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結局シンクは寝室のソファで座りながら仮眠をとった。
どうやらシンクのどこで寝るの?というのはどこで不寝番をすればいい?という意味だったらしく、横になる場所を探していたわけではなかったらしい。
自分の早とちりっぷりにちょっとだけ恥ずかしかった真夜中だった。

翌朝、メイドさん達に懇願されて私は何故か着替えさせられていた。
キムラスカ風のドレスは豪華絢爛とまでは言わずともやはり普段身に纏っている法衣よりも遥かにお金がかかっている。
白地にワインレッドの色を使用しているのはそのままに、シュザンヌさまが着ていたようなドレスにフリルがたっぷりとついたものを身に纏わされた。私は着せ替え人形か。
苦情は一体どこに入れれば良いのか、思わず質問した私は悪くないと思う。

そこまで来て、朝食を取る前にようやく私は守護役の子達と対面することが叶った。
コネクティングルームにずらりと並ぶ彼等が誰か欠けた様子は見られず、一歩前に出て頭を垂れている守護役長を見て思わず涙が出そうになる。

「無事で良かった…心配しましたよ、守護役長」

「論師をお守りする立場でありながらそのお心を騒がせてしまったのは私の不徳と致すところ。真に申し訳ございませんでした」

「いえ、あなた達が無事だったならば良いのです。報告をお願いいたします」

「軽傷者が若干おりましたが、全て治癒術で治療済みです。
論師もお怪我一つないようでようございました。
お側を離れてしまった失態に関しては、どのような処罰も身に受ける所存でございます」

「それはココで話すことではありませんから、ダアトに帰還次第通達致しましょう。
問題がないようでしたら警護を復帰して欲しいのですが、可能ですか?」

「はい。つつがなく」

「ではシンクと共に、またお願いいたします。次は怪我しないよう、皆さん気をつけてくださいね」

私の守護役は皆、若年の男性で統一されている。
未来ある彼等になるべく怪我をして欲しくないというのは私の本音だ。
それが難しいことも、また解っているが。

そうしてようやく辿り着いた朝食の席。
そこに居たのはいかにも貴族然としたキムラスカ人で、論師派を名乗る男だった。
ユヴィオール・フォン・コンスタンティス公爵と舌を噛みそうな名前を名乗ってくれた彼は、私達を救助してくれたのだという。
私は何故か、この男を見た瞬間に嫌いだな、と思った。

「しかし本当にご無事でよかった。貴方は反預言順守派の旗印とも言うべき存在です。
貴方の命が亡くなっていたら今頃論師派の者達は暴動を起こしていたことでしょう」

「助けていただいてありがとうございます。コンスタンティス公爵には感謝しても仕切れません」

「どうぞ私のことはユヴィとお呼び下さい。伝え聞いただけではありますが、貴方の知恵と勇気に私はすっかり虜となっているのです。貴方に名を呼ばれることこそ私の至高。
こうしてドレスを身に纏い美しく着飾った貴方をこの目に見ることが出来ただけでも、論師派になったかいがあるというものです」

うっとりとした声と顔で言われ、思わずぞわ、と鳥肌が経った。
テーブルの下で腕を摩りつつ、公爵は随分とお上手ですねと愛想笑いをしておく。
気持ち悪い。何が気持ち悪いってこっちを盲目的に見るあの感じが気持ち悪い。
預言を妄信する信者達より気持ち悪い。無理無理無理無理。

「あの部屋もいつか貴方をお招きしたいと思い、わざわざ特注したのですよ。
いかがでしたか?貴方の漆黒の髪と黒曜の瞳にはあのワインレッドのコントラストが似合うだろうと、職人に作らせた一点ものばかりなのでして。
ダアトには煮え湯を呑まされてばかりでしたが、貴方にあの色を私用したという点のみは評価して良いとだろうというのが我々論師派の意見でもあります」

運ばれてきた朝食は焼きたてのロールパンにベーコンエッグ、ドレッシングのかかったサラダやコールスローなど実に食欲をそそりそうなものばかりなのに、この男のせいで私の食欲はぐっと下がっていた。
かろうじて出された紅茶をごくりと飲むことが出来たくらいで、すっかり食欲が減退してしまっている。

「私もまたそのダアトに属している身ですので耳が痛いですね」

「何を仰います。貴方はあの不遇の地で身を粉にして活動していらっしゃるではありませんか。我々には決して真似できません。
あの地に行くと預言預言預言でどうしても三日で帰りたくなってしまいますからね」

「申し訳ない限りです。人々には預言に頼りすぎないよう語り掛けてはいるのですが、導師の手を借りてもうまくいかずどうしたものかと考えあぐねて居た所です」

「そう悲観なされることもないでしょう。事実論師派と導師派の波はじわじわとですが広がりつつあります。このバチカルの貴族達の中でも密かにこの輪は広がっているのですよ?
己の言動に責任を持ち、預言に左右されず己の意志で物事を決定する。
大人として当たり前の事のようではありますが、このバチカルではそれすら難しい。
しかしその意志は着実に広がっている。どれもこれも、貴方と言う存在が居たからこそなのですよ。もう少し自信を持ってください、論師シオリ」

「ありがとうございます、ユヴィ。そうですね、貴方のように言ってくださる方が居ると解り、私も自信がもてそうです。
大詠師派の強さに私の意思は広がってはいないのかと不安に思って居た所でしたから」

あえて見当違いな返事をしたのに、結局私の賛美へと話は摩り替えられていく。
それでも何とか笑顔を作って公爵と話を合わせれば、公爵は恍惚とした顔で私を見た。
頼むからその視線を向けないでくれと叫べたらどんなに楽か。

「いやはや、謙遜が過ぎますな。
しかし我々貴族間にも論師派の思考が広まり始めた以上、民衆にもやがて論師派が増えるでしょう。
そうなれば貴方を支えるものもまた数を増し、大詠師派も圧倒できる筈です。
貴方が御旗を掲げた時、彼らは駆逐され息の根は止まる。その日が今から待ち遠しくて仕方がありません。

ああ、そうでした。
助けたお礼というわけではありませんが、是非今夜開かれる論師派の集まりに顔を出してはいただけませんか?
実は貴方を助けた夜に同志に声をかけて参りまして、貴方の了承を得ずに勝手にしてしまったことは謝りますが、それもこれも是非論師直々の説法をお聞かせ願えればと思い立った次第なのです」

にこにこと。
告げられる言葉は最早私にとって聞くに堪えない言葉だ。
コイツはシュプレヒコールを掲げる己に酔っているだけだ。本気で私の思考に賛同しているわけではない。
それが解ってしまうからこそ顔が嫌悪に歪みそうになるのを何とか堪える。

そのくせ用意だけは周到だ。ココで断ればバチカルでの私の評判はがっくと落ちることになる。

「私のような田舎者が参加しても大丈夫なのでしょうか?
バチカルの皆さんはとても洗練されていて、どうしても気後れしてしまいます」

「勿論ですとも。多くの人間が貴方の存在に鼓舞されることでしょう。
そう自分を卑下なさらないで下さい。今の貴方はとても美しい」

それ、吐きそうな人間に言う台詞じゃない。
文句を飲み込み私などで宜しければと了承の意を伝えれば、彼はぐだぐだと賛美の言葉を述べた後今夜は自分にとって最良の日となるだろうと締めくくってようやく朝食を終えて仕事に行った。
結局私が朝食に一つも手をつけなかったことに気付かなかったようだ。

ため息をついた私がご馳走様ですと言って立ち上がったのを見て、メイド達は体調でも優れないのかと聞いてきた辺り、多分気付いてないのは彼一人だろう。
メイド達に少し食欲がないだけだと告げて、与えられた部屋に下がらせてもらう。
背後から着いてくるシンクが今晩はどうするのかと問いかけてきたため、私は笑顔のままその質問に答えた。

「助けていただいた恩もありますし、既に招待をしてしまっているということですから参加するしかないでしょう。
あまり乗り気ではありませんが、仕方ありません」

「念のためお聞きさせて頂きます。何をお話なさるおつもりですか」

シンクのその質問に私はにやりと笑みを浮かべる。
それにシンクがため息をつき、守護役長は苦笑しながら肩を竦めていた。
周囲に人は居ない。居るのは守護役達と、私のみだ。

「彼らの望む説法ですよ。論師派の、ね」

「……温室育ちが大多数を占めますので、刺激物はご法度ではないかと」

「望んだのはあちらですよ」

シンクの程ほどにしろよという忠告を適当にあしらい、廊下を歩く。

私は、あの盲目的な視線が大嫌いだ。
自分がそれを向けられるだなんて、虫唾が走る。

つまるところ、今日の説法の内容はそれである。
うすうす私が言いそうなことを察したらしいシンクがため息をつくのを聞きながら、時間が来るまでのんびりしようと、守護役達が開くドアの向こう側へと足を運ぶのだった。


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