はいはいわかったよ



よく晴れた日の午後。アスファルトからはゆらゆらと陽炎が伸び、一歩外に出れば焦げてしまいそうな暑さだけど、私がいる店内は涼しい。スーツを抱え汗を拭いながら外回りするサラリーマンを、ご苦労様ですと心の中で労った。最近よく来るようになったポアロ。以前無理やり臨時に入らされた時に中々美味なブレンドを飲み、これは研究せねばと競争心に火が付いたのだ。それからは時間があるときにこうしてポアロを訪れるようになり、ここのマスターとも珈琲の情報を交換するまでに仲良くなった。しかし私を唸らせたブレンドの配合は未だに分からない。何回も飲んでるんだけどな。ブレンドはお店の顔でもあるため、マスターが淹れてこそ本来の味が出るのだ。しかし今日は残念なことにマスターはお休み。代わりに安室さんが淹れてくれたのだが。

「うーむ…」

「難しい顔をしてどうしました?」

違う意味で唸る私を、カウンターの向こうから安室さんが不思議そうに見ている。その手にはアイスディッシャーと今し方掬ったばかりのアイスがある。反応しなくていいから、アイス溶けるから早くメロンソーダ作りなよ。視線で仕事をするように促すと、さっさと作って席まで持っていったかと思えば瞬く間に戻ってきた。え、安室さんって瞬間移動術でも使えんの?カウンターに戻ってきた彼はそこに肘をつくとニコニコした顔を向けて来る。

「それで?」

「…やっぱり違うなあと思って」

「珈琲ですか?」

「うん。マスターの淹れてくれるものと安室さんが淹れてくれるのはやっぱり違うって思って」

「そんなに変わりますか?」

「変わるよー…安室さんのは何というかこう、風味が物足りないような…」

配合されているそれぞれの珈琲豆の風味や味わいの抽出が甘い気がする。それでも十分美味しいので別に何することはないのだけど、私はマスターが淹れてくれる珈琲の方が好みである。ぽろっとそう零したら安室さんの笑顔が一瞬固まり、再び深いものが浮かんだ。あ、やばい。何かに火をつけた気がする。

「ではなまえさんが教えてくれませんか?不思議だったんですよ。どうやったらあんなに美味しい珈琲が淹れられるのか」

そう言って向けて来るニッコニコでキラッキラの笑顔に、私は引き攣ったものしか返せない。若干の負けん気というか闘争心が見え隠れするのは気のせいだろうか。裏の顔を知ってるからだろうけど、いくら綺麗に笑っていてもその笑顔が胡散臭いと思ってしまう。というか安室さん、喫茶店店員の技術をそんなに磨いてどうするんですか。公安警察にバリスタの技術は必要ないよ。

「いえ、アルバイトにしては凄く上手に淹れられてると思います。ただやっぱりマスターには敵いませんねって意味です」

「なまえさんが言うのならそうなんでしょうね…僕もまだまだ勉強不足のようです」

「でも安室さん探偵やってるし、バリスタ技術なんていらないと思うけど…」

「中途半端なのが嫌な性分でして…それにいつ何処で何を使うか分かりませんから」

だから教えてください、と頼まれたけれど何をどう教えればいいのか。私が味の違いに気付いたのは長年珈琲を飲んでるしそれを仕事にしているからであり、そもそも大凡の人は分からないくらいの変化だから、店員安室としての役割は十二分に果たされていると思う。それに淹れる人によって味が変わるのは当然のことなので、さして気にする必要もなければ寧ろそれがオリジナルというものだ。そして飲んだ人の好みもそこに加わるのでどれだけ研究しようと終わりはない。完璧主義の彼はそれすらも気に入らないと言うのか。

「私が教えなくても十分美味しいってば」

「いえ、それでは僕の気が収まりません」

「えー…何処でスイッチ入っちゃったの」

「さあ、何処が違うか答えてくれますか?なまえさん」

「こ、これはこれで安室さんの良さが出てると思います!」

「そんな言葉で騙されるとでも?僕も甘く見られたものですね」

さあ、どこからでもかかってこい、と言いたげな挑発的な視線を向けられてのんびり珈琲を飲んでいられるほど、図太い神経は持っていない。これはある程度指摘をしないと帰れなさそうだと判断した私は、渋々安室さんに手ほどきすることにした。

「多分マスターよりも最初に注ぐお湯の量が多いんだと思います。蒸らし時間が足りないとその分珈琲の成分が抽出できないので」

「成る程。それから?」

「珈琲を淹れる時は目の前の珈琲にだけ集中する事!」

「珈琲に集中…」

「安室さん、今日多分考え事してたんじゃない?」

「…」

「探偵してるから忙しい事は分かるけど、中途半端が嫌いなら尚のこと、珈琲に集中しなきゃ。珈琲は蒸らす時間と切り上げる時間がずれると味が変わっちゃうんだから」

ちゃんと珈琲の様目を見て香りと風味を感じてあげないと可哀想だよ、と言えば考え込んでしまった。笑顔100%の安室さんが百面相を浮かべるのは珍しく、そんな顔をさせたと他の女性客にバレたらどうなることか。柄にもなく店内をキョロキョロと見回してしまった。店内の客はまばらで、暇を持て余すおじさん達と私くらいしかいないことにホッと胸を撫で下ろす。というか前にもある程度コツを教えたんだからそれで勘弁してほしい。

「安室さんはお料理もできるし、普通に喫茶店で働く店員としては及第点かな」

「なまえさんのお店で働くには?」

「うーん…不採用。珈琲に真剣に向き合ってないし片手間にやられても困るし。それにイケメンだから無理」

「何が無理なもんですか。顔面偏差値は重要でしょう」

「それ自分で言っちゃう?いいの、執事喫茶じゃないんだから顔面偏差値はどーでも!」

自分のイケメン具合を分かってての発言に、どうしたって冷たい目を向けてしまうのは仕方ないと思う。というか本当にイケメンと仕事は無理。キラキラに付いていけないし、それを話題にしてお客様が集まることもごめんだ。冷やかしはお呼びでない。珈琲の評判さえあればいいと思ってる私には、イケメンの付属品など不要である。

「感傷に浸っているところ申し訳ないのですが、そういった心の声は胸の内にしまっておいてください」

「やだ、口に出てました?」

「ええ。一字一句残らず」

「あらー…ほら、私って正直者なので」

「どの口が言いますか」

笑っているのに目が笑ってない安室さんを見上げる。だんだん貴方も表情隠さなくなってきたよね。特に怒った時と機嫌悪い時。そう揶揄ってあげたいけど、大きな片手で両頬を挟まれ蛸さん状態になった私が反論できるはずもない。油井さんもさることながら、公安は揃いも揃って扱いが酷いと思う。その間にもドアベルが鳴ってお客さんが入ってくる。私への制裁はそのままに、空いてる席へどうそ、なんて器用にも笑顔で接客する安室さんは店員の鏡なんだろうけど、不審な目を向けられる私の身にもなってくれないかな。余計な事を口走らない方が身の為です、と説法を聞かされうんうんと適当に頷いておいた。というか貴方、私の頬っぺたに攻撃するの好きだよね。何の恨みがあるのかな。ギュムーっと力を加えられたのち、はぁ、という溜息と共に手が離れた。いや、溜息吐きたいのは私の方だからね。

「色々気に食わないところばかりですが、貴女の珈琲に対する情熱だけは認めましょう」

「おい、どういう意味ですかコラ」

「というわけでお店も混んできたし、カウンターに入ってください」

「ちょっと待って!文脈おかしいよ、接続詞間違ってる」

「僕が注文取りますね。あぁ、はい、今行きます」

「聞けよ!」

どこからか取り出したエプロンを被せられる。視界を確保した時には片手に何枚かの注文票を持った安室さんが立っていた。おかしい。そう思ったのも束の間、了承もしてなければエプロンを着た記憶もないのだけど、首を傾げながらもせっせと注文票に書かれた珈琲を準備している私がいた。これは最早、騙されたというか操られているのではないだろうか。安室さん、貴方いつから魔法使いになったんですか?

「なまえさん、追加でブレンド3つお願いします」

「いや、いい加減にしてね?」


title by 骨まみれ