おかえりなさい。
激しい決戦の後ネェル・アーガマに収容されたリディは、何をすることもなくコクピットの中でひとり呆けていた。
これまで起こってきたことが嘘のように現実味を帯びていない。ひどく重い頭が、つい1ヶ月前のことすらも思い出させてくれない。
おれはどうして、こんなことをした?
純粋にパイロットとしての道を歩み、ひとりの軍人としての人生を生きてゆくのではなかったか?
今更様々な後悔の波がリディの胸に押し寄せてきて、そして力いっぱいつぶそうとする。いろんな人と出会って、いろんな人と別れた。いろんな感情を知って、いろんな経験をした。
死というものを間近で感じ、何よりも恐怖した。

オールビューモニターを介して見えるモビルスーツデッキの景色。下でつなぎを着た整備士たちが右に左に忙しなく流れていく。久しぶりに見る、見慣れた顔もそこにはいた…が、ときどき横切るネオ・ジオンらしい軍服を纏った男たち―――。

「一体どういうことだ?」

大柄の男。サングラスらしきものをかけた男。背の高い金髪の黄色いジャンパーを着た男。見慣れない面々がこのバンシィの下で何かを話しているようで、暫くするとそこにオットー艦長もやってきた。大柄の男は怒ったようにこちらを指さし、しきりに何かを叫んでいる。
不思議に思い、コクピットハッチをオープンする。オートで作動したそれが、エアーの抜ける音とともに肉眼に外の景色を映させた。
リニアシートから降り、ふわりと外へ出る。何時間かぶりに脱いだヘルメットを片手で抱えた。

「おまえか…!」

まさに地に足を着いた瞬間だった。頬に鈍い痛みが走り、リディの身体は宙を舞った。それはものすごい力で、飛ばされた衝撃ですぐ後ろにあったバンシィの脚部に背中をぶつけた。パイロットスーツごしの身体が痛みで軋む。地上ほどではないが、吹っ飛んだ身体へかかる衝撃は少なくはない。痛みに顔を歪めながらも起き上がると、大柄の男が凄むような表情をこちらに向けていた。そして胸倉を掴まれると、リディの身体が男の顔の前まで持ち上がる。

「おまえのせいでマリーダが死んだ……!おまえが撃ったからだ……!あいつはまだこれからだったのに…まだこれからたくさん生きて、いろんなことを経験させてやりたかった…普通の暮らしをして、普通に幸せになってほしかった……!それをおまえは…何も知らずに……!」

ぐっと締めあげる力は尋常ではなく、パイロットスーツごしのリディの首に食い込んで痛い。

「マリー、ダ…?」

小さく呻き、呆然とする。
マリーダ・クルス……あのとき、おれが撃ってしまったパイロット。

「おまえだけは…赦すことができん……」

胸倉を掴んでいる掌が小刻みに震えていた。この人はマリーダ・クルスの何なんだ…?当然の疑問が頭に浮かぶ反面、じんと痛む頬と軽く脳震盪(のうしんとう)を起こした頭のせいで思考が鈍る。
―――疲れた。
それは、素直な感想だった。

「キャプテン、」

聞き慣れた低い声が寂しげな響きを持って飛んできた。後ろから歩いてきたオットー艦長が男の肩に手を乗せる。

「やめましょう、キャプテン。彼を責めたところでマリーダ中尉は喜びやしません」

キャプテン?
目の前の男の呼び名がいちばんに気になった。それになぜオットー艦長はこの男のことをそう呼んでいるのだろう。次々と疑問は浮かんだが、急に手を離された反動で思わず脱力した。

「マリーダ中尉は、誰よりもあなたの幸せを願っていたでしょうから……」

「そんなの、あいつがいなけりゃ始まらない……戦争が終わったって、独りじゃ……フィも、マリィも居ない世界で…マリーダまで居なくなっちまったんだ……」

「……キャプテン………」

キャプテンと呼ばれた男がその場にうずくまる。肩は小刻みに震えていて、泣いているのだろうということがひと目でわかった。

「リディ少尉……君に言う台詞ではないが、彼の気持ちもわかってやってほしい。戦争といっても、一口では済まされない。
これまでの事情は後ほど聞く。今はとりあえず、ゆっくり休んでくれ。部屋はそのままにしてある」

「艦長……本当に申し訳ありませんでした。それと…、お気遣い、ありがとうございます」

「なに、死んだと思っていたのに生きてたんだ。私は未だに本当に君がリディ少尉なのか信じられんよ。瓜二つの誰かなんじゃないかってな」

肩をすくめて言ってみせるオットー艦長はいつもどおりで、含み笑いをした口元が心なしか嬉しそうであるように見えた。
それを見届けたリディは床を蹴りキャットウォークへと向かう。ふと振り返ってみるとしんと静まり返ったRX-0…ユニコーンが視界に入り、それだけがなにか目には見えないものを放っていた。オーラ、とでも言おうか。MSという無機質でも何でもないもの―――まるで巨人のようなそれに、少しだけ肌が粟立った。
そういえばバナージはどうなったのだろう。彼の子犬のような瞳とやわらかそうな茶色の髪がふと脳裏をよぎる。だが、エアロックをくぐった先に立っていた懐かしい小柄を見た瞬間にそれはどこかへ吹き飛んでいってしまった。

「……ミヒロ少尉」

目が合ったのも一瞬、すぐに逸らされた視線。

「…無事、だったんですね」

胸の前でぎゅっと手のひらを握り締めたミヒロに、リディは言う。

「ああ、何とかな。いろいろ、後悔してるけど…」

そうだ、それは計り知れない―――ずっしりとした重みとなって、リディの胸にのしかかる。あのとき、もしももう片方の道を選んでいたら……彼を、恨んだりしなければ。

「あなたは……!」

震えたミヒロの声が宙を舞い、彼女の肩にきゅっと力が入る。

「あなたは、どれだけの人があなたのことを心配したのか……わかっているんですか!?パラオ攻略戦のときに、帰って…来なかったから……みんな、あなたが死んじゃったと思って、戦没認定までして……!」

勢いよく顔をあげたミヒロの瞳から、大粒の涙が零れる。それは空気の流れと一緒くたになって流れていった。

「あなたが、帰って来なかったから……!」

ぼろぼろと溢れ出る涙が止まりそうもない。ミヒロの泣くところは初めて見た。士官学校時代、チビ戦車(スモールタンク)と言われてもひたすら前を向いて頑張っていた彼女が、泣く。
目の前で女に泣かれた経験などないリディはどうしたらいいのかわからず、しどろもどろになる。

「み、ミヒロ少尉、落ち着いてくれ…」

「無理です!誰のせいだと思っているんですか!?平気そうな顔して帰ってきて、どういうつもりなんです!?」

顔を真っ赤にして叫ぶミヒロにゆっくりと近づく。その肩に手を置いて、泣き止むのを待ってみる。が、涙は止まる様子もない。

「……死んだと思ってたのに、バンシィなんかに乗っていたなんて…ふざけるのも大概にしてくださいよ!」

勢いに任せてこちらに身体を預けてきたミヒロがリディの胸を叩きながら声をあげて泣く。この状況に戸惑いながら、リディはそこにただ立ち尽くしていることしかできなかった。
人の温もりを感じるのは、いつぶりだろうか。
最後にこんなふうに人肌に触れたのは、地球でミネバを抱きしめてしまったとき―――あのときは、親父から聞かされた真実を受け止めきれなくて、彼女に助けを求めてしまった。本当に情けないと今になって思う。だが、彼女は……ミヒロ少尉は、違う。

「ミヒロ少尉、ごめん」

返事はなかった。

「……地球に降りて、親父に会えば……と思ったんだ。でも、それは間違いだった。結果として、戦火は広がり、また多くの犠牲者を出すことになった。何も、変わらなかった。いや、変えられなかった」

ミヒロの手のひらがリディの胸の前でぐっと握り締められる。涙も止まりかけているのか、呼吸もだんだん落ち着いてきたようだった。

「…よかった、無事で」

消え入りそうな声が聞こえ、なんとなく胸が締めつけられた。
おれは、彼女にこんなに心配をかけていたのか…?その理由もわからず、リディはただミヒロを見下ろす。沈黙の後、ふとそれを思い出し動く気配のない彼女に向かって投げかけてみた。

「……話、変わるようで悪いんだけどさ。おれの制服って、まだある?」

ゆっくりと顔を上げたミヒロが怪訝そうな顔をしながらリディから離れる。

「…何言ってるんです。一度死んだことになってる人の服なんてありません」

「だよねえ……」

当たり前か、と内心呟いたが「ですが、」と続いたミヒロの声に意識を向ける。

「私が無理を言って取っておいてもらったんです。だから、あります」

ぷいと顔を背けたミヒロの耳が赤く染まっていた。だがリディはそんなことは気にすることもなく、自分の軍服がまだこの艦の中にあるという嬉しさで胸がいっぱいになった。

―――帰ってきた。

「ミヒロ少尉、悪いけど案内してもらっていいかな?さすがにパイロットスーツじゃ、汗臭くてさ」

「わかってますよ。案内します」

口を尖らせたミヒロがリフトグリップを握り通路を引き返していく。リディはその後ろを同じようについていった。


***


「懐かしい匂いがするな」

制服に袖を通してぱっと浮かんだ言葉はそれだった。“懐かしい匂い”今のリディにはいちばんぴったりな言葉だった。

「一か月も経っていないんですよね」

「ああ、インダストリアル7で作戦を行ったのがちょうど一か月くらい前だったか?」

「はい」と答えたミヒロの目はまだ赤かった。それを見たリディはいてもたってもいられず、何かかける言葉を探した…が、結局見つからなかった。ふたりの間を沈黙が取り巻く。困ったリディはひとつ息を吐き、とりあえず部屋から出ようとドアのロックを解除した。

「メガラニカとの通信はどうなってる!」「応急処理班は何やってんの!モビルスーツデッキへ急いでくれ!」「何があっても空気漏れだけは防ぐんだよ!ここで死にたくないだろ!?」「パイロットは全員帰還したのか?通信は!?」
ドアを開けた瞬間だった。オープンになっている回線を通じて聞こえる様々な声がリディの耳に突き刺さった。戦争は終わっても、やらなければならないことは山ほどある――――。

「そうだ、バナージは!?」

ふと思い出した。あのとき、振り返ったときに見たユニコーンがどことなく怖くて近寄る気になれなかった。そのときも、バナージの姿を見ていない――大丈夫なのだろうか。無事に、意識は肉体に戻っているのだろうか。

「バナージくんがどうかしたんですか?」

何も知らないミヒロはリディに問うた。それに少しだけ苛立ちながらも「あいつ、戻ってこれたのか心配なんだ。モビルスーツデッキに行く!」と夢中で返した。当然理解してもらえるわけもなく、首をかしげたミヒロがリフトグリップを握って移動を始めたリディについていく。

通路をひたすら抜け、エアロックを抜け、モビルスーツデッキに出る。がらんとした広い空間にはリディが収容されたときと変わらず整備兵が忙しなく動き回っていて、ジェガン、リゼルにはもちろん、バンシィにも何人かの整備兵が取り付いていた。その中で一層際立つ白亜のその機体は、やはりリディの肌を粟立たせた。
壁を蹴って勢いよくその機体へ向かう。閉じられたままのハッチがオープンする気配はなく、しかもそれを誰一人として気に留めようとしない。他人が容易に開けられるものでないからなのか、はたまた興味がないのか。開けられた箱の中身がわかってしまえば、鍵などに興味はなくなる――――そんなものかと独りごちたリディは、気づいたときには目の前に迫っていた白亜の機体にとりついた。

「やっぱり開けられないか……バナージが開けてくれないと」

「やっぱり開かないんですか?」

後ろからついて来ていたらしいミヒロが言う。彼女もこれが他人では開けられないことを知っているため、少しだけ顔をしかめた。

「バナージ……気を失ってなきゃいいんだけど」

つい数時間前まで恨んでいたはずの相手なのに、殺し合いをした相手なのに。やはり放っておくことができなくて、つい気にかけてしまう。情けないが、これが俺だった。

「バナージくん……」

同じく声を出したミヒロが、胸の前で手のひらを握る。彼女も心配しているのだろう。
なぜバナージは出てこない?意識は戻ったはず。直接見たわけではないが、確かに感じた。ニュータイプというものは時に便利であると、そう思う。使い方を誤れば戦争の道具になってしまうそれだが、人類が誤解なく分かり合えるようになった世界なんて、夢のまた夢だろう。反面、そんな世界になってしまったらおれは恐怖しか感じないだろうが。

思考を巡らせていた。その間全く目の前の機体に注意を払っていなかったのが悪かったのだが、突如オープンしたハッチのエアーの抜ける音がし、何にも掴まっていなかったリディの身体はその風圧でふわりと飛ばされてしまった。無重力の中回転しながら真っ直ぐに飛び続け、人とぶつかってようやく元の位置に戻ってくることができた。少し不快な顔をされたが、構っている暇などなかった。

「ミヒロ、さん……?」

聞き慣れた声がした。それは開いたハッチの向こう側から聞こえたもので、その場に留まったままだったミヒロが反射的に中を覗き込んだ。

「バナージくん!大丈夫なの!?」

大きな声で言ったミヒロの隣までゆっくりと行き、リディもそこに留まる。たちまちコクピットを覗き、軽く乗り込むようにした。

「バナージ!」

「リディさん……」

大きな瞳が、さらに大きく見開かれた。

「無事、だったんですね!」

リニアシートから降りようとバナージが立ち上がる。久しぶりに見る彼から少しだけ疲れの色が伺えるような気もするが、彼自身がそんな素振りを全く見せることはない。代わりに見えるのは安心したような、そんな顔だった。

「いろいろとすまなかったな……」

リディの言葉に「いえ」と答えたバナージがミヒロの方を見た。ミヒロは変わらず心配そうな顔をこちらに向けたままで、そんな彼女を見ていると自然と笑みが浮かんだ。

「タクヤとミコットはどうしてます?」

ミヒロはバナージの問いかけにくっと眉間にしわを寄せ、考える素振りを見せる。そしてしばらく視線を仰いだ後、言葉を紡いだ。

「二人は整備班に配属されてるから……このデッキのどこかにいるとは思うんだけど……」

「なら、俺探してみます!」

ぱあっと明るくなった表情でモビルスーツデッキを見回す。広すぎるこの空間で人間を見つけるのはなかなか困難で、バナージは移動しようとユニコーンの開いたコクピットハッチの上部に手をやる。それを見たミヒロが思い立ったように口を開いた。

「早く顔を見せてあげてね、心配してるだろうから」

「はい!」

にこりと笑ってみせたミヒロに笑顔で返したバナージは、勢いよくユニコーンのハッチを蹴ろうとする。が、「あっ、そうだ」と独りでに呟き、蹴るのをやめた。

「リディさん、」

こちらを向いた顔が嬉しそうな目をしていた。
思わず目を瞬き、次に出るであろう言葉はなにかと待つと、一瞬の間を置いてバナージは言った。

「おかえりなさい」

予想もしていなかった言葉が真っ直ぐにリディの胸を刺した。でも痛くない。むしろ、とても温かい――――。
柄にもなくリディは泣きそうになり、熱い目頭を押さえながら下を向く。そして必死に、ただ一言だけ返した。

「ただいま、」




おかえりなさい。
――――自分の居場所を教えてくれる、魔法の言葉。



2014/11/13
a love potion