■ 果ては黄昏

 いつもの部室に集まって、ひととおりこの部活動の成功を喜び合って、そして、帰宅部はここで終わる。

 正気を取り戻したμとアリアによって帰還の説明を受けた私たちは、話し合った末にさいごの時は各々が好きな場所で迎えようと決めた。このメビウス中の何処に居ても確実に転送が行われるのならさいごに見たい光景はそれぞれだったからだ。別れを告げたい人、感謝を告げたい誰か、気に入っていた場所、或いは現実では失くしたもう取り戻すことのできない愛おしい世界を。あれだけ帰宅を切望していたとはいえ、数ヶ月から数年単位で過ごしたこの場所に思うところがないというわけではないのだ。結末はこうなってしまったけれど、少なくとも女神たちは最初は確かに楽園として此処を創造したのだから。

「では部長。部長に出会えて本当によかったです! どうかお元気で!」
「なまえちゃんはこれからどうするの」
「うーん、このまま校内をぐるっとまわって図書館に向かおうかなって」
「ああなるほど。そういえばなまえちゃんと初めて会ったのもあそこだったね。確か閉架書庫の奥で」
「ちょ、ちょっと部長、あの時の話はもういいじゃないですか」

 ぎゅっと抱きつくと優しく背をさすってくれる、なんとも慕い甲斐のある部長とのお別れは年甲斐もなく胸に響いた。平然を装って最後までぴーぴーうるさい後輩の姿で部室を出たのは我ながら頑張ったと思う。
 それにしても。こうして一人で歩いていると、喜びの影に隠していた不安についても自覚してしまう。改めて言われるまでもなく、此処での流れと同じだけ社会に取り残されているなんてとんでもないことだ。鳴子先輩に端末を借りて調べた限りでも図書館で手に入る”最新”よりずっと新しい論文や画期的な研究成果や同僚の出世情報がわんさか出てきて落ち込んだ。ここから戦線に返り咲くには相当頑張らなくてはいけない。けれど、根を詰めすぎてまた不眠が癖になったり手段と目的を取り違えるような愚行を働いては元も子もない。
「ほどほどに頑張って、ほどほどに息抜きかあ。うーん、ちゃんと生きるって難しいなあ」
 それとも、いっそ全く違う業種に転向してみようか。せっかく珍しい経験したのだから此処をモデルに小説でも、いや、それこそ鳴子先輩の真似事になってしまうから却下だ却下!

 聞き覚えのある音に顔をあげたのは、そんなふうに逃避か懐古かよくわからない思考を捏ねくり回してふらりふらりと歩いていたときだった。思い違いならいいのだけれど、残念ながらμにいじってもらった記憶力は健在だ。相手から声がかかるぎりぎりの瞬間に先手を打って振り返る。

「おお、奇遇ですね笙悟先輩! 先輩も懐かしむ程度には学校に思うところがあったんですね!?」
「よく俺ってわかったな」
「先輩の足音ってわかりやすいんですもん。多分その足がぐきって、いえ、なんでもありません」
「あん? よくわかんねぇけどまあいいわ」
 先頃あれだけ感動的な別れを済ましたのにもう顔を合わせてしまうなんて、正直とっても気まずい。笙悟先輩には悪いけれど、ここはさっさと図書館に向かってしまおう。では先輩、よい船出を。
「ちょっと待てって。こっちはお前を探して駆け回ってたんだ……ちったぁ休ませてくれ」
「ご用ならWIREくださればよかったのに」
「何度も送ったわ!」
「はて」
「はてじゃねーよ。疑う前に自分の手元を見てみろよ」
 言われた通りにしてみれば、なるほど確かに表示されていた。それも数秒単位で。いやあ、感傷に浸るべくアリア以外の通知を切るというほぼほぼサイレントモードにしていたのを忘れてましたよ、あははは。

「なんでそんなマイペースなんだよ傷つくぞ」
「だめですよ。可愛い後輩ちゃんの無邪気な悪戯でそんな簡単に傷ついちゃってたら身がもちませんよ。しんどくなるのは笙悟先輩なんですから」

 途端にくしゃりと顔を歪ませるから、たまらず手を伸ばしてしまった。ああ、私はまだまだ非情にはなりきれない。掻き集めた良心を振り絞ってローファーの踵を浮かせ、撫で付けられた髪にそっていい子いい子と梳いてやる。けれど先輩はますます心細そうな目でこちらを見るばかりだ。
「どうしちゃったんですか笙悟先輩。帰り道がわからないなら、部長に迎えに来てもらいますか?」
「なんでそこで部長が出てくるんだよ」
「相棒じゃないですか」
「……それこそ相棒らしく格好良く済ましてきたからいいんだよ」
「つまり親指を立てて溶鉱炉に沈んだわけですね」
「いや、それもう俺メビウスにいねぇだろ」
 ちょっとだけ元気になったらしい笙悟先輩にほっと胸を撫で下ろす。お願いだから、私の庇護欲を弄ばないでほしい。こうも甘えられると無い筈の良心が疼いてしまう。
「そういえばさっき聞きそびれていました。先輩は何処に行くんですか?」
 とりあえずで問うものの予想はついていた。真面目な答えならタワーかライブハウスで、茶化す気なら自宅か漫画喫茶、そして極めて低い可能性ながら一番不穏なのは……。
「あー、その、な。図書館、俺もついて行っていいか」
「はい来た! ほら来た! 大穴ですよこれ!」
 特に意味はなかったが衝動に任せ窓から叫んでみる。
「なんだよ怖ぇな」
「ただの発作なので気にしないでください。えーっと、そうだ、図書館でしたね。別に構いませんけど笙悟先輩と図書館って似合うようで実は似合わない組み合わせですよね。まあ少年ドールさんも居るから波長としては合うのかもしれませんが。ああ、さては引きこもり同士で打ち合わせですか? 確かに話は弾みそうですけど、今の少年ドールさんは鈴奈のことで頭がいっぱいかなーと」
 その鈴奈は部長に夢中なのだから少年ドールさんの前途は多難だ。まったく、現実での約束を取り付けるなんて鈴奈はチャレンジャーだなあ。よくやるわ。
 浮かんでしまう苦笑を隠してじゃあ行きますかと踵を翻す。けれど、勢いをつけて踏み出しかけた一歩はそのまま同じところに着地した。私の制服の裾をちょんと掴んで引っ張った当人は無言のまま動こうとしない。仕方がないので私もじっと待つのだけれど、そうなるととても居心地の悪い空間が広がるわけで。結局、先に音をあげたのは私の方だった。

「こんな日に一緒にいたいのが私って。先輩ったら、それで本当にいいんですか?」
「……んだよ、やっぱわかってたんじゃねぇか」

 ねえ先輩、そっぽを向いたくらいでは赤い顔は隠せてないって知ってますか。本当に、一瞬一瞬を切り取って額に入れて飾りたいほどにかわいらしい人だなあ。

「じゃあせっかくだし先輩の行きたいところに向かいましょう」
「あー、そう言われるときつい。かといってなぁ、俺の部屋っつーのもなぁ」
「わかってましたけど本当にいじめられるの好きですね。ここにきてヤり納めがしたいとか……なかなか言えませんよ?」

 冗談で済むか怪しいとわかっていながら発した言葉は、打ち返されることなくぽとりと地に落ちる。ちょっと待って。冗談に出来なくてもいいから、せめて何か言ってくださいよ。先ほど以上に真っ赤な顔でもじもじされるとさすがに反応に困ってしまうんですが。さては、あくまで待ちの姿勢を貫くつもりですね。
 突っぱねるのは簡単だけど、そもそもこういう人だと知った上で増長を許していたのは私である。ならばせめて、夢の終わりまではこの私で付き合おうか。この苗字なまえの残り時間を全部、あなたにあげてしまおうか。

「ふふっ、かわいい笙悟先輩を独占できるなんて嬉しいです」
「お、おう……ってどこ行くんだよ。そっちからは出れねぇぞ」
「行きたいところがないなら無理に移動しなくてもいいと思うんですよね。ほら、空き教室もいっぱいありますし」
「……あー……正気か。どういう神経してんだ」
「そういう先輩こそ、声が弾んでますけど?」

 こんなに望まれてしまったのなら仕方がない。せっかく今日くらいは優しく見送ってあげたかったのになあ。傷を付けないようにそっと離れてあげたかったのになあ。
 だって笙悟先輩のことだから、目が覚めて私がいなかったらきっと泣いてしまうでしょう?



(2020.01.07)
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