私はこの世界の人間じゃない。そんなことを言えば中二病かと思われるのでずっと黙っていたけれど、唯一高校の時にバレそうになったことがある。同じクラスに松田陣平という男がいた。言わずもがな将来爆発物処理班の2大エースを担う一人。そんな彼を見てここがよく読んでいた漫画の世界だと気づいたのだ。私の場合、知識もあるしある日突然家ごとこちらに来てしまったため、家がないとか両親がいないとかそんな悲しいことにはならなかったけれどやはり戸惑いは大きかった。私を取り巻く環境がそのまま、紙面の世界と融合してしまったようなそんな感じ。両親の記憶はすっかり鞍替えしていたけど、私の記憶は前の世界のままだった。卒業した小学校は私が知っている小学校ではなかったし、いつも友達と行っていたはずの喫茶店だって、本屋に変わっていた。何よりも地名が違うのだ。それでも、ここで生きていかなくてはならないことは十分理解できていたので、足掻いたり嘆いたりすることもなかったけれど。
話を戻そう。高校で出会った松田君はその時から手先が器用でそこそこ頭も回り、そしてなによりあの顔であるため、学年問わずやはり人気であった。あまり重要人物と接点を持つのもなんだか原作に影響を及ぼしてしまいそうで、私はできるだけ彼との接触を避けていたのだけれど、それが気に食わなかったらしい。図書室で勉強していたある日、乱暴に私の目の前に座った彼は、何で避けるんだとふてくされて聞いてきた。そしてその時言ったのだ、お前は未来でも見えるのかと。心臓が冷えた瞬間。不器用に笑って言葉を返した私に対しても、やはり不機嫌さはそのままであった。その時の顔を思い出してふっと笑いが零れる。
「…なんだよ」
「別に〜今の顔、高校の時にも見たなって思っただけ」
あの時と同じようにつまらなさそうな顔をして、目の前に座る松田君は、高校生の頃よりもだいぶ成長している。それもそうか。会うのは高校卒業以来だし、今や立派な警察官の一員であるし、数年前は米花ショッピングモールに仕掛けられた爆弾を解体した隊員として大きく新聞にも取り沙汰されていた。そんなやや有名人が来たのだから、合コンに参加している女子が浮足立つのは必須。色んな女の子からもみくちゃにされた後、この場に登場した時と同じようにヘロヘロになりつつ私の前へと座ったのだ。
「目当ての子、いた?」
「さぁな。みょうじはどうなんだよ。つーかお前がこういう場に来るのは意外だったわ」
「普段は来ないよ。今回は人数合わせってことで由美に呼ばれたの。松田君こそいいの?うかうかしてたら取られちゃうよ、美和ちゃん」
一緒に視線を向けた先には警察のマドンナ的存在である美和ちゃんと、彼女に絡む男性の姿。押しが強い人に狙われてしまったのか、ここから見える横顔はやや疲弊した笑顔が張り付いている。ほら出番だよ、と松田君を小突けば、彼女のピンチに彼も溜息を吐きながら席を立った。遠ざかる後姿に少しだけ胸がキュッと締まる。
「なーに辛気臭い顔してんのよ!」
「由美…飲みすぎだよ。目当ての人とはうまくいったの?」
「全然だぁめ!あいつ彼女いたのよ?!なのにこの場に来るとか何様のつもり?!」
「あー…人数合わせで仕方なくなんじゃないの?」
「きー!!リア充はおよびじゃないのよ全く!それよりも…あんたもいい感じだったんじゃない?うちの松田君と」
イケメンを落とすなんてやるわね〜と酔っ払いのごとく絡んでくる由美に苦笑い。どこをどう見たらいい雰囲気だと思うのか。同じ警察官なら、彼が美和ちゃんに思いを寄せてることを見破ってもいいくらいなのに。人の色恋沙汰に敏感な由美にしては珍しい。
「勘違いだよ」
「え〜」
由美はそのうち、違う男子に呼ばれたためニコニコしながらそのテーブルへと寄って行った。代わりに隣へ腰を下ろしたのは、さっきまで美和ちゃんを口説いていたと思われる男性。松田君の登場に自分はかなわないことを悟り、さっそく身を翻したようだ。だからって私の方に来られても困るけど。適当にいなしながらとどんどん酒を勧めて泥酔させることに決めたのだけど、失敗したと思ったのは、でろでろに酔いながら肩にもたれかかってこられたときだ。男性に免疫がないわけではないけれど、好きでも何でもない人の息遣いが耳元で聞こえるのは、甚だ悪寒が走る。由美に助けを求めようにも、別のテーブルの男性と会話を弾ませているため、こちらの状況に気づく可能性は低い。うーん、困った。偶然を装って反対側に押しやるか、どうしようかと迷っていたとき、ふと肩が軽くなった。
「おい、男ならちゃんと自分のペースを考えて飲みな」
そう言って松田君が虫でも払うかのように、肩に乗せられていた頭を払ってくれる。そこまで酒を飲ませたのは私なんだけどね。大丈夫か、と気遣ってくれた松田君にお礼を言い、もう良い頃合いなのでこのままお暇することにした。
「帰んのか?」
「うん。明日出勤だし、そろそろ出ないと終電がなくなるから」
今日は久しぶりに会えてよかった、そう言葉を交わし、由美と美和ちゃんにひと声かけてからお店を出た。駅へと歩き出したとき、後ろから走ってくる音が聞こえ、ものの数秒で同じように鞄を背負った松田君が隣へ並ぶ。内心ぎょっとした。だって追いかけてきてくれるとは思っていなかったから。たとえ合コンを抜け出す口実だったとしても、嬉しいことには変わりない。だって彼は、私の初恋なんだから。原作通りにいけばきっと美和ちゃんと両思いになるはずだからと、高校生だった頃の甘酸っぱさと一緒に綺麗な思い出にしたのに、今になってもう一回再会するなんて。全く神様というやつはひどく暇を持て余しているらしい。松田君も不用意に私を落とそうとするのを止めてほしいんだけどな。
「送ってく」
「いいよ、美和ちゃんみたいに熱烈なファンがいるわけじゃないし」
「それでも女だろ。黙って送られてろ」
「へいへい。よろしくお願いします〜」
少なくとも駅までは恋人気分でいられることに、心なしか足取りが軽い。これじゃあまるでさっきの合コンにいた女の子たちと一緒だ。そうは思うものの、早くなる心臓も、上昇する体温も、何一つ自分の思い通りにはならない。ちらりと横目で松田君を盗み見る。夜なのにかけられたサングラスで、彼が今どんな顔をしているのか知ることはできなかった。
「…みょうじ」
「ん〜?」
「高校の頃、今日と似たようなことがあったの覚えてるか?」
「松田君が変な顔で”避けんな”って言った時のことだったら覚えてるよ」
「ああ。あん時お前言ったよな、いつか理由が分かるって。あれ、未だにわかんねぇんだけど」
「…そんなこと言ったっけ?でもいいじゃん、今は別に避けてないし」
美和ちゃんと会って職場でもうまくやっているなら避ける理由はない。唯一変わってしまったことは、松田君が殉職せずに今も生きているということだけだ。それは喜ばしい誤算であるため特に問題視はしていないのだけれど、それでも私という異端分子の介入で少しずつ世界が歪められているんじゃないかって思うと、怖くて眠れない時もある。松田君は私の答えに納得しなかったようだ。完全に油断していた体はいとも簡単に引き寄せられ、爆弾解体中にしか見せないような真剣な瞳に射抜かれる。その距離と事実に息が止まりそう。
「ならこれからも避けんな。…好きだ」
「な、に、言って…冗談やめて」
「本当はあの時に言おうと思ったが、みょうじが逃げることは目に見えてたからな。時間を置くことにした」
「…っ」
「逃げんな。避けないって言ったのはなまえだぞ」
掴まれた腕を振りほどこうにも、彼との距離を置こうにも、日々重さ40キロもある防護服を着る彼との力の差は歴然だ。胸を押してもそれ以上空間ができることはなかったし、何よりも強い眼差しが放してくれなかった。彼が私を好きだなんて、嘘だ。だって松田君は美和ちゃんとうまくいくのだ。いや、上手くいかないといけない。だってあんなに二人は仲良さげで、誰が見たって応援したくなるようなカップルだ。私がそこに入る隙なんて無いし、歪みをもたらすことが分かっているのにその場に収まるなんて許されるはずがないのだ。
「離し、て…」
「…」
「っ松田君、お願い…離して」
絞り出すような声に漸く力が緩んだ。顔は上げられなかった。きっと私が何を言っても、松田君は非難めいた視線を向けてくるだろうし、何よりも私が耐えられない。きっと目が合ったら最後、私が盛大な勘違いを起こしてしまう。彼が私を好いているなんてきっと何か間違いだ。何度でも自分にそう言い聞かせるのに、松田君は同じだけ好きだという言葉をぶつけてくる。
「…何か罰ゲームでもあった?」
「何言ってんだよ」
「だってそうでしょ?松田君が好きなのは私じゃない。美和ちゃんを見る目を見たら、誰だって彼女が好きだってわかるよ」
「馬鹿言え。佐藤とはそんな関係じゃねえし、あいついるぞ、恋人」
「嘘だ…私をだまそうったってそうはいかない…持ち上げといて落とされたとき悲しすぎる…」
「…あんな、みょうじ。それ以上馬鹿なこと口走ったら、本気で押し倒すぞ」
「押し…?!警察官としてあるまじき発言だよ!!」
「うるせぇ!だったら観念して首を縦に振りやがれ!」
あまりの剣幕と暴言に講抗議をしようと思わず顔を挙げたけど、開いた口は何も言えなくなった。だって、そんな表情されたらなんだか私が悪いことをしてる気分になる。美和ちゃんに向いてると思っていた、あの春の日差しのような眼差しが自分に向いていた。これを退ける術も冗談だと笑い飛ばす勇気も私にはなかった。嬉しさの方が何倍も勝っていたから。だから唇を噛み締めて、馬鹿じゃないのと悪態をつくのが精いっぱい。大人しく頷いた私を、長く頑丈な腕が包み込む。
「あー…長かったわ」
「…初恋は実らないはずなんだけどね」
「俺の場合初恋はみょうじじゃねえからな。10年越しだ…実ってくれないと困る」
「まじかー…小中学校卒業できちゃうね」
「いつまで待たせんだよ…まあ今回は宮本に感謝だな」
大きなため息とともに由美の名前が出てきて首を傾げる。なんの話だと追及するものの松田君は教える気がないようで、うるせえ黙れと暴言を吐かれた。こちらだって同じだけ想っていたのに酷い言われようだ。煮え切らない思いを抱えつつ、ぎゅーと固い体に抱き着いて10年分の想いを堪能してみる。そうやってしみ込んだ煙草の匂いに埋もれていると、ちょうど自動販売機の陰に由美と美和ちゃんともう一人背の高い男性が見えた。みんなニマニマしている。そういうことかと、状況が分かったところで3人にVサインを送っておいた。
〜合コンの真相〜
「え…?みょうじなまえ?知ってるも何も大学からの友人だけど」
「連絡先が知りてぇんだ。高校の同級生なんだよ」
「え?何?松田君、もしかしてなまえのこと…?」
「…」
「ふっふっふ!そういうことなら私に任せなさい!セッティングしてあげるわよ!!」
「…嫌な予感しかしねーわ」
こうして合コンという名の逢引が行われることになった。
title by 夜途