。取り敢えず半年分のプレッシャーは感じたからもういいかな。私の言葉にパチパチと瞬きした彼女はふんわりと笑って人誑しね、と呟いた。そうして2人が連れ立って、闇には不釣り合いな白い車に乗り込んでいく。通りを走り去るそれを見送って、漸く訪れた安寧に肺の底から息を吐き出した。この後某3人組から詳細を報告しろという連絡が入っていたのだが、勿論全力で無視した。悟られないように頑張ったし、これくらい許されるよね。


title by 骨まみれ