75



「それにしても、やっぱりキムラスカでは預言は根深かったね」

「そうだね。ケセドニアとかなんかとは違う、単純に導師派か大詠師派かで別れるんじゃなく、預言に対しての姿勢が根深すぎた。あれじゃダアトとほぼ同等か……いや、ある意味それ以上に厄介かも」

「確かにね。一見ダアトは預言に浸りきっているように見えて、実際は導師や君の影響力が強い分、導師派や論師派を名乗ってもそこまで迫害を受けることはない。
けどバチカルは違う。天辺である王様が大詠師派筆頭みたいなものだから論師派や導師派は嫌でも肩身が狭くなって、その結果過激派が生まれやすくなってる」

ダアトに帰還する船の中、仕事の合間、休憩中の雑談にしては真剣すぎるシンクの言葉に私は小さく頷いた。
来客用のスペースにして私達の休憩にも使われている一角で、私とシンクがお菓子をつまみながら優雅に紅茶のカップを傾けている。
向かい側の三人がけのソファに座るシンクを見つつ、思い出すのは私を救助した自称論師派の面々、親衛隊を名乗る彼等のことだ。
彼等は長すぎる抑圧に耐え切れず密かに集まり、集団心理と自己陶酔に浸り、それこそ火のついた導火線のような危うさがあった。
私から見ればそれは少しでもダメージを受ければ蜘蛛の子の様に散ってしまいそうな脆弱な結束ではあったものの、違う側面を見れば攻撃さえ受けなければ彼等はどこまでも攻撃的になれるということでもある。
繋がりを得られた以上これからは利用させてもらいつつ彼らを抑えていく必要があるだろう。

「とにかくあの人達にも定期的に手紙を出して、情報収集や裏工作なんかを中心に頼むしかないわね。そうして影なり日向なり動くことで、自分達は大詠師派の敵なんだって自己顕示欲を満たせば鬱憤も多少は晴れるでしょう」

「結構ひどいこと言ってる自覚ある?」

「でも暴走されても困るもの。それくらいならせっかく得た繋がりを使って、適度にストレス発散させてある程度動きをコントロールしたほうがいいでしょ?」

「まったく、バチカルの貴族達も遠く離れたダアトの論師に手綱握られてるだなんて思いもしないだろうね」

「馬鹿ね、手綱って握られてるって気づかれないように動かすものでしょう?」

「どうだか。あいつらなら喜んで握られるんじゃないの?」

「んー、貴族だからそこらへんの加減が難しいのよね」

「つまり喜ぶようなら表だって握ったわけか」

むぅ、と腕を組んで考え込む私にシンクがあきれたように呟いた。
別にいいじゃないか。モースだってインゴベルトの手綱を握っているのだから、私が貴族の手綱を握ってもいい筈だ。
心の中でそう言い訳をしつつ、まぁこれは後でもいいだろうと思考を放棄した。私一人だけじゃなく、イオンにだって相談したほうがいいかもしれないし。
それにシンクには聞きたいこともあった。

「ま、そっちはダアトについてからでも良いとして……そろそろ一人離れていったときについての報告をしてくれても良いんじゃない?」

「ああ、そんなこともあったね。そういえば」

「で、誰と話をつけてきたの?」

「ジョゼット・セシル少将さ」

そういってシンクは肩を竦めた。
私が今指摘しているのは、夕日を見た帰り道にシンクが話をしてくるといって警護から外れたときのことである。
あのときの口ぶりから誰かしらからつけられているのだろうとは思っていたが、予想外の人物の名前に思わず眉をしかめた。

「セシル少将?」

「そ、迷ってたみたい。仕方ないからシオリを真似して背中を押してあげたよ」

「何それ嫌味?」

くつくつと笑いながら言うシンクに思わずそんな返しをしてしまう。
私の言葉を猛毒だの何だの言っておきながら、今更背中を押すだなんてかわいらしい言葉に言い換えられても嫌味にしか聞こえないのだ。
眉をしかめる私に対しシンクはまさかと言って笑いながら紅茶の入ったカップを傾けた。わざとらしい態度に、本当にこういった方面ではよく弁舌が回る子だと思う。

何で私なんかに似たんだ。いや、私がずっと傍に居たんだから仕方ないのか。
待て、ということは普段の私はこんなに可愛げがないということか。それはそれでちょっと複雑だ。
一人でそんなことを考えつつ、小さくため息をついて話の続きを促す。

どうもセシル少将は踏ん切りがつかず、何かきっかけを得るためにもう一度私と話せないかと思い私の跡をつけていたらしい。
なのでシンクはまず警告をした。論師の跡をつけて回るなど、危害を加えるため、そうでなくとも害意を持っているとみなされ排除されても仕方がないと。
どうやら頭の中が私の話したことでいっぱいいっぱいだったセシル少将はシンクに指摘されて素直に謝り、胸中を吐露したのだという。
しかしシンクはそれを切り捨てた。過去がどうした。理由がどうした。必要なのは未来を掴むためにする決断だ、と。
そしてその決断ができないのであれば、たとえどれだけの腕を誇ろうとも、論師の目の前に差し出す価値もないと。

その言葉は確かに正しい。正しいが、同時にとても厳しい言葉に聞こえた。
うじうじしているだけでは未来はつかめない。それは単純に時間を無為に過ごすことである。シンクはそういいたいのだろう。
つまり、理由は何でもいいから決めるならさっさと決めろと言いたいのだ。

だが私の提示した選択肢はセシル少将にとって過去の功績を捨てて将来を決める選択肢だ。悩むのだって大いに解る。
だからこそ少将はダアトに来た場合のメリットデメリットなどをもっと詳しく聞くために、私と話したいと思っていたのだろう。
それは人として当然のことであり、預言など関係ない。むしろ決断のために必要な過程だと思う。
うん、やっぱりちょっとシンク厳しすぎないか。

「別に厳しくなんてないね。いったい何を迷う必要があるのさ。道は提示されてるんだ。だったらさっさと進めばいいだけだ。僕はそうしてる」

「んー……それでもね、迷うんだよ。抱えてるものが大きければ大きいほど、生きてきた時間が長ければ長いほどね。それにセシル少将にはもっと別の道だってある。悩むのは当たり前のことだよ」

「……つまり僕がまだ若造だから悩む気持ちなんて解らないだろうって言いたいわけ?」

「人それぞれ事情があるんだから、それも考慮してあげようねって言ってるの。シンクはシンク、少将は少将でまったくの別人なんだから」

私がそういうとシンクは完全にふてくされてしまった。
私が若造だからという点を否定しなかったからだろう。唇を尖らせたシンクに私は苦笑を一つ落とすと、ちょいちょいとシンクを手招きする。
ふてくされつつもソファから立ち上がり、素直にやってくるシンクは可愛いと思う。お母さん大好きな幼稚園児のようだ。
もしかしたらこうしてあっさりとふてくされたのも、私に甘えたいという思いがどこかにあったせいかもしれない。
いつものように隣に座ってしがみついてくるシンクの頭を撫でてやりながら、それでもセシル少将がこちらに来るよう背中を押してくれたことは礼を言っておく。
物言いは厳しいが、私が欲しいと言ってからこそシンクもまたそうして言葉を重ねてくれたのだろう。

「来るかな」

「きたら仲良くしてあげてね。少将ならきっとすぐにでも頭角を現すだろうから」

「そうだね。腕は確かだ。それは認める」

仲良くしてねとは言ったものの、シンクの返答はずいぶんとおざなりだった。どうでもいいのだろうか。
そんなことよりもこっちに集中しろといわんばかりに、背中に回される腕。ぎゅうと抱きしめられるのにも、ずいぶんと慣れた。

そのままソファに押し倒され、胸元にシンクの頭が置かれる。
とくとくと皮膚の下を流れる血の巡りを、鼓動を聞くために耳を済ませ目を閉じる彼の頭を撫でる。
シンクが私の鼓動を聞くようになってから結構な時間が経つが、飽きたりしないんだろうかと思う。聞いてて楽しいものでもないだろうに。
それとも人肌に飢えてるから、鼓動を聞くという名目の元抱きついてくるのだろうか。もしくは単純に甘えたいだけ??

「聞こえる?」

「うん。とくとくしてる」

「生きてるからね」

「……うん。だから、あったかいんだよね」

「そうだよ。まだあったかいのは気持ち悪いと思う?」

「……そうだね、あったかいのは気持ち悪い」

ありゃりゃ?
予想外の返事が返ってきたことに私は撫でる手を止めた。
それならば私にしがみつくのもやめた方が良いのではないかと、身を起こそうとした私をシンクはあわてて止める。

「シオリは例外だよ。シオリは僕に教えてくれただろ。人があったかいのは生きてるからで、生きてる体温を知ることは安心できることだって」

「そうだね。でも気持ち悪いんでしょう?」

「シオリ以外はね。あたたかいと……どうしても、思い出しちゃうんだ。赤い、赤い熱が、あの捨てられたときの、熱さとか、さ」

だから、あたたかいのは気持ち悪い。
そう言うシンクの言葉の言葉はどこか遠くて、思わず私はぎゅうとシンクを抱きしめる。
私が離れないことに安心したのか、シンクは甘えるように頬ずりをしながらぽつぽつと語り始めた。

例えば、首筋を流れる汗。例えば、触れ合う際の温もり。例えば、戦闘中に傷ついた箇所の熱にも似た痛み。
トラウマを呼び起こす欠片は日常生活にあふれすぎていて、いつもまぶたの裏にはあの赤い熱がちらついているのだという。
だから最初は体温なんて嫌いだった。冷たいものが好きだったのだと。

それでも私が生きているから温かいのだと言った時、実際にぬくもりに触れて鼓動の音を聞き安心感を知った時、"シオリなら平気"だと思ったとシンクは言った。
それは私が戦う術を持たず害がない存在だからだとか、私がシンクの依存対象になっているからだとか、いろんな理由が重なってそんな結論に至ったのだろう。
それ以来、少しずつではあるもののあたたかいものは平気にはなってきているし、思い出すことも減ってきたのだと……。

「……ごめんね、気づけなくて」

「別にシオリが謝ることじゃないでしょ。それに言ったじゃないか、もう慣れてるし、だんだん思い出すことも減ってきてる。
だからシオリが気にすることじゃない。気にするくらいなら、またこうして触れさせてよ。まだあったかいのは嫌いだけど……シオリだけは、安心できるから」

「……うん」

シンクのことならほとんど知っていると、五分前までの自惚れていた自分を力いっぱい張り倒してやりたくなる告白だった。
私が知らないうちに、シンクはずっと自分の中のトラウマと戦っていたのだ。
辛いことだろうに、それが"辛いこと"だと知らないままシンクはもがいてきたのだろう。
どうして気づけなかった、なんて傲慢な思いだ。気づいたところで何かしてやれるわけでもない。けどやっぱり思ってしまう。
何で私は気づいてあげられなかったんだ。ほんと、自分を殴りたい。
そう思うくらい、私はシンクの言葉に衝撃を受けていた。

「いいよ。シンクならいくらでも触れて。こうして鼓動を聞かせるのも、シンクだけだから」

「……うん、ありがと」

わずかにシンクの口元が緩み、笑みを作ったのが見えた。
再度シンクの頭を撫で、抱きしめる。

この私に依存している子供は、いったいこの先どうなるのだろう。
解らないがせめて不幸にならないよう導いてあげなければと思う。
たとえ傲慢といわれようと、それが依存する対象を見つけて精神の安定を図らせるという、この道へと手を引いた私の義務だと思うから。
心の中で誓いながら、私はまたシンクを強く抱きしめた。

この温もりが、せめて貴方の心を守りますように、と……。








これでキムラスカ編は終わりになります。
途中サイト移転をはさんだせいもあって非常に間が空いてしまったこと、ここでお詫び申し上げます。

さて、キムラスカ編は軽いノリを意識していたのですが、いかがでしたでしょうか?
あまり暗くなりすぎないよう気をつけたつもりです。まぁ論師とシンクのコンビのおかげで暗くなりようがなかった面もあることにはありましたが。

ちょっと無理がある点も多々ありました。間が空きすぎたせいで違和感があるところもあると思います。そこは読み返しつつ手を加えていきたいと思います。
あと補足というわけではないんですが、番外編という形で幾つか書きたい話がいくつかあるので、それも書き上げ次第アップします。

次はダアトに戻ってからの話、『翻弄編』になります。最後にシンクの依存っぷりを持ってきたのもこちらに関係してきます。
いまだ本編突入の入り口が見えないこの長編ですが、気長に付き合っていただければ幸いです。

清花

栞を挟む

BACK

ALICE+