73



「これは過去の記録を数値化して見ると解ることなのですが、需要と供給における価格変動の波は、ある程度のパターンが決まっているんですよ。誰かが図ったかのように、調整がされているんです。
私が居た所では、これを"見えざる手"と称していました」

「見えざる手?」

「はい。まるで神が見えざる手で調整しているかのようだ、とね。元は違う意味なのですが、現代経済ではそのように説明されていました」

「そのパターンって?」

今日のお土産はレモン風味の効いたレアチーズケーキだ。ルークはそれをパクパクと食べながら私の話を聞いている。
私は先日公爵と話している最中にルークにまた後日と言ったため、こうしてお土産を持って連日公爵邸に足を運んでいた。
どうやらナタリアが来ていたらしくルークがそれらしいことをもらしていたが、詳しいことは聞いていない。ただ公爵が黙って頷いていたので、先日私が抗議した件で暴走したのかもしれない。

そんな事を考えつつ、何故か私はルークに初等経済学を教える羽目になっていた。
どうしてこうなった?と頭を抱えたくなるが、ルークが次々に質問を飛ばしてくるせいで終わりが見えないのだ。
最初はホスピスの料金形態などについて話していた筈なのだが、本当にどうしてこうなった??

「ルーク」

最終的に紙に棒グラフでも書いて説明すべきかと迷っていると、ケーキを食べ終わった公爵がフォークを置いて重々しく口を開いた。
楽しそうに話を聞いていたルークが不満げに何ですかと公爵を見る。
公爵相手にのみ発動するルークの敬語はちょっと珍しいと思ってしまうのだが、必ず属性が不機嫌なのであまり聞きたいとは思えない。

「論師の話は面白いか」

「へ?ま、まぁ……面白いか面白くないかで言えば、面白い、と思います?」

「家庭教師にも似たような内容を教えられている筈だが?」

「家庭教師はこんな解りやすく教えてくれませんし……それに論師は解らないからといって俺を馬鹿にしたりしませんし、前の俺ならできたとかそんな風に比べたりしませんから」

不機嫌そうに言うルークに公爵の眉間の皺が増えた。
しかしそれに気付いたのか気付いてないのか、ルークは家庭教師に馬鹿にされるのか、という公爵の問いかけに頷く。

「前のルーク様ならこれくらいできただろうとか、ファブレの名を継ぐならこれくらいできて当たり前だろうにとか、こんなことも解らないとはとか……でも論師はそんな事言わないし」

そう言ってルークは私をちらりと見た。
私はそれに頷き、解らないことを解らないと素直に認めて質問をする姿勢は素晴らしいと思いますよ、とだけ言っておく。
事実解らない事を隠して知ったかぶったり、自分の知識だけが正しいと信じて他人の教えを全て否定する馬鹿はたまにいる。あえて誰とは言わないが。

公爵は口を一文字にしてそれを聞いていたが、紅茶のカップを傾けて中身を空にした後、仕事ができたと言って立ち上がった。

「ルーク、今日の勉学はもうしなくていい」

「え?いいんですか!?」

「ああ。家庭教師を一新する。ファブレの名に恥じぬよう、新しい家庭教師からまた一から学びなおすように」

「えー!?」

しなくて良い、という言葉に喜色満面になったルークだったが、続けられた言葉に今度は解りやすく渋面になった。
その変わりように微笑みつつ、退室の挨拶をする公爵に礼だけして扉の向こうに消えていった彼を見送る。恐らくラムダスを呼びつけて、新しい家庭教師の手配をするのだろう。
私の発言が効いたのか、それとも仮にもファブレの名を継ぐルークを馬鹿にする家庭教師が許せなかったのかは解らないが、これがルークのプラスになれば良いなと思った。

「ちぇっ、もう勉強しなくて良いのかと思ったのによ」

「勉強は嫌いですか?」

「んー、お前の話は聞いてて面白いから嫌いじゃねぇ」

「ありがとうございます。といっても、私自身まだまだ勉強中の身ですが」

「お前働いてるのに勉強してるのかよ?」

「勿論。私が決めた事で何百何千という人が路頭に迷う可能性があるんです。手を抜くわけにはいきません」

「ふーん。すげぇな」

「ルーク様もですよ?公爵家を継ぐにせよ、王家を継ぐにせよ、たくさんの人の人生を背負うことになるんです」

「って言われてもなー。ピンとこねーや」

「そうですね……軟禁されている以上、理解しろと言われても難しいかもしれませんね」

「そうだよ。伯父上もさっさと軟禁解いてくれればいいのにさ」

「でも外にでるならなおさら知識はあった方が良いですよ。知識は荷物にならない宝ですから」

「ふーん、宝ねぇ」

どうでもよさげにルークは呟く。実感が湧かないのだろう。
それも仕方ないかなと思う。彼は今最低限の躾しかされていない子供と同じだ。解かれという方が酷だ。
だからルークの反応にもひとつ微笑みを見せるだけで済ませ、話を切り上げることにした。
そもそも今日は先日の約束を果たしにきたのと、もうひとつ用事があってきたのだ。そちらも済ませるべきだろう。
予想外にルークの勉強会が始まってしまったので言えなかった、という事実からは一応目をそむけておく。

「ああ、そうそう。話は変わるのですが、実はそろそろキムラスカからお暇しようと思っておりまして、遅くなりましたが今日はご挨拶も兼ねて、」

「ええー!?何でだよ!?」

最後まで言う前にルークの声に遮られた。大声を出すどころか思い切り立ち上がったために、椅子が後ろにひっくり返る。
壁際で待機していたメイドが静かに、しかし素早く椅子を直した。素晴らしいプロの仕事である。
それに気づくことなく不満だと思い切り主張しているルークは、何で帰るんだよ!と私に対して憤慨していた。

「今回キムラスカを訪れたのはファブレ公爵邸での晩餐会に招かれたからです。晩餐会は終わりましたし、もうキムラスカに滞在する理由はありませんから」

「じゃあ今度は俺が招待する。なぁ、それでいいだろ?」

「申し訳ございませんルーク様、ルーク様のお誘いはとても嬉しく思います。
しかしダアトには残してきた仕事と、何より私の帰還を待ってくれている民、信者達がいます。
私が居ないだけで仕事が滞っているでしょうし、その仕事の滞りは幾百幾千の信者達の生活を左右するでしょう。
むしろキムラスカに長居しすぎたくらいですから、彼等の為にも一刻でも早く帰らねばならないのです」

きっと私は今、作りではなく眉を八の字にして困ったように微笑んでいるのだろう。
ルークは何か言おうとしたが、すぐに口を閉じた後ふてくされた顔で椅子に座りなおした。
素直に聞いてくれるとは思っていなかったので、その反応に思わずきょとんとしてしまう。
しかしそんな私に気づくことなく、ルークはいまだふてくされてそっぽをむいたまま、解った、と小さく呟いた。
おや?おやおやおや。

「それが、お前が背負ってるたくさんの人生、なんだよな?」

「……はい。そうです」

「……俺も大人になったら、お前みたいにならなきゃいけねぇのか」

「うーん、それは違うと思いますよ??」

「ん?でも俺が公爵家を継ぐにしろ王家を継ぐにしろ〜ってお前が言ったんじゃねぇか」

「ああ、そうですね。それは勿論そうです。でも私みたいに、というのはまた違いますよ」

先ほどまでふてくされていたのはどこに行ったのやら、どういうことだ?というように眉を潜めながらルークは私を見た。
ころころと変わる表情をかわいらしいと思いながら、さてどうしたら伝わるものかと考える。

人の治め方はそれこそ千差万別だ。そもそも私は論師という地位を持ってはいるが、身分はないしどちらかといえば多くの人々の"上司の上司"というのが正しい。
しかしルークは王になるにしろ公爵になるにしろ身分と地位を両方得ることになり、言い方は悪いが"支配者"である。
むしろ同じ治め方をまずいだろう。王には王の、上司には上司にはやり方があるし、ダアトとキムラスカという点でもやり方が違うに違いない。
さらに言うならダアトは教団の自治区域であり、正確に言うならば国ですらないのだから。
だからルークはキムラスカで、キムラスカのやり方を学び、キムラスカの人々と手を取り合い、キムラスカを統治せねばならないのだと……。

さて、まだ7歳にもならない彼にどうやって伝えようかと、私はルークに向かって微笑む。
幸い、残り少ないといっても数時間程度ならば話しても平気だろう。彼にわかりやすく説明するため、私はこほんと一つ咳払いをしてから口を開くのだった。






※見えざる手に関してうろ覚えなので、間違っていたら申し訳ないです。

栞を挟む

BACK

ALICE+