■ 彼女の献身

 昨日、一昨日、一昨々日……と続ける内に、もう両手以上の日が過ぎた。
 今日も今日とて、紅茶用の湯と軽食を持って、軍師が籠っている執務室に向かう私のなんと健気なことだろう。

 最初の数日はなんだかんだと理由を付けて運んだものの、こう毎日では当然ながらネタが続く筈もなく。結局、一度ネタに詰まって以降は、ただ持って行きたいからと開き直って運ぶに至っている。
 どこからどう見ても仕事中毒の気がある軍師様は、気分や進展次第で昼食どころか夕食までも平気で抜く。おまけに、いざ食べようかという時ですら仕事の片手間に空腹を満たす程度の意識しか持ち合わせていない。食事を楽しむことを知らないわけではないけれど、常の食事に楽しみは必要ないと思っているタイプ。
 そんな軍師殿のことは、当然ながら城の食を担う炎の料理人ハイ・ヨーとしても気に掛かるお客だったらしい。
 軍師の食生活をどうにかしたいから、なんとか弁当や軽食をお願い出来ないか、と声をかけた時の歓迎っぷりと言ったら凄まじかった。まあ実際の所、軍師に食事を運ぶだけでなく、しっかり食べさせるとなれば……そこまで強引に行動出来るメンバーは限られているし、無理もない。

 まあとにかくそんな感じで今に至る。
 おかげで、私はこうしてここぞとばかりに栄養バランスに配慮された特別仕様の"軽食"を運ぶ日々を送っているわけだ。


  ***


「……ってなわけでねー、昨日からもう釣っても釣ってもイカばっかり。おかげで今日のレストランはイカ尽くしなのよー」
 昼食時の和やかな会話の締め括りは、釣り場での珍事にしておいた。が、ハイ・ヨー特製のランチを早々に食べ終わった軍師からの反応は乏しい。
 私がせっかくこうして盛り上げどころもしっかりある話術たっぷりのニュースを披露しているというのに、返されるのは「そうか」と表情すら変えずの短い相槌だけだ。その挙げ句、話が終わったタイミングであっさり視線を外し、もうこれ以上話すことは無いとでも言うように書類の山へと向かってしまう。
 まあ、しっかり食べただけで、しかも一応「美味い」と味わっていたようなので、今日も良しとしますけどさ。でもなんかもうちょっとこう、労りとか気遣い、みたいなものがあってもいいんじゃないかと思うのですが。いやまあ、今更なんだけど。

 暇な私は椅子の背を抱えるように座り直して、手と目と頭を動かし続けるシュウを見つめることにする。
 しかし、いくらじぃぃぃぃっと見つめたところで、突っ込みもないまま放置され……時間だけが無駄に過ぎていく。

 あーあ、切ないなぁ。でも、ここ連日押しかけていたからなぁ。
 最初のうちは嫌がったり迷惑がったりと面白い反応が返ってきたのだけれど、さすがに最近ではすっかり慣れたのか諦めたのか、とにかく相手にされないようになってしまった。
本当に、退屈だ。


 そしてなにより、そろそろ。
 腹が……減った──


「ねえシュウさーん」
 無視。
「シュウくーん」
 無視。
「軍師さまー」
 無視。
「お腹が空いちゃったわー」
「食堂に行け」
 たとえ冷たい一言でも返事があっただけで十分嬉しい。
「まあそうなんだけどねー」
 そのまま立ち上がる素振りも見せずだらだらしていると、諦めたような溜息が一つ。それきりまた、彼の注意は机上に向けられた。


  ***


 放置されても平気だが、せっかくなのでと棚の歴史書を手に取った私はそのまま見事に夢中になってしまったようだ。どれくらい経っただろう。ふと顔を上げると、シュウの手も止まっていた。どうやら区切りもついた様子なので、これ幸いとまた話しかける。
「シュウさんと私って、どういう関係に見えるんだろうねー」
 不機嫌そうな顔がこちらを向く。
「シュウさんの部下の人にさー、迷惑だとか、わきまえろだとか言われちゃったよー」
 昨日の状況を思い出して、なるべく口調を似せて言ってみる。
 見られているなぁとは思っていたけど、わざわざ追いかけて来てまで言うなんて。私も嫌われたものだ。目の前の当人としては、やはりそんなことは初耳だったらしい。顰めた眉と共に、ほぅと短い相槌が返された。
「シュウさんのことだから、迷惑だったら自分で言うのにねぇ」
「すでにお前に直接、再三に言っていたわけだが?」
 ま、そうなのである。
 あははと笑うと、これまた溜息が返された。
「で、お前はそんな事を言われた上で、今日もこうしているのだな」
「そうね」
 あははと再度笑うと、もう反応は返ってこなかった。私はまた、読みかけの本に視線を戻した。


  ***


 目を使うのにも疲れて、カリカリとペン先が紙をひっかく音と、紙が捲られる音にも飽きた頃、また話しかける。
「シュウさんさー、ここんとこちゃんと寝てないでしょ」
 カリカリ、ぱらり、ぱらり。声の変わりに音だけが返ってくる。
「軍師の武器は頭なんだからさ、肉体の守りは他に任せて夜はゆっくり寝ちゃえばいいのよ」
 言っちゃ悪いが、正直シュウの腕力で"専門家"を迎え撃つのは無理がある。
「そりゃ肉を切らせて骨を断つって言葉もあるけどさ、それが軍師の肉と"鼠"の骨なんかじゃ、そもそもどうやっても帳尻なんて合わないんだから」
 たとえ賊を何匹か駆除することが出来た所で、肝心要の軍師様に負担がかかっては意味が無い。まして、傷などとんでもない。
 言葉の意味を理解したのだろう。筆記の手が止まり、視線が突き刺さる。まったく、功労者をそんな目で睨まないで欲しい。
「というわけで報告です。昨夜中に、軍師狙いの"鼠"は三匹とも駆除しました」
 あ、失敗。落とした声でキリリと報告のはずが、狙いすぎてあざとくなってしまった。
「……なぜ今まで言わなかった」
「この時間からだったら、夕食ついでにゆっくり聞いてくれるでしょ?」
「……」
「よし、じゃあ夕食もらってくるわ。ハイ・ヨーに夜は二人分でって頼んであるの」


  ***


 やって来たのと同じ軽快な足音が聞こえなくなったのを確認し、シュウは大きく息を吐いた。
 今回の暗殺計画のことは、諜報部隊の中でも更に限られた一部の者しか知らないはずのことである。
 本来ならなまえの耳に入ることは無く、むしろ"知っている"ということが内通者なのではという疑惑に繋がりそうなのだが……この場合は相手が相手である。あの人外が"知った"と言うならそうなのだろうし、"駆除した"と言ったらそうなのだろう。疑うまでもないと、わかってしまう。

 気紛れのように人に力を貸す人外たちにもいい加減慣れたので、ある程度は"そういうもの"として受け入れる必要があることは身をもって実感している。だが、こうして日々自分のもとを訪れ、他のメンバーとも親交を深め、いつの間にか部屋まで手にしている彼女については……どうしても納得できずにいた。そこまで入り込んでおきながら、それでもエルネスタの誘いは断っているらしいのだ。おかげで、この城において彼女は未だに"客人"扱いのままである。
 正直、あまり望ましいとは言えない状況だ。
 正確な力量までは不明とはいえ、敵に回られると厄介なことは確実であるし、味方に置けるなら置いておきたい。
 だが、肝心の本人が何を基準に動くのかがわからない上、少々放っておいても無害に思えたことがまずかった。ついでに言えば、相変わらず去る気配もないので……つい、事案として後回しにしてきた、というのが現状であった。


  ***


「では、そいつらを生かして帰したというのか?」
「だって殺したら面倒じゃない。新同盟軍はクリーンなイメージでしょ? できる限り、厄介の種は蒔きたくないかなって」
 昨夜の鼠退治の顛末を聞くと、シュウは意外だと言うように口角を引き上げた。
「それに、むこうさんにしたら、こっちで殺されるより生かして返される方が面倒かもしれないしねー。殺さない程度に痛めつけはしといたから、身体の方も精神の方も、単純に数週間は使い物にならないだろうし」
 再利用するにも廃棄するにも、労力を割かなきゃいけないってことよと笑えば間髪入れずに物騒な思考だなと返された。けれど、その物騒な報告でますます機嫌が良くなるのだから、やっぱりこの男は腹黒い。いや、軍師としては正しいのだろうけど。
「なによー。ちょっとくらい褒めてくれてもいいんじゃない?」
 そのくせ冗談めかしてグラスを煽ると、すんなり感謝の言葉をかけてくるのだからよくわからない。
 いやぁ、あの、それはそれで、滅多な反応に戸惑ってしまうのだけれども?


「じゃあ、今夜はぐっすりおやすみなさい」
 昼間とは違いあっさり部屋を出たなまえを見送るシュウは、ここにきてようやく、後回しにしてきた事案にとりかかることを決めたのだった。



(2013)(こうして本懐へ)
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