おもちゃ箱の底に愛を
その人の執務室に入るのも、もう慣れたころの話だ。

その人はいつも窓の外に目を向けて、どこか遠くを見つめている。振り向いてこちらを向いて話すことがない訳ではないが、頻度は圧倒的に少なく、目を合わせてもしっかりとこちらを捉えているのかどうか、少し怪しい節があった。

「失礼します、准将」

今日もいつも通りその人―――マクギリス・ファリド准将の執務室の扉をノックし、部屋に入る。だだっ広い部屋の奥にぽつりとあるデスク、大きなガラスの向こうの景色は快晴だった。

「以前頼まれた件の報告ですが」

「ああ、頼む」

太陽の光に照らされて光る金髪を目の前に、石動はつらつらと頼まれた件の報告をする。聞きながら眉をひそめたり視線を動かしたりしているマクギリスを視界の隅に収めつつ、端末に表示される情報を述べていく。「報告は以上です」と端末の画面を閉じ、マクギリスを見据えたときだった。

「石動」

名前を呼ばれ、疑問詞を口にする。何か次の要件だろうか、と内心身構えてしまうあたり、少々疲弊しているらしい。

「少し、気分転換をしないか」

「……は?」

何を言うかと思えば。突拍子もないマクギリスの発言によほど驚いた顔をしていたのか、彼はくっくっと小さく声を上げて笑う。

「外の空気が吸いたい。少し付き合ってくれ」

「……はい。お望みであれば」

間の抜けた返事が出た。確かに今日のスケジュールは特にないが、突然そんなことを言い出すとは。持っていた端末が手から滑り落ちて、慌てて拾ったのを見たマクギリスはまた笑う。

「話し相手がほしいんだ」

そう言って椅子から立ち上がりスタスタと扉へ向かって歩き出す彼の後ろを駆け足で追いかけた。


***


「風が気持ちいいな」

「今は丁度気候がいい季節ですからね。湿度も低いですし」

どこへ行くのだろうか。自由気ままに歩くマクギリスの後ろをついて歩き始めて十分ほど。ギャラルホルン本部―――ヴィーンゴールヴの居住区にある、いくつものお店が立ち並ぶこの通りは、右を見ても左を見てもギャラルホルンの制服を身に纏った人しかいない。その大半が男性であり、女性の姿はちらほら見かける程度だった。食品を扱うお店、服を置いているお店、小物が並ぶディスカウントショップ……さまざまなお店があるのを横目で見届けながら通り過ぎていく。彼はどこへ行くのだろう。

「石動、お腹は空いていないか」

視線は前を向いたまま、マクギリスは石動に問うた。

「申し訳ありません、生憎、昼食を済ませたのがつい先ほどでして」

「それは残念だ」

そう言うと不意に立ち止まり、ある一方を見つめるマクギリスと同じ方向を向く。彼の視線の先には、チョコレート専門のケーキショップがあった。

「准将がお召し上がりになるようでしたら、お付き合い致しますが」

「頼めるか」

「はい」

満足そうに口元に弧を描いてマクギリスは店内へと足を運ぶ。その足取りはとても嬉しそうで、お菓子を買ってもらうときの子どもの姿と似ていた。
店内は落ち着いた雰囲気で、茶色や黒と白を基調にシンプルな色合いでまとめられていた。店内にはカップルと思われる二人組と、我々だけしかいない。エプロンを身に着けた店員に案内され、窓際のとても日当たりのいい、二人掛けに腰かけた。マクギリスは大変楽しそうな様子でメニューを見つめ、あれにしようかこれにしようかと迷っているようだ。反面、甘いものが別段得意なわけではない石動は、いちばん最初に目に入った、よく見るスタンダードなチョコレートケーキのSサイズを頼むことにした。

「これだけあると迷ってしまうな」

「お決まりになりましたら教えて下さい」

店員を呼びます、と言葉を紡ごうとしたとき、彼の片眉がぐいっと跳ね上がる。

「これは美味しそうだ」

マクギリスが指で示したのは、ホワイト、ミルク、ブラックチョコレートに加えストロベリー、抹茶等……いろいろな味のチョコレートが混ざったり上にのっかっていたりする如何にも斬新なパフェだった。下に埋もれているアイスクリームですらバニラではなくチョコレートで、その味を想像して石動は胸やけがした。しかし目の前の上官はとてもニコニコでこれにする、と言うので、顔が引きつってしまわぬよう必死に堪えながら店員を呼び、注文を告げた。しばらくの間、普段しないような他愛もない会話を交わしてみたり、次の日程の話をしたりしていれば、程なくして目の前に注文したそれらが置かれた。
石動の頼んだチョコレートケーキがシンプルすぎるというのもあるが、マクギリスの頼んだパフェは驚くほど豪華で、本当に食べきれるのだろうかと思い、「胸やけがしなければ良いですが」と心配する意味で言うと、「私は甘党だからな」と彼は笑ってくれた。

「それにしてもいろいろなものがのっていますね」

「ああ。食べ終わるのが楽しみだ」

マクギリスは本当に、本当に楽しそうにスプーンを差し込んでそれを食べる。普段執務室に缶詰め状態なのだ、たまにこうして好きなものを食べられるというのは彼にとって幸せな時間なのかもしれない。そう思うとなんだか石動まで自然と笑みがこぼれてしまった。


***


「准将が楽しめたようで何よりです。……と、いうことで、本日はこのままお休みになられてはいかがでしょうか?」

気づけば夕方になっていた。あの後ペロリとパフェを完食してしまったマクギリスを見て唖然としていた石動を笑っていた彼は、店を出てディスカウントショップに入ったり、近年稀に見るほど貴重になってしまった紙の本が置いてある店に入ってみたり、それなりに自由に街をふらついた。道中でライザ・エンザに出会ったりした(彼は何をしでかすかわからないのでハラハラした)が、特に何の問題もなく順調に時を過ごせて、石動は少しほっとした。副官=護衛の身としては、彼に何かあったら……と思うと気も休まらないもので、結局息抜きというほど息抜きも出来なかったわけである。

「そうだな……、アルミリアも待っている頃だろう」

「本日はもうほとんど残りの仕事もありませんし、あとは私の方で出来ることを処理しておきます」

そう伝えると、マクギリスはちら、と石動を見る。

「いや。お前も疲れた顔をしている。今日はもういい、帰って休息をとれ」

「……――ですが、」

「今日一日ご苦労だった。街に連れ出すことでお前も少しは息抜きが出来ればと思ったが、かえって気を遣わせてしまったようだ」

目の前の上官は首を傾げ眉根を寄せてうーん、と唸る。こんな姿は滅多に見たことがないので新鮮な上に、どう対応したらいいものかと石動を困らせた。

「だから今日は休め。そして明日もまた頼む、石動・カミーチェ」

にやり、いつもの顔に戻ったマクギリスを見、石動は瞬間的に姿勢を正し、胸に手を当て敬礼をした。どんなときでもマクギリスは絶対に嘘は言わない。それをわかっていた。

「はっ!」

今度こそ満足そうに笑ってこちらから視線を離し、前を向いて歩き出したマクギリスをしばらく眺める。こんな彼が上官だから、自分はついていこうと思った。もちろんそれだけではないが、彼が今の石動に少なからず夢を与えてくれる存在で、此処へ立たせてくれた恩恵を忘れた日はない。自分のこと以外もしっかりと考えて下さる、そんな彼だからこそついていく。だから、そんな彼が抱く夢を実現するお手伝いを少しだけでも出来るように、と。
遠くなっていくマクギリスの背中を見送りながら石動は小さく笑った。
生暖かい風が髪を揺らし、通り過ぎていく。明日の任務を確認しなければ、と端末を取り出した瞬間、画面とは反対側―――要するに背面に何かが貼ってある感覚がして端末を反対側にひっくり返してみる。

「……准将。…………全く、本当に子どもらしいところがあるお方だ」

微かに漏れた溜息と、もう一度こぼれた笑み。
簡素な構造の端末、グレーの背面のその真ん中に、大きなピンク色のウサギのステッカーが貼られていた。どうしていつの間にこんなものを……と思ったが、愛らしいウサギのイラストを見て少し癒されてしまった自分がいた。
コロニー生まれ、コロニー育ち。ギャラルホルンに入ってからも尚、虐げられながら生きてきた面白みのない人生に、色をくれた人。相変わらず何をお考えになっているのかわからない部分も多いが、それがこんなふうに裏目に出るとは思いもせず。優秀だ≠ニ言われ、ただただ上官に使われていただけの時とは違う、ファリド准将のもとでの生活。ピンク色のウサギだなんて柄ではないが、そうそう他人に見られるものでもない。明日、これを持ち歩く私を見て彼はなんて言うだろう。
それを思ったら、少しだけ明日が楽しみになった。






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