燃えつきた星は宇宙へ還る

「……今日の天気は晴れ、時々曇り。夜になると少し空に雲がかかってくるかもしれません。また、……」
車のラジオからは今日の天気を告げる内容が流れてくる。ラジオという文化はひと昔前からあるものだが、未だ廃れることがない。それの内容にあまり聞き入ることもなく、ユージンは外で警護にあたっていた。クーデリアが会談を終えるまで、特にすることもないがこの場を離れるわけにもいかない。暇だ、そう思いつつも流れていく景色を見ることしかできず、退屈さに痺れを切らした頃。ラジオから流れてくる音声は軽快なポップスに変わった。どうしてこうも人間はラヴソングが好きなのだろうか。どうせ自分には関係ないものだ、そう思うのもここまでの人生が大きく関わっているような気もした。少し前まで愛は金じゃ買えないと得意げに呟いていたが、今じゃもう愛なんてものすら遠い存在になってしまった。小さく溜息を吐いて、ハンドルに寄りかかるようにして体重を預けた。この辺りは平和だ。過去の出来事が全部嘘のように穏やかな時間が流れている。


◇◇◇


あれから五年。団員だったみんなはそれぞれの職に就いた。しばらく会っていない奴だってたくさんいる。連絡は取り合っても、仕事が違えばそうそう会うことも叶わない。会って話したい奴だってたくさんいるし、一晩飲み明かしたい奴もいる。今はもうそれぞれの生活があって、徐々に、しかし確実に笑顔を取り戻すことが出来ていた。だけど、それでも。先に遠くに行ってしまった奴らのことを思うと悲しくない日はなかった。
あの日は泣いた。みんなで泣いた。泣いても戻ってこないことくらい、誰もがわかっていたことだったが、ひたすらに泣いた。自分の意志とは無関係に涙が溢れてきた。きっと我慢の限界だった。あのとき周りは敵しか居ず、進んできた道は間違っていたようだった。しかし、後戻りなど出来るはずもなくそのまま―――。怖かった。……怖くないわけがなかった。

夜、自室で物思いにふけりながらふと手元の端末を見ると、着信があった。

「……ヤマギ?」

相手はヤマギだった。あいつから掛かってくるなんて珍しい。通話ボタンを押すと、一呼吸おいて「もしもし?」と彼は応対した。

「あ、ユージン?」

「おう、どうした?」

「あのさ、今度、スケジュールの都合がついたときでいいんだけど、こっちに来てくれないかな?」

「……おやっさんのとこに?また、どうした」

ヤマギの声は心なしか上ずっていた。なんだか焦った様子で、落ち着かないといった感じが伝わってきた。きっと、何かあったんだろう。しかし、そんなに急ぎの用事……というほどでもないというところだろうか。

「うん、ちょっとね。見てほしいものがあるんだ」

写真や映像ではなく、実物を見てほしい。そう告げられ、ユージンは息を呑んだ。急ぎではないとしても、かなり重要な用事だろう。いったい何があったのだろうか。胸がドクドクと脈打つ。なんだか、あまりいい予感がしなくて背中がすっと寒くなった。

「わかった。都合つけてすぐに行けるようにするからよ」

「……ごめん、ありがとう。無理はしない程度でいいから」

「おう」

通信を切って、ベッドに思い切り寝転がる。
このことをクーデリアに話して、代わりの護衛をつけてもらい、ヤマギのところに行こう。それにきっとチャドも行きたいと言うだろうから、一緒に連れてってやろう。火星まで数週間掛かるが、訳を話せば彼女なら許可をくれる。考えれば考えるほど緊張して鼓動が早くなる。日頃溜まったストレスも相まってとても身体が重い。しかし、久しく会えていない彼らと会うことが出来るという嬉しさもあった。

コンコン、誰かが部屋をノックする音がした。「誰だ」と声を上げると、「私です」と声がした。クーデリアだ。ちょうどいい、とも思った。

「どうぞ」

ドアのロックを解除すると、真剣な面持ちのクーデリアがいた。

「どうかしたのか?」

「……夜分にごめんなさい。実は、先ほどヤマギさんから連絡があって。近いうちにあなたを雪之丞さんの会社へ来させてほしい、と」

「……ああ、あんたにもあったのか」

「あら、ユージンさんのところにも?」

「当たり前だ」

そういうことなら話は早いな、と思い、単刀直入に切り出す。

「そういうことなんで、どこかで休暇を頂きたいんだが……長期になっちまいそうだがよ」

「ええ、そのつもりよ。明日あたりから、どうかしら?」

思わず耳を疑った。そんなに早くにもらうことが出来るとは。自分でも頬が緩むのがわかった。

「そうさせてもらえれば助かるぜ!」

「もちろんよ。あと、チャドさんも連れて行ってあげて。彼もみんなに会いたいでしょうし」

「おう、俺ももともとそのつもりだったからよ」

さすがに話が早い。嬉しくて思わずにやけてしまうと、クーデリアも笑った。

「しかし、いったい何の用なんだってな。急に呼びつけてまで……」

「ヤマギさんの感じだと、少し深刻そうだったけれど」

「ああ。だからあんまりいい予感がしねえんだ……」

さっきまでの笑顔とは一転、眉間に皺が寄る。つられて、彼女も不安そうな顔をした。

「そうね……。でも、まだわからないわ。とにかく、明日、行ってらっしゃい」

クーデリアの瞳には、強い光が宿っていた。さすがは、革命の乙女。怯んでいたら、前には進まない。

「ああ。チャドにはもう伝えたのか?」

「ええ。少し不安そうだったけど、喜んでいたわ。それに、ヤマギさんからも連絡がきていたみたい」

「そうか」

では、とドアを閉めようとするクーデリアを見据えて、ユージンは少し恥ずかしさを覚えながら言った。

「……ありがとよ」

その言葉にクーデリアは柔らかく笑って、「おやすみなさい」と呟いて戻っていった。


◇◇◇


数週間後、やっとたどり着いた火星。ユージンとチャドは指定された時刻(恐らくヤマギたちの都合のいい時間だろう)に、カッサパ・ファクトリー≠訪れた。相変わらず会社は忙しそうで、繁盛しているならよかった、とふたりで安堵したとき、向こうからヤマギが駆け寄ってくるのが見えた。

「ユージン!チャド!」

「ヤマギ!久しぶりだな」

「元気そうで何よりだ」

顔を合わせるや否やお互い近況を報告しつつ話す。おやっさんのとこのお子さんがすくすくと育ってとてもやんちゃになっただとか、ザックとデインが営業をがんばっているだとか、そんな些細なことだ。

「本当にみんなそれぞれがんばってるよ」

俯きがちに話すヤマギの口元には笑みが浮かんでいたが、その瞳は少しだけ、ほんの少しだけ赤く腫れて、疲れている様子が伺えた。それが今回のこの件も少しは絡んでいるのだろうと思うとなんだか苦しくてくちびるを軽く噛んだ。

「……で、本題はなんだ」

ユージンは切り出す。前置きはいいから、と。
途端にヤマギの顔が引き締まって、真剣な表情に変わる。その瞳だけで只事ではないとわかり、緊張で口の中が渇く。

「ああ、俺も気になってるんだ、頼むよ」

チャドもユージンの纏う空気を察したようで、真剣な表情に戻る。

「……ああ、わかってる。じゃあ、ちょっとついてきて」

端末を片手にヤマギは背を向けて歩き出す。その背中には少し重いものが乗っているような、そんな錯覚にとらわれた。


「ここだ」

案内されたのは格納庫。今はもうモビルスーツはなく、仕事で使うモビルワーカーだけが並べられている。整備をする人間で忙しない環境の中、ヤマギは奥へ、奥へと歩みを進めていく。やがて広かった格納庫の最奥、備品が置いてあるような物置で足を止めた。

「これ」

そう言うヤマギの視線の先には、見覚えのあるもの。どぎついピンク色の、あいつが乗っていた、アレ。

「フラウロスの、頭部だと思うんだ。ぼろぼろであんまり形がわからないんだけど、この形状からして……」

「フラウロスの……」

言葉にならなかった。言葉が出てこなかった。
目の前にあるのは、あいつが乗っていた、そしてそれに乗ってから、あれから還ってくることのない、彼の愛機。
ガンダムフレームの特徴的なツインアイも、双方に伸びていたはずの太い角も、ひしゃげて片方しかなく、残った片方も割れている。鮮やかなピンク色もところどころ剥げて、どんな厳しい環境からここへ流れ着いてきたのか、想像に難くない。

「あの後、どうしてこれだけなのかわからないけど、ここが所有してる港近くにたまたま流れてきたらしい。偶然にしてはこわいくらいだ」

下を向いてヤマギは話す。そんなヤマギを見てチャドが「シノは……」と恐らく無意識に、言った。

「いないんだ、シノは。還ってこなかった、そういうことだろ」

ヤマギの大きな瞳からは大粒の涙がぼろぼろ零れ落ちていく。それが地面に落ちて染みをつくって、そこを濡らす。

「こいつだけ還ってきてさ、コックピットはないんだ、もちろん他の部位もない。本当は探しに行きたいくらいだけど、それも叶わないってわかってるから」

なんだよ、それ。
あいつがやりそうだと思う反面、ヤマギの気持ちを考えると少しだけ憤りを覚えた。拳をぎゅっと握ってチャドの方をふと見ると、チャドも泣きそうな顔をしていた。

「ああ、シノらしいな……。でも、俺はシノに還ってきてほしかった」

珍しくチャドがそんなことを言って、そしてヤマギを見据えて、同じように涙を流す。そんなふたりを見たら、ユージンも鼻の奥がツンとして泣きそうになってきた。

「馬鹿野郎、お前ら、俺まで泣かす気かよ」

「泣けばいいだろ、泣きたいときに泣けよ」

そんなユージンにチャドが言い放つ。その瞳はもう涙でぐしょぐしょだ。
三人で、格納庫の隅で静かに泣いた。声も上げずにひたすら涙を流して、三人で泣いた。


◇◇◇


「ユージン」

外に出てみんなが働く風景を遠くから眺めていると、後ろからヤマギの声がした。

「仕事はいいのか?」

「うん。丁度休憩もらって」

本当はたくさん話したいくせに、素直じゃない。ユージンは自分自身に少し苛立ちながらも、隣に並んだヤマギの方を見る。

「今日は来てくれてありがとう、本当に」

「ああ。クーデリアが気を遣ってくれたんだ、早く会いに行って来いってよ。相変わらずお節介だ」

「そっか」

短く返事をしたっきり、ヤマギは黙ってしまった。火星の乾いた風が頬を触る。懐かしい故郷の空気は、やはり心地いい。決して住みやすい訳ではないだろうが、俺は火星が好きだ。

「何か、地球に戻りたくなくなっちまうな〜」

無意識にそんな言葉さえこぼれた。地球だっていいところだって知っている。飯は旨いし、景色はきれいだし、移動する度に違う風景が見られるのが不思議だ。天候には慣れるまではたくさん振り回されたが、それも悪くない。でも、やはり俺たちの故郷はこっちだ。

「地球だっていいところじゃないか」

「ああ。けどよ、こっちの方が断然落ち着くぜ。やっぱり俺ら、火星人なんだな」

「火星人、か」

ギャラルホルンの奴らに嫌というほど言われてきた言葉だったが、最近はめっきりそう言われることもなくなった。火星(ここ)も独立して、以前ほど差別されることも無くなってきたから、だ。

「あいつら、見てるかもな」

火星の、埃っぽい大気が覆う空を見上げる。ヤマギも察したようで同じように空を見上げて、笑う。

「きっと見てる。団長さんたちだって、きっと笑ってる」

「みんな仲良くやってるか?ってなあ」

「シノも」

「あたりめえだ」

精いっぱい笑った。ほんの少しだけ目頭が熱くなってきた気がするが、気のせいだ。俺は笑う。そうすれば、きっとつられてヤマギも笑う。みんなで笑えば、空の向こうのあいつらだって心配しなくて済む。もう、余計な心配をかけたくない。

「俺、俺さ、」

思っていたより大きな声でヤマギは話し出す。少し驚いて、目を見開いてヤマギを見据えると、さっきまで笑っていたはずの彼は真剣な顔で、またほんの少しだけ瞳に涙の膜を張って、真正面を見ていた。

「本当に、シノのこと好きだったんだ。この気持ちだけは忘れたくないから。だから、」

「わかってるよ。別に忘れる必要ねえだろ。むしろ、覚えておかなきゃならねえ感情だろ、それは」

「……ユージン……」

「もし、俺がじいさんになってボケちまって、あいつらのこと忘れちまったとしてもよ、お前だけはシノのこと忘れるんじゃねえぞ。お前が忘れちまったら、あいつ、泣くかもしんねえぞ」

何を言ってるんだか、俺は。柄にもないことを口走ったことを少し後悔した。が、ヤマギは今にも泣きそうな顔で、「そうだよね……」と呟く。

「シノが泣いたら大変だ」

「そこかよ」

わざとなのか、本気なのかわからないが、そんなヤマギに思わず笑った。確かに、あいつが泣いたら大変だ。……泣いてるところ、見たことねえけど。

「ユージン!ヤマギ!」

後ろから声がした。チャドだ。

「おう、時間か?」

「ああ、そろそろだ。あと、ダンテたちのところにも顔出したいからさ」

「そうだな」

こぼれる寸前だった涙を袖口で拭ったヤマギが、眉尻を下げて「行ってらっしゃい」と笑って言う。そんな彼の肩をポン、と叩いてユージンは別れを告げた。

「じゃあな、また」

「また来るよ、ヤマギ」

「ああ。待ってる。それじゃ」


もうすぐで、日が暮れる。



a love potion