74


「しかし……相当緩かったですね」

「民草に少しでも近づこうとしているのではないかと」

「欠片もそんなことなど思っていないでしょう」

「本音と建前を使い分けろと私に叩き込んだのは論師です」

「そうですね。きちんと吸収しているようで何よりです」

はぁ、と一つため息をついてから私は王城から出た。
急ぎの帰還ということで国王への挨拶もせねばとファブレ公爵邸に行く前に謁見の申し込みはしてあったのだが、まさか当日謁見が叶うことになるとは思わなかった。
ルークにはああ言ったが、インゴベルトに帰還の挨拶をせねばダアトには帰れない。無視して帰還すれば不況を買うだろう。主に臣下のうるさい貴族達から、だが。
なので数日逗留することも覚悟していたのだが、ファブレ公爵邸から出たところで王城の兵士に声をかけられてすぐに謁見、などと誰が予想しただろうか。
緩い、色々と緩すぎるだろう。警備とか形式とか、色々と。


それでもまぁ無事謁見を終え、これですぐに帰れるのだからよしとしようとシンクと軽口を叩き合いながら貴族街を抜ける。
ちなみに今日は歩きだ。そもそも元々馬車を使うような距離でもないし、何より私が歩きたいと希望した。
帰る前にキムラスカの町並みを堪能したかったのだが……私の周りを取り囲む守護役部隊に関しては諦めるしかないだろう。
そんなことを思いつつ町並みを眺めながら、それでもスピードを落とすことなく歩いていたのだが、ふと背後から声をかけられた。

「論師様、宜しいでしょうか」

「何ですか守護役長」

「はい。実はこの近くに夕焼けの素晴らしい小さな公園があるとのこと。幸いまだ出航まで時間がございます。バチカルでは慌しい時間ばかりでしたから、よい景色でも眺めて少し休憩をなさってはいかがでしょうか?」

帰りの船は帰還すると決めた際にいつでも出航できるようにと指示は出してあったので、謁見が終わった時には守護役長が出航の手配を済ませていた。
急ぎゆえ夜の出航になりますと頭を下げられたが、別に私は問題ない。むしろ今回は重役は私しか乗らないので私の都合で出航できるのだから嬉しいくらいだ。
積荷だの何だのの準備の指示を一手に引き受けてくれていた守護役長には感謝しかない。

そんな守護役長の、少しくらいのんびりしたら?という提案に私は足を止めて考える。
彼の言うことも一理あるし、何より彼がそんなことを言い出すということは、恐らく疲れているように見えたのだろう。時間はあるというのだから、無碍にする必要もない。
何よりなんだかんだ言いつつ私はバチカルのこの狭い土地にぎゅうぎゅうに家屋を押し込めたような、この雑多な景色が嫌いではなかった。
守護役長の気遣いに礼を言ったあと、それでは早速行ってみましょうと告げる。
守護役長は私の是に畏まりましたと頭を下げた後、こちらですといって静かに案内をしてくれた。

5分も経たないうちに辿り着いた場所は公園というよりは小さめの広場という方が正しそうな場所だった。
緑が植えられベンチも備え付けられているが、ただそれだけの簡素な広場。
しかし私の視線はそんな小さな広場そのものではなく、その広場を囲うようにして設けられている手すりの向こう側、一面に広がる赤い赤い夕焼けだった。
近づいてみれば水平線に沈もうとしている夕焼けが一望できて、手すりに手をついてから大きな夕日をじっと眺める。
夕日を取り囲む見事なグラデーションを描く空は音符帯が天の川のように延びていて、絶妙な美しさがある。

「きれい……」

グランコクマの、人工的に整えられた機能美を兼ねた水流の美しさを思い出す。しかしこれは違う。
無骨で雑多な風景と絶妙な調和を保つ、また別の美しさがある。
少し視線を逸らせば眼科にはやはり多くの家屋が隙間なく密集している。

「確かに、綺麗だね。高い分、眺めもいい」

そして気づけばシンクが隣へとやってきていた。
振り返れば守護役たちは私のそばから離れ、広場内に散っている。私に気を使ってくれているのだろう。
こうしてみると、彼らとの距離に私自身どこかで疲れを感じていたのかもしれない。
グランコクマのこともあってか、思い返してみればバチカルに来てから守護役たちの距離はかなり近くなっていた。
シンクだけだ。いつもどおりの距離感を保っているのは。

「馬鹿と煙は高いところが好きといいますが、支配者や王様も高いとこ好きですよね」

「それって遠まわしに王様は馬鹿って言ってる?」

「まぁそうとられても仕方ないかなと思う言い方になっていることは自覚しています」

「はは。シオリはどう?高いところ、好き?」

「そうですねぇ、綺麗だなぁとは思いますが毎日見たいとは思いませんね。たまに見られれば十分です。何より昇り降りが面倒くさいので、できれば地面に近い階層で過ごせればと思いますよ」

「シオリらしいね。でもまぁ、綺麗だと思えたなら良かったよ。ここ数日ばたばたしっ放しだったからね、守護役長と探した甲斐はあったかな」

「おや、シンクも一枚噛んでたんですか」

「まぁね。どう?気に入った?」

「はい、とても。でも貴方達だって疲れてるでしょう。私の警護に、船の手配に加えてセシル将軍の部下との連携……しかもすべてスケジュールとおりには行かず、ほぼその場で突貫的に決まっています。決して楽ではないはずです」

「それが仕事なんだからシオリはそんなこと気にせずに僕達を使えばいいんだよ。それに守護役長や僕だって無能じゃないんだ。シオリの無茶にだって応えられるくらいの技量はあるつもりさ」

「ふふ、それだけの技量があれば再就職にはこまらなそうですね」

「確かにね。ま、そんな予定もないけどさ」

くく、と喉の奥で笑いながらシンクは言う。彼が私の傍から離れるつもりはないという想像通りの台詞に安心する。
いくら守護役たちが居るとは言えここは外だ。シンクと触れ合えないのが少しだけ残念だった。
その代わりとでもいうように夕日から視線をはずすことなく、少しだけシンクと指を触れ合わせる。
手袋越しの温もりに安心する。本当に、彼が居てくれてよかった。

「そうそう。出航までまだ時間あるよね?ちょっと別行動とりたいんだけど、いいかな?」

「何か?」

「少しね。うっとうしいから、話しつけてくるよ」

「そうですか。重要度が低ければ報告は口頭でも構いませんよ」

「解った。それじゃあ、守護役長と一緒にまっすぐ教団に帰って、出航まで大人しくしててよね」

「言われなくても」

私を見たシンクは笑みを浮かべた後、きびすを返したかと思うと守護役長と二言三言話してからすぐに行ってしまった。
迷うことのない足取りを見ると、私が気づかなかっただけで結構前から尾行されていたのかもしれない。
シンクの背中を見送ってから、守護役長に向かって微笑みかける。それだけで意図を察した彼は私に歩み寄ってきてくれて、守護役長の気遣いに改めて礼を述べる私に深々と頭を下げた。

「名残惜しいですが、そろそろ支部に帰還しましょう。支部長にも挨拶をしなければいけませんから」

「畏まりました」

そうして、私は広場に背をむけ歩き出す。
沈もうとしている夕日を取り囲む夕闇のコントラストは美しかったが、すでにもう私の興味からは離れていた。






支部にて支部長やヴァンと挨拶を済ませた後、出航時間30分程前にシンクは私達と合流した。
夜なので見送りもなく、乗船準備を終わらせ船の中で出発を待つだけという状態なので、守護役部隊は存分にねぎらった後、最低人数を残して後は船室でゆっくりと休むように告げてある。
彼等も素直にうなずいてくれたため、私もまたシンクを連れて専用の船室へと引っ込んでいた。

「お疲れ様。怪我はない?」

「問題ないよ。そっちは?」

「ヴァンから言付けを受け取ったくらいかな」

「言付け?」

恐らく船の中で終わらせるつもりなのだろう。
仮面をはずしたシンクは手荷物からそれほど厚みのない書類の束を取り出しつつ、私のほうへと顔を向ける。
いったいどんな言付けを?と、口にする前に私もその疑問に答えるために口を開いた。

「どうやら私達がファブレ邸からお暇した後、ヴァンもルークに会いに行ったらしくてね。ルークからね、文通しませんかって伝言を貰ったのよ」

「ルークが?文通??」

私の言葉にシンクは今度こそ面食らっていた。
珍しいその表情にこっそり笑いながら、こっくりとうなずく。

「初めて得た繋がりを絶たないようにするための、苦肉の策だったんじゃない?まぁ断る理由もないから、ダアトに到着したら無事帰還しましたって手紙を出すつもり」

「そっか。ルークが手紙ねぇ……こういっちゃ悪いけどさ、字とか綺麗に書けなさそうだよね」

「否定できないなぁ……でもこれを機に綺麗に書くようになれれば良いんじゃない?仮にも公爵子息なわけだし」

「それもそうか。手紙ならそれほど手間もかからないしね、まぁ頑張ってよ」

好奇心は満たされたらしく、ひらひらと手をふりながらシンクは言う。
なので私は机の上に出されていたシンクの仮面を手にとり、悪戯っ子のようににやりと笑って言った。

「何言ってるの?シンクも書くのよ」

「……は?」

「誰も言付けが私宛とは言ってないでしょ?言付けは私とシンクに当てられたものなんだから」

書類に落とされていた視線が勢いよく私のほうへと戻った。そして仮面を手のひらの上で遊ばせる私を見て、意味を含めてすべて察したらしいシンクは固まる。
そしてして何か考え込んだかと思うと……恐らく今までの会話を反芻し、ヴァンの言付けのあて先を私が口にしていないことを確認していたのだろう。
その後してやられたというように額に手を当てて空を仰ぐのを見て、私はけらけらと笑った。
他人事だと思っていたものが自らの身にもいつの間にか振りかぶってきていたのだから、まぁ当然の反応といえる。

どうやら私の願いどおり、シンクとルークは交友関係を育んでいけるようだ。
そのことに喜びながら、私は仕事を終わらせるためにシンクの持つ書類を優しく奪うのだった。


栞を挟む

BACK

ALICE+