■ 彼女の余裕

「はーい軍師さま、お昼ですよーん」
「……」
 ノックの返事も待たずに扉を開けたなまえを見て一回、差し出された包みを見て一回。
「なんだこれは」
 二回の溜息をついたシュウを気にする気配もなく、いい笑顔でなまえは答えた。
「コレステトンカツですよーん」
 シュウの眉間の皺は益々深くなる。訪れていたアップルはうわぁと呟いた後、そっと視線を外した。ぴりぴりと震える空気から逃れられないのなら、いっそこの場は我関せずに徹していようと決めたからだ。
「せっかくだが……」
「エルネスタからの差し入れだよーん。今日の戦利品を『お仕事頑張ってるシュウさんに』って、そこで預かったんだけど」
「……ご苦労。よし、さっそく頂こうじゃないか。アップル、お前もどうだ」
 エルネスタからと聞くなり態度を翻し、うきうきという表現がぴったりなほど上機嫌に包みへと手を伸ばす兄弟子の姿に眩暈を覚えつつ、丁重に断りを入れてアップルは部屋を後にした。(ああもう本当にシュウ兄さんは……エルネスタが絡むと気持ち悪いわね……)という彼女の心の声は当然ながらシュウには届かない。

  ***

 見ているだけで胃もたれしそうなそれを、嬉しそうに咀嚼するシュウと、少し離れた椅子から黙って見守る私。なかなかに珍妙な光景である。
 ちなみに、私には一口だってくれる気は無いのだ。別にいいけどね。
 ……あ、むせた。可愛いなぁ。


「いつまで見ている」
 ギトギトの指先を神経質そうに拭きながら話しかけられると、笑いを堪えるのが大変だ。
「笑うな」
 失礼、堪えられてはいなかった。
「いやあ、シュウさんって本当にエルネスタ大好きだな、って思ってね」
「当然だ」
 返される言葉はにべもない。
 ついでに、食べきれない分は包んで横に置くという徹底ぶりである。
 アップルちゃんには「お前もどうだ」って声かけたのにぃーと拗ねて見せるべきか迷うところだが……まあ止めておく。言ってみた所でろくな反応はもらえなさそうだし。そしてコレステトンカツのスタミナぶりとか、その年でその量食べられないって心配だとか、そういう弄りがいのある会話に持っていくことも止めて、あっさりばっさりと話題を変えることにした。
「シモーヌから伝言。美味しいお茶が手に入ったから後で分けてくれるってさ」
「ほお、彼がそういうならさぞ……うむ、楽しみだな」
 お茶好き軍師は瞳をキランと輝かせて言った。珍しいことに、声にまで嬉しさが滲んでいる。自分で伝えたくせに何だが、シモーヌに嫉妬しそうになる程に素直な喜びようじゃありませんか。
「貰いに行くのは夕方だし、明日のお茶の時間に淹れましょうか」
 小さく頷いてそのまま仕事に戻るシュウは、それきり何も言わない。けれどそんな塩対応にもこっちは慣れっこである。
 何も言われないのをいい事にこのまま図々しく居座るかとしばし思案の末、まあ今日は帰るかと立ち上がった所でようやく彼の言葉が飛んできた。

「ついでに、茶を頼む」

 相手もせずによくもまあ。けれどまあ、それでも"使われる"のは悪い気はしない。
 結局私は、そのまま二人分のお茶を淹れて座り直すことになった。



 なんてことない日常の、甘くもなんともないひと時。
 その気になれば、進ませることも壊すことも、容易いこの距離感。
 ある意味貴重なこんな時間に、我慢していられるのは、きっともう少し。
 じわじわと強くなる飢えを、誤魔化せなくなる日まで、きっとあと少し。

 終わりの予感がある今だからこそ、こんな時間すら楽しくて仕方がない。
 くすりと笑えば、怪訝な顔のシュウと目が合った。



(2013)
[ / 一覧 / ] 

top / 分岐 / 拍手