食卓の惨劇
「では行ってくる。夕方には帰る予定だ」

「ああ」

午前8時。アンジェロ・ザウパーは、必要最低限の荷物を持って家を出る。
今日もいつもどおりの出勤で、ネオ・ジオンまで向かう。

ここ≪パラオ≫の小さなアパートの一室に1ヶ月ほど前から住むアンジェロとマリーダ・クルスは、交代で家事をやったりしながらひっそりと生活している。
同じような境遇というところから、いつしかそれなりに仲良くなっていた。その後お互い住むところがないということで此処を借りたのだ。

「私ももう少ししたら出なければな」

マリーダも同じネオ・ジオンまで出勤するため、朝食の片付けと洗濯を終えたら身支度をして家を出る。
生活し始めたときから役割分担は決まっていて、基本的にはアンジェロが料理と買い物、マリーダは食器洗い、洗濯、掃除という割合だが、たまにスケジュール等の関係でどちらかが代わりにやるということもある。
基本的に勤務時間はフル・フロンタル大佐の親衛隊の隊長であるアンジェロの方が長いため、マリーダは苦手な料理以外は担当することになっている。

「よし、行くか」

簡単に身支度を済ませ、アパートを出る。家の鍵を閉め、歩いてネオ・ジオンまで向かう。
≪パラオ≫内にあるネオ・ジオンの屋敷はとても大きく、目立った外観をしているため、迷うことなどない。今日もいつもと同じ道を通り、屋敷まで向かう。
お父さん(ジンネマン)もいるから、と会えるのを楽しみにしながら早足で歩いた。


***


午後12時。半日仕事を終え、昼休みに差し掛かったとき。

「マリーダ中尉」

屋敷の広すぎる廊下を歩いていると突然後ろから声をかけられ、何事かと振り向くと、そこには見慣れた顔。相変わらず忙しそうに山積みの書類を持つアンジェロがいた。

「大尉。何か?」

「今日は遅くなりそうなのだ。悪いが夕飯を作れそうにない」

アンジェロにしては珍しく、残業というわけだ。少しだけ申し訳なさそうに話すアンジェロの態度など滅多に見られないものなので、とても貴重な気がして思わず笑いそうになる。

「わかった。自分で適当に何か食べることにする」

「そうしてくれ。遅くても9時くらいまでには帰るが」

「了解」

業務連絡のような形で会話を交わすと、アンジェロは大佐の執務室のほうへ歩いて行った。どうせまた大佐のお仕事を手伝うとか、お食事に付き合うとか、そんなものだろうとマリーダは予測し、ひとつ溜め息を零すとゆっくり食堂へと向かった。


***


家に到着したのは、午後6時だった。≪パラオ≫は日が傾くのが早く、もうすでにあたりは真っ暗である。

「さて、夕食を…」

帰ってきてすぐ冷蔵庫の中を漁るが、とくに目ぼしいものもない。仕方がないから買い物に行こうとひとりでに決め、今日一日着ていた軍服を脱ぐと、私服に着替える。買い物というのはいつもアンジェロの仕事であり、何度かついて行ったことがあるくらいで、まともにした覚えがない。何を買えばいいのかもわからないまま、何とかなるだろうとだけ考えたマリーダは、財布を持って家を出た。

「何を食べようか……」

お店に来たとたん、突然悩んでしまった。いくら料理が苦手なマリーダでも、たまには何かを作らないと進歩もしないと考え、何かを作ることにしたまではいい。だが、肝心なレシピがわからない。アンジェロが作ってくれる料理には何が入っていたか、どんな味だったか、記憶だけを頼りに買い物をする。
自分でも作れそうなものはないだろうか……と考えた結果、思い立ったのはカレーライス。確か、具材を適当に切り刻んで、“カレールー”とやらを放り込めばできたはず。
そうしよう、と心に決めたマリーダは、野菜売り場に足を運ぶ。アンジェロはカレーに何を入れていただろうか?再び記憶の糸を辿って、食材を選び始めた。


***


午後9時。マリーダに報告したとおりの時間に間に合いそうで内心ほっとしつつ、アンジェロは家路を急ぐ。アパートの2階、ふたりで住んでいる部屋からは煌々と明かりが漏れていて、中に人がいることを確認すると、アンジェロは勢いよくドアを開けた。

「ただい……何だこの臭いは!」

部屋中を漂う臭い。例えようのない悪臭は、アンジェロの鼻腔を執拗に刺激してくる。キッチンに立っている人物の後姿を確認すると、「貴様、何をした!?」と片手で鼻をつまみながら叫んだ。

「アンジェロか。丁度カレーライスが出来た。タイミングがいいな」

待っていたぞと言わんばかりのマリーダの反応に、思わず「はあ!?」と返し、コンロの上にある鍋を覗くと、茶色いドロドロとした液体の中に具材か何かが入っているのがわかった。ぱっと見はカレーライスに見えるが、臭いがおかしい。カレーライスのあの香ばしい臭いはどこへ消えたというのだ。この悪臭の原因を冷静に考える頭もあり、そんな自分になぜか笑えてくる。

「今から盛り付けるから座っていろ」

心なしか嬉しそうに言うマリーダに無理矢理椅子に座らされると、お皿に盛り付けられたカレーライスが目の前に出てきた。見た目は悪くない。見た目は。それなのに、どこかおかしい。恐る恐るスプーンでひと口すくって口に含むと、瞬時に全身の血の気が引いた。

「マリーダ……貴様、カレーライスに何を入れた!」

吐くわけにもいかず、必死で飲み込むと、慌てて水を流し込んだ。このニンジンに見えるオレンジの物体…このジャガイモに見える物体…これは、何だ!?スプーンですくってみると、ふにゃっとしたそれは、野菜なんかじゃない。

「柿と、桃だ。どうだ?味のほうは」

ケロッとした表情で衝撃的な言葉を放つマリーダ。
おかしい。絶対おかしい。こいつの味覚は狂っているのか。瞬時にマリーダの味覚を疑ったアンジェロは、マリーダ用に既に盛り付けられているそれを食べるよう促した。
アンジェロに言われてひと口ぱくっと口に入れたマリーダは、すぐに眉間にしわを寄せ、いかにも“不味い”というような顔をした。

「なぜだ?私は何を間違えたんだ?」

食べてみてやっとその味に気づいたらしいマリーダに、アンジェロは呆れた様子で喋る。

「柿ではなく、ニンジンを入れるんだ。桃も違う。ジャガイモだ」

どうして食べただけでわかるんだ?とでも言いそうなマリーダの顔を尻目に、アンジェロはもう一度問題のカレーライスを食べてみる。それにしてもどうしたらこんなに不味くなるんだ、と不思議に思いつつ、食べ物を捨てるのは良くないと昔ママに教わったのを思い出した。

「せっかく作ったのだ。残すわけにもいかんから、わたしは全部食べる」

「……ただ、もう作るなよ」そう念を押したアンジェロに、マリーダは申し訳ない気持ちになった。やはり自分には料理を作る才能はないのか……改めて実感させられるとともに、アンジェロのすごさを知ったような気がした。

数分後、汗だくになりながら何とか完食したアンジェロは、あまりにも静かなマリーダが気になってちらと視線をそちらに向ける。そこには珍しく落ち込んだ様子のマリーダがいて、アンジェロは聞こえないように小さく溜め息をついた。

「何か食べたいものはあるか」

その言葉に顔を上げたマリーダは、「……何でもいい」と返す。そう言われ冷蔵庫を覗いたアンジェロは、残った食材を使って簡単なオムライスを作ることにした。

「オムライスでいいな?」

「…ああ」

マリーダの返事を受け取ったアンジェロは、冷蔵庫から卵、ニンジン、タマネギ、ケチャップを取り出すと、テーブルに置いた。炊いてあるご飯が少しだけ残っていることを確認すると、包丁を取り出し、ニンジンとタマネギをみじん切りにしていく。そして卵を割り、よくかき混ぜる。次にフライパンを取り出すと、そこにご飯と切った具材を一緒に入れて、ほどよく炒める。

その華麗な手さばきに、マリーダは思わず見入っていた。やはり料理はアンジェロが担当すべきだな、と思ったとき、「今度、少し教えてやる」と頭上から声が降ってきた。

パラパラになったご飯をお皿に移したアンジェロがこちらを向き、ぐっと眉間にしわを寄せた。

「わたしとおまえの休日が重なったら、おまえの希望する料理の作り方を教えてやる。だから、ひとりで作ろうなんて思うなよ。またこんなふうにされたら適わんからな」

今日はアンジェロがやけにやさしい。明日絶対何かが起こる。そんなことがふと浮かんだマリーダの目の前に、ふわふわのオムライスが出される。

「これっぽっちしか出来なかったが、おまえのカレーよりはマシだ。食べろ」

マリーダは苦笑を零すと、オムライスをひと口ずつ食べる。卵がふわふわで、甘くて、とても美味しい。あまりの美味しさにペロッと平らげてしまうと、ひとりでに「ごちそうさま」と呟いた。

どうして彼はこんなに上手に作れるのだろうか。今日身をもって料理の難しさを再び実感させられたマリーダは、日頃料理を作ってくれるアンジェロに感謝しなければと理由もなく思い、後ろでカレーの処理を始めたアンジェロに声を掛けた。

「大尉」

「何だ」

不機嫌そうなアンジェロの声が返ってきたが、そんなことはどうでもよかった。

「ありがとう」

マリーダの言葉に動きを止めたアンジェロが、少し照れながら「…礼を言われるほどのことでもない」と言うまであと10秒。




食卓の惨劇
a love potion