おとついの誰彼



その人は夜を連れてきた。仕込みのために早めに店を閉め、仕入れたばかりの豆を選定していたのだけれど、最後の一袋に取り掛かった時は外はどっぷりと闇に染まっていた。そんな時だ。来客を知らせるドアベルが鳴り、闇に滑るような銀髪が現れた。おっと、また鍵を閉め忘れていたらしい。しまったと思いながらお客さんに声をかけようと口を開いたのだけれど、見下ろされたことで一瞬にして冷える空気。それを空調のせいにして、あくまで営業スマイルを張り付けた。この人、視線で人を殺せる気がする。

「えーっと…すみません、お店はもう終わってて…」

「…鍵はかかっていなかったようだが?」

「かけ忘れちゃいました」

てへぺろ、なんてやったら余計に彼を逆なでしそうなのでぐっと堪える。年齢的にも痛いお年頃だしね。彼は私の言葉は聞こえなかったとばかりにカウンター席へ腰を落ち着けた。あ、メニューはどこかって?こちらです。ナイフみたいな視線に促されるように、カウンターにかたずけてあったメニュー表を手渡した。お客さんが入ってきてしまったのは私の不注意でもあるし、そんなに長居しそうな客層に見えない。渋々この人のためにもう一度お店を開けることにした。

「お酒は置いていませんが、それでも良ければ」

「…全部珈琲か」

「はい。ここは珈琲専門店。気になった豆やご自身で贔屓にしている豆がございましたら、そちらで淹れることも可能です。あ、申し遅れました、私、店長のなまえって言います」

「…フン、ご苦労なこったな」

見る気もないのかパラパラと一通りページを捲り終えると、そのままぱたんと閉じてしまった。コン、コンと指が机をたたく音。何かを要求しているみたいだけど、生憎私はまだお兄さんとは初対面で、行動や心が読める程仲良くないからわかんないよ。視線がかち合う。足が竦みそう。彼が持つ雰囲気と、視線と、真冬じゃないのに全身真っ黒でコーディネートしているところに危ないにおいがプンプンする。今はやりのワントーンコーデだなんてファッションに詳しいとも思えないし。あとすごくスモーキーな煙草の匂いもする。この煙草を好むなんて、ツウだね、お兄さん。

「…」

「…あの」

「…」

「…私が選んでもいいですか?」

彼は何も言わない。でも何となく許してくれたような気がして、早速数ある中から豆を見繕う。というか何かしてないと気が紛れそうにない。基本的にカウンター席に座るお客さんはお喋りな人が多いので、普段なら色々好みを聴きながら豆も選べるし、だんだん話してるうちに緊張感も溶けて来るんだけど、目の前のお客さんは無駄なことは一切喋らないタイプの人らしい。お陰で豆を探す時間でさえすごく長く感じる。あぁ、心臓を吐きそう。沸騰するまで沸かしたお湯をドリップポットに入れて、ゆっくりと蒸らしながら濃褐色の液体がフィルターから流れ落ちるのを待った。雑味が出ないギリギリのタイミングで切り上げ、銀髪のお兄さんの前に置く。

「はい、お待たせしました。ミルク要ります?」

「乳臭ェ珈琲なんざごめんだ」

「じゃあストレートでどうぞ」

剣呑に細められた目が私を刺し、次に前へ置かれた珈琲へ向けられる。用意したのはカロシ・トラジャ。香りはそんなにあるわけではないけれど、深煎りにする事で重厚感のある苦味が特徴のコーヒーである。随分独特な煙草を吸っているみたいなので、これくらいのパンチが効いた珈琲の方が好みに合うかなと予想したのだが、果たして気に入ってくれるだろうか。不味い、パァンっなんて銃をぶっ放したりしないよね?ここは日本なんだもん。私はお兄さんが怖いのは見た目だけって信じてる。一口飲んだお兄さんの瞳がギロリと光り、再び私をその場に縛りつけた。

「何故これを出した」

「…っ、えーと…お兄さん、ゴロワーズ・カポラル吸ってますよね?随分癖のある煙草だから、珈琲はうんと苦いものの方が好みかなと」

「ほぉ…匂いだけで気付いたか」

「私、犬並みに鼻がいいんですよ〜それにゴロワーズは分かる人多いと思いますよ?だいぶ癖がありますもん」

「見かけによらず真面な女だったな」

「え、どういう意味です?変人に見えました?」

「さぁなァ。こんな時間にきた客を追い返しもせず、呑気に珈琲を淹れる警戒心に呆れるぜ。自慢なのはその鼻だけか」

「あ、貶された」

他にも何か嗅いで当てましょうか、と言ったら鼻で笑われた。何も言わず大人しく珈琲に口を付けているところを見る限り、カロシはお気に召してくれたようだ。良かった、風穴開かなくて済んだ。その後、彼が飲み終わるまでじっくり豆の選定をしつつ、カップが空いたら追加の珈琲を淹れつつ、それなりに有意義な時間を過ごすことができた。

「おい」

「はーい、お代わりですか?」

選定した豆を焙煎機にセットしたところで銀髪のお兄さんに呼ばれる。時計を見れば中々いい時間だった。そろそろこれで最後にして貰おうとカウンターへ戻ると、何故か懐に手を入れてるお兄さん。あ、その隠れた右手に握られてるのは、きっと財布ですよね。財布じゃないと嫌ですよ。スッと引き抜かれる。緊張の一瞬。

「中々気に入った。次も開けておけ」

「あ、ご予約は承りません!」

「…あ?」

「ひっ…!き、気ままな喫茶店なので、開いてたらラッキーと思っていただければ…」

毎回開いてるわけじゃないんです、と尻窄みに伝える。顔を上げろ、なんて無茶言わないで。もうね、彼の癇に障ってしまったのがビシビシ伝わってきて、斜め上45度から飛んでもなく鋭い刃物が降ってきてるんだ。いくら色々油井さんとかに巻き込まれてるからって、此処まで手に汗握る体験はしたことないんだな。来店した当初よりも仲良くなれたと思ったのは私だけらしい。相変わらず素敵な視線をお持ちですね。

「ひひひ比較的、毎月20日の夜はいるかと!」

「…」

「一つの目安として考えていただければ…」

「…まあいい。テメェの気まぐれに付き合ってやるよ」

「さ、さいですか…有難うございます?」

取り出された財布は、やっぱり黒塗りの本革。きっと堅気のお仕事ではないけれど、珈琲好きでありお店で事件を起こさないでもらえれば、それでよし。きっちりお代を払ったお兄さんは来る時と同様、闇に紛れて消えていった。漂っていたゴロワーズは、そのうち焙煎機から流れる香ばしい香りに置き換わる。それでも帰り際、お店のランプで煌めいた銀髪が妙に目に焼き付いた。そうして、本当にこのお店を気に入ってくれたらしい彼は月一の頻度で現れるようになり、すっかり気を良くした私は勝手に銀髪のギンさんと呼ぶまでなった。運悪くお店がやってない日は、次来た時にやたらと嫌味を言われてしまうけれども。

「おい、なまえ」

「あ、ギンさんいらっしゃ〜い」

「…土産だ」

「まじか。顔が怖いだけの人かと思っててごめんね」

「死にてぇか?」

「滅相もない!」

大きい箱を渡されてウキウキしながら開ける。ギンさんも見かけによらず目利きなので、たまに日本じゃ手に入らないような珈琲を持って来てくれるので、大分有り難かったりする。今回も豆かなと思ってたけど、なんと箱の中から出て来たのはコーヒーミルだった。そろそろ変えたくて仕方がなかった、最新式の評判がいいやつ。この男、出来る。

「ぎゃー!!めっちゃ高いやつ!そして欲しかったやつ!」

「…煩ェ」

「ギンさん、有難う!!そろそろ変えないとって雑味が気になってたんだよね…有り難く使わせてもらいます!」

私のあまりのハイテンションぶりに、ギンさんはギョッとしていたけれど、お礼に珈琲一杯奢るね!と言うと照れ隠しなのか、帽子を抑えて顔を隠しながら、ニヒルに笑った。


Title by プラム