ふとした時に目に入った喫茶店にお邪魔する、といったいつもの日課に勤しんでいたのだけど、今日は歩いていた方面がダメだったらしい。確かに星座占いで南西はNGって言ってたっけ。もし時間を戻せるなら、家を出る直前の自分に今日は大人しく家にいろと言いたい。
「いらっしゃいませ〜」
銀色のお盆を片手に、お店へ入って来たお客さんを案内する。見慣れない顔だね、と言われ苦笑い。悲しいかな、私は今、ポアロでピンチヒッターをしていた。せっかくの休日なのになぜ働いているのか、私が1番知りたい。そもそも事の発端は、何の気なしにポアロの前を通りかかったことである。見覚えのある喫茶店の名前に、安室さんのバイト先だということを思い出した上、ガラス扉からバッチリと目が合ってしまった。何だか面倒ごとになりそう、そう察した私はそそくさと立ち去ろうとしたのだが、踵を変えるよりも先に店から飛び出して来た安室さんに店内へ拉致られた。
「というわけでフォローお願いします」
「どういうわけさ!端折り過ぎだよ!」
有無を言わさない笑顔の安室さん。何でもポアロのマスターが風邪を引き、もう1人の従業員も大学の期末テストのためにシフトチェンジができない。そこで白羽の矢が立ったのが、偶々通りかかった私という事らしい。恨むぞ、安室さん。調理はしなくていいというが、この格好で接客しろってか。私服である上、動きにくさMAXのスカートなんですけど。無理ですと言う暇は勿論与えられなかった。口を開いた瞬間、スタッフルームに投げられエプロンを渡され、店内に立たされていた。なんて早業。
「なまえさんは注文と珈琲をお願いします。それ以外のドリンクと調理は僕がしますから」
「…強制労働だ…労働局に訴えてやる」
「はいはい。後で僕のサンドイッチをご馳走しますから」
「食べ物で釣れるほど安い人間じゃないです」
「自分で言うのもなんですが、僕のサンドイッチは結構評判がいいんですよ。商店街のパン屋さんにも売っているくらいなんです」
「商品化してるとかまじか」
「特別にレシピも教えてあげましょう」
確かに有名なアムサンドのレシピは知りたいかも。お店で売るかどうかは別にして。まあ、安室さんも困ってるし私への警戒も解いてくれたし、今回は特別に手伝ってあげよう。これも人助けだと自分を納得させ、初ポアロでのアルバイトをすることになった。ここのお店は上に毛利探偵事務所があるため、本人見たさに来る客も多いのだとか。成る程、女子が多いのもそのせいなのか。推理好きの女子のこと何で言うんだろ。スイ女?自分のお店とは全く異なる客層に感心しつつ、言われるがまま注文を取りたんまり厚くなったものを安室さんに渡した。
「はい、注文ですよ〜」
「…だいぶ溜めましたね」
「お昼時ですしね。取り敢えず珈琲やります」
ランチセットもあるので調理場は大忙しだ。安室さんの手捌きは如何程か、観察してやろうとニヤニヤしながらカウンター内へ入ると、笑顔で手招きされた。何がどこにあるか教えてくれるのかと思いきや、そのまま両頬を引っ張られた。痛い。
「誰がこんなに溜めろと言いました?これが如何に非効率的な注文の取り方か、分かっていますよね?」
「ふぁい、ふみまふぇん」
みょーんと伸ばされてから解放される。ひりひりする頬をさすりながら、前もこんなことあったなあと遠い目。てきぱきと動く安室さんは流石はトリプルフェイスをしているだけのことはある。私の方が遅れそうな早業で、どんどんメニューをこなしていくし、私が探し物をしていると的確な答えをくれるので、彼の視界は草食動物並みに広いらしい。
「なまえさん、ティースプーンは下の引き出しです」
「あ、あった。有難うございます」
「いえ。ちょっと失礼」
丁度私がいる場所の真上の棚からキッチンペーパーを取り出したかったのか、背中に立派な腹筋を感じた。うお、まじか。デオドラント何使ってるんだろう。いや、それは置いといてこれ見方によっては覆いかぶさってるように見えるやつだ。店内の女性客からちくちくした視線を向けられるのがはっきり分かった。心配しなくても、安室さんは私のタイプじゃないから大丈夫。そうは思うものの中々強気な女性もいるようで、コーヒーを持っていた時ちくりと釘を刺された。
「安室さん目当て何ですか?」
「え、全然」
「…じゃあどういう関係ですか?貴女、新しい人ですよね?」
すっごく恨みがこもった視線を向けられて戸惑う。どういう関係かなんてそんな一言で表せるようなもんじゃないし、いまいち彼との関係は謎のままである。店員と客?都合のいい喫茶店仲間?色々頭に浮かんだけど、なんかどれもしっくりこなかった。うーんと唸ったとき、タイミングよくお皿を下げに来た安室さんが助け舟を出してくれた。お姉さんの頬が薔薇色に染まる。
「彼女は僕の先生なんですよ。ね?なまえさん」
「ええ、まあ…珈琲の淹れ方をレクチャーしましたね」
「今日はマスターが急にお休みになってしまったので、急遽臨時で入ってもらったんです」
「そ、そうだったんですね…すみません私ったらてっきり…」
「因みに安室さんはタイプじゃないので大丈夫です」
恋する乙女なら勘違いの一つや二つ、あったとしても不思議じゃない。空いたお皿をお下げしますね、と軽やかに笑いその場は事なきを得た。ピークの時間帯を過ぎたのか、店内はすっかり落ち着きを取り戻して私と安室さんだけになる。テーブルを片付けてカウンター内へ戻って来ると、口からは待ってましたとばかりに悪態が零れた。
「…安室さん、もしかして気付いてて態とやりました?」
「そんなわけないじゃないですか。それに僕にも選択の自由はあるので心配しないでください」
「その笑顔が腹立つなあ。あ、そっちのお皿ください、食洗機にかけちゃいます」
汚れたお皿を並べてセットし、ポチッとスタートボタンを押す。今日ってバイト代出るのかなと思いながら一息吐いたところで、安室さんに名前を呼ばれた。今度は何を頼まれるんだと振り返ると、ずいっと出されたのは二等辺三角形に切られたサンドイッチだ。めっちゃいい匂い。
「お疲れ様でした。一旦休憩にしましょう」
「わーい!珈琲も入れていいですか?」
「ええ、どうぞ」
ポアロのブレンド珈琲はどんな味がするのか、ワクワクしながらカウンター席に座る。サンドイッチ片手に珈琲とは随分至れり尽くせりだ。サクふわなパン生地が素晴らしい。一口目でレタスのシャキシャキ感を堪能しつつ、パサつきのないハムとピリ辛でもコクのあるマスタードを堪能する。
「おいしー!!」
「それは良かった」
もしゃもしゃとサンドイッチを堪能していると、にっこり笑う安室さんがその褐色の指を伸ばした。丁度顔にかかっていた髪を耳にかけられ、ついでに頬についたパン屑も払ってくれる。お兄ちゃんか。最初と全然違うやん。
「ウサギみたいですね」
「レタス食べてるからですか?というかそんなにじっくり観察しないでください、食べにくい」
「なまえさんがあまりにも幸せそうに食べてくれるので嬉しくなりまして」
あ、そうですか。なんかまじまじと見られると餌付けされてる気分にもなる。あれだけ敵意むき出しにされてたのに不思議だ。百面相をしながら食べても笑われてしまい、いっそのこと無表情にするかと思ったところでガラス扉が開き新たな来客を告げる。
「なまえちゃんだ!ほかの喫茶店にいるなんて珍しいね〜」
「あっちは閉店したのか?」
「げ…萩原さんに松田さん、何でここに来たの」
「あ、今の顔ちょっと傷ついたなあ…」
「えへ、ごめんね。お店は休みなんだけど、ここの臨時頼まれちゃってね」
「災難だな。運がねぇのはいつものことか」
「松田さんがそうやって口に出すから本当になっちゃうんだよ」
安室さんは急に登場した松田さんと萩原さんを見て、あ、こいつまさか、みたいな顔をした。一瞬走るピリッとした空気。あ、そっか。この人たちって一応警察仲間になるのか。目線で会話したのか、いつもの営業スマイルを浮かべた安室さんは、いらっしゃいませと2人を席に案内しようとしたのだが。
「なまえちゃんと話せるからここでいいよ」
言い終わるよりも先に私を挟んで座った2人は、メニューを見ずにブレンドコーヒーを頼んだ。私は休憩中だから珈琲淹れないけどね。お水と灰皿を出されると灰皿はいらないと言ってくれた。珍しい。
「禁煙はじめたの?」
「なまえが煙に弱いの知ってるからな」
「美味しい珈琲選ぶにも邪魔になるって言ってたし」
「わわ、やっぱり二人ともイケメン。素敵」
「仕事の合間にはパカパカ吸ってるのにね。むしろなまえちゃんと暮らしたら簡単に禁煙できるんじゃない?」
「あー…一理あるな」
「え、何それ。本気なら協力するよ。安室さん、これ食べたら交代しますね」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。それから…お客さん達もなまえさんに手を出すのはやめて下さいね」
その笑顔の後ろに黒いものが見えるのは気のせいかな。気のせいであってほしい。松田は安室さんの警告に、おー、とやる気のない返事を返していた。萩原さんは聞いてないみたいで、禁煙しようかなってぼやいてる。
「サンドイッチなんてここあったっけ?」
「安室さんが作ったメニューだって。めっちゃ美味しいから2人も食べてみたら?」
「そうだな」
「あっ!」
お皿に残っていた半分が松田さんに攫われた。そして一口食べられたそれは萩原さんへと渡る。食べてみたらって言ったけど、私のお昼ご飯から取らないでほしい。確かに美味いなと2人は相槌を打ってくれたけど、食べたいなら注文すればいいのに。
「盗られた…」
「注文してやるから拗ねんなよ」
「パフェ食べる?奢ってあげるよ〜」
甘いお誘いだったけど丁重に断った。サンドイッチは残念だったけどカウンターに戻り、安室さんと交代する。折角だし3人に珈琲を淹れてあげよう。お店によって珈琲の淹れ方が違うのでちょっと斬新だ。
「はい、ブレンド3つです」
「やっぱりプロは違いますね」
「お、あんたもなまえちゃんの良さ分かる?お店にも行ってみるといいよー」
「ここでバイトするくらいなら正規店開けろっての」
「だから臨時頼まれただけだってば!断れない空気だったの!」
「強制的に働かせるのは違法じゃねぇのか?安室さんよぉ」
「そんなに物騒なことしていませんよ。なまえさんも快諾してくれましたし」
ね?と同意を求められて曖昧に頷く。あれ結構強制的だったような。そんな私たちのやり取りを怪訝そうに見た萩原さんと松田さん。この後、私が注文を取ったり商品を出したりするたびに話しかけられたり、なぜかエプロンのひもを引っ張られるという嫌がらせを受けることになる。仕事の邪魔するなら帰ってくれないかな、とため息交じりに言うとぱったりと止めてくれたけど、何であんなにちょっかいをかけられたのかは未だに謎のままである。帰り際、安室さんに次はいつ入れますか、と聞かれたので、二度はありませんと笑顔で答えてあげた。
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