息を切らしながら走るわたしの瞳には、明らかに異国の景色が映りこんでいた。見慣れない町並み、同じ人種とは思えない人、空気、話す言葉。そのすべてが美しくもあり恐ろしかった。
どこへ向かって走ればいいのかもわからないまま、兎にも角にも足だけは止めるわけにはいかなかった。自分が追われている理由も、何故こんな場所にいるのかも、足を止めたからと言って答えが出るわけじゃないと理解していた。

充分に酸素が送り込まれない脳が、正確な判断を下せるとは到底思えない。それでも捕まれば終わりだということだけは痛いほどわかっていた。根拠のない自信だけど、自分の直感は当たらずとも遠からずだった。
そもそも言葉が通じない異国という時点で、和解などできるはずがない。自分の置かれている状況も、相手の主張も、何一つわかりっこない。情報共有が断たれるとこんなにも孤独感が増すのだと初めて思い知らされる。

そうこうしているうちに先に限界を告げるのがわたしだった。知らない場所で逃げ続けるには無理がある。足も、これ以上走れないほど重たくなって今にももつれそうだ。
視界の端に映る異国の夕焼け空がどんなに美しかろうと、綺麗ね、と褒める余裕などどこにもなかった。

ふと見上げた先に見えた大きな家。その家の玄関の扉が開いているのが見えて、もうここしかない、と縋るような気持ちで手を伸ばした。少し重さのある扉を開けて中に入り、急いで鍵をかける。
誰の家かもわからないこの場所を選んだのは、確実に失敗だった。不審に思った家の人がわたしを連れ出して追っ手に突き付けるのも時間の問題だろう。それでも動かない足を一刻も早く休ませたくて、呼吸困難になりそうな息を整えたくて、今の状況を自分なりに整理したくて、こういう行動に出ることしかできないでいた。

「(わたし、何やってんだろ…)」

扉にじっと張り付いたまま、外の騒がしい声に耳を澄ます。わたしを探しているであろう人たちの声が聞こえる。なんて言ってるのかわからない、異国の言葉で。
着ている服は兵隊のように武装されていて、腰に下げられていた細いサーベルのようなものを目の前に突き付けられたら、と考えただけでも恐ろしい。ぶるり、と体の芯から震えが過った。

もっと大袈裟に吐き出したい息を殺しながら、わたしは追手がこの扉を叩かないことを祈った。泣きそうになった。いや、もう半分泣いてしまっている。
これからどうしよう、そのことばかりが気になって、後ろに誰かが立っているなんて気付きもしなかった。パニクっている人間ほど、視野が狭い奴はいない。まさに、今のわたしだ。


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