烈風の少年は女将校に毒を撒く


※ジョゼット・セシル視点

彼女の後をつけていたのは、セシルの名に誓って決してやましい思いがあったわけではなかった。ただもう一度話したかったのだ。
肺腑を蝕み全身の力を奪うような言葉をかけられようと、思考を停止させるような愉悦の滲んだ笑みを向けられようと、それでも構わなかった。
いや、むしろ私はそれを望んでいたのかもしれない。もしかしたら、もう一度彼女の毒牙にかかりたかったのかもしれない。
私は迷っていた。究極の選択を前にして、足を竦ませそれだけしか見えなくなっていた。だからこそ、あんな愚行をしてしまったのだと思う。
よくよく考えなくとも、剣の腕を持った女が、いや将校の位を持つ外国の女が後をつけていると知れば、彼女の護衛たちが私を警戒するのは当たり前のことだということに気付けなかったのだから。

「さっきからこそこそとうざいんだよ。一体どういうつもり。ジョゼット・セシル少将」

警戒の末、夕日を眺めている論師から離れ私の元にやってきたのは論師守護役特別顧問、論師の一番の側近といわれるシンク謡士だった。
他国とはいえ官位が上の人間に対する言葉遣いではなかったが、私のしていた行為が行為だ。敵意を持たれて当然、敬語なんて使われる筈が無い。
長年の経験の賜物か肌を焼くぴりぴりとした敵意が私の思考を強制的に冷静にさせる。冷や水を頭から掛けられた気分だった。先程までの自分を罵倒したかった。

「無礼は、わびる。今一度論師と話したかった。それだけだ。決して危害を加えたかったわけではない」

「寝言は大概にしてくれる。どんな理由があろうと論師をつけてる時点で排除されても仕方がないってアンタなら解るだろ」

「わかってる。だが本当に害意は無い。信じて欲しい」

戦闘する気は無い。その意を込めて両手を上げて戦意がないことを告げる。ここで戦闘に及ぶのは避けたかった。
あちらは左官とはいえ六神将の一角、ダアトとキムラスカの軍人がぶつかればただでは終わらない。自分の軽挙が原因なのだから、なおさらだ。
シンク謡士は私の反応を見てふんと小さく鼻を鳴らすと、腕を組んで私を見下ろす位置に陣取る。
しかしぴりぴりとした敵意はすっと消えたため、とりあえず話をしてくれる体勢に入ったようだった。

「論師はお忙しい。そもそも今回のキムラスカ来訪だってどこぞの大詠師が陛下からの招待をぎりぎりまで秘匿して此方に伝えなかったせいでかなり急だったんだ。幾つかの予定を潰してこっちに来ている。用が済んだらさっさと帰るのは当然のことだろ?」

「そこを何とかしていただけないか。もう少しだけでいい、話が聞きたいんだ」

例えば、私がダアトに行くことを選んだ時どれほど優遇してもらえるのか、とか。
引抜ではないと言っていたものの、直々に声をかけてくれたのだ。私自身がきちんとキムラスカと縁を切ってダアトに向かえば、多少の手は差し伸べてもらえるだろう。
何も最初から将軍位につけろなどとは言わない。ただ一つ小隊を任せてもらえるだけでも、論師が直々に引き抜いてきたのだと紹介してもらえるだけでもよいのだ。それだけで後は自分の力を示す自信があった。
私は至極当然のことを言っていると思う。何の保障もなしに今の安定した生活を捨てられる筈も無い。

「話を聞いてどうするのさ。アンタ如きに論師の貴重な時間を削らせる価値があるっていうわけ?」

「論師がそう思ってくれているから、話をくれたのではないのか?」

「確かにそう言う一面はあるかもね……けどね、僕から言わせてもらえれば迷ってるくらいならアンタは要らない。足手まといは必要ないんだよ」

底冷えするような声だった。侮蔑すら混じっていそうな声音で、吐き捨てるように言われた。
それでも言われた台詞が癪に障ったのは否定できなかった。
どれだけ周囲に陰口を叩かれようと、私は自分に持てる全てを武器にしてここまでのし上がってきたという自負があった。
そうして得たのが今の地位だ。私にはそれだけの価値があるということだ。それを要らないとはっきりと言われて、気に触らない人間がいるのだろうか。

「随分な物言いだな、たかが左官風情が。貴様の歳では軍人になってからまだ十年も経っていないだろうに、何を基準にそんな判断を下す」

「はっ!そんなの問答するまでもない。アンタが論師の役に立つか立たないか、判断基準はそれで十分。
まだ十年も経ってない?だから何さ、アンタから見れば短い僕の人生は全て論師によって成り立ってる。これ以上の判断基準がどこにあるっていうのさ」

盲目と呼ぶことがおこがましく感じるような言葉だった。
きっとあの鳥の嘴のような仮面がなければ、論師に心酔する恍惚とした瞳があったのだろう。同時に価値観の違いを思い知らされる。
彼の手にかかればたとえどれほど優秀であろうとそれが論師のためにならないのであればすぐさま無価値の烙印を押されるに違いない。
論師は彼を重用していると聞く。彼が忠言すれば、論師も無視はできまい。
だが逆を言うのであれば、例えどんな人間であろうと論師の役に立ちさえすれば目をかけられる、ということではないだろうか。

「私は剣の腕も隊を率いる手腕も、男達には引けをとらないと自負している。キムラスカ軍においてケセドニア北部戦を経験しているというのも大きなメリットだろう。
部下を統率するという点では私は論師の強力な武器になれる。違うか」

「あんた実は馬鹿だったりする?黒獅子ラルゴ、魔弾のリグレット、剣豪カンタビレ、そして主席総長のヴァン・グランツ。
個人では一騎当千の力を見せるし、隊を率いる能力もアンタとは引けを取らない。
ラルゴは傭兵時代の伝と経験でうまく隊をまとめているし、リグレットは女を使った強烈な部隊を作り上げてる。
死神ディストと幼獣のアリエッタの部隊だってそうさ。特色が強すぎて扱いが難しいけど、それぞれ譜業と薬品、そして魔物に扱いに関しては右に出るものはいない特殊部隊に近い軍隊を作り上げてる。
逆に僕とカンタビレの軍はそれほど特筆性は無い。けど基本的な練度が高く柔軟性に富み、あらゆる場面に対応できる部隊に仕上げてある。
そしてそれを統率する閣下のカリスマ性さえあれば神託の盾の統率は決して乱れない……それを踏まえて聞くよ。
この中でどうやってアンタは自分の力を見せ付ける」

反論ができなかった。唇をかみ締め、喉の奥で小さくうめき声を漏らす。
確かに彼の言うとおりだ。神託の盾はキムラスカやマルクトに比較すれば絶対数が少ないものの、その練度の高さは二カ国と肩を並べるかそれ以上といわれる

軍隊。
その中で名を上げたいのであれば、並みの能力では足りないのだ。

「なら……何故論師は私に声をかけたというのだ!一時の夢を、甘い毒を私に吹き込んだ理由は何だ!」

「落ち着いて考えれば解ると思うけど?でもアンタ切羽詰ってるみたいだし、ヒントでもあげようか?
あのね、論師がアンタに価値を見出したのはそこじゃないんだよ」

「そこじゃ、ない?」

くすりと、少年特有の艶のある唇から笑みが零れた。
半円を描く唇に既視感を覚え、夕日を背後に笑う黒い影に軽い眩暈を錯覚する。
魔性だ。そう思ったのは何故なのか。

「論師の言葉を思い出しなよ。論師が評価したのはアンタが築いてきたアンタの実力さ。
それは戦場での評価も確かに含めてるだろうけどね……けど、アンタが今の地位を得るために使ってきた手段はそれだけじゃないって、アンタ自身が一番解ってるんじゃないの」

くつくつと低く喉の奥で笑う。けれど嘲笑で無いことは解った。
愚かな子供を眺めて見守るような、そうだ、あの、論師と同じ。

あれは、毒を含んだ笑みだ。

じわりじわりと全身に毒が回っていくような錯覚を覚えた。
理由もなく汗が噴出し、心臓が耳の横にあるかのように鼓動が煩い。
どうやら今の私は焦っているらしい。何故だろうか。今までの過去の行いを知られているからだろうか。

違う。

「外道と、謗らないのか」

「外道?邪道?何でもいいさ。僕はそう思わないけどね。ジョゼット・セシル。僕はアンタの行動を評価するよ。
アンタは自分の持てる力を全てを使い、利用できるものを最大限に利用し、今の地位をもぎ取ったんだからね!」

ぞわり。
背中を這い上がるのは悪寒ではない。これは高揚である。
場違いな哄笑が少年の開かれた唇から響いた。狂ってる。今にも手を叩いて喜び出しそうなほどだ。
他人が見れば目を逸らして青ざめそうな私の過去を、他人が聞けば顔をしかめそうな私の行いを知ってなお、彼は笑っている。

けれど私は、そう。
それが何よりも……嬉しかった。

そう、嬉しかったのだ!!

「悪逆非道、極悪、卑怯千万、そう呼ばれても仕方が無い手段を私はとってきたのに、笑うのか」

「笑うよ。だって僕らだってそうだからね。それに何かを成し遂げるにはそれに見合うだけの屈強な意志がなくちゃならない。
その一点においてアンタは誰よりも何よりも優れてる。自己犠牲なんて生ぬるいものじゃな終わらない。
その精神性こそ、論師は何よりも評価した……と、僕は思ってるけど?

そしてそこに論師への揺るがない忠誠心が加われば言うことは無いね。
例え自分の目的を持っていようと関係ない。論師の力になるなら、むしろアンタに手を貸してすらくれるんじゃないかなぁ。あの人は存外身内には甘いから」

剣の腕も、軍の統率力も、付随するものでしかない。何よりも評価されたのは私のこの、精神性だと彼は言う。
キムラスカでは忌み嫌われ、蔑まれたというのに、それを素晴らしいと笑うのだ。

歓喜。高揚。胸を満たしていく計り知れない何か。
今まで誰も肯定してくれなかった私の生き様を、受け入れてもらえるという喜び。
年甲斐もなく、嬉しくて涙が出そうだった。肯定されるということがこれほどまでに胸を震わせるのだと、生まれて初めて実感したのだ。

「論師は、こんな私を受け入れてくれると」

「むしろその力をふるって欲しいと思ってるからこそ、声をかけたんだと思うよ?僕から見てもあんたのそれは一種の才能だ。
だからその利己主義と極悪性を存分に奮えばいい。完璧にとはいかないけど、論師ならば後ろ暗いところは綺麗に隠して、名声だけをアンタに集めてくれるだろう。
勿論、そうなるに至るまでの道のりは決して楽なものではないけどね……でもま、キムラスカに居るよりは、息はしやすいんじゃない?」

最後に鼻で笑って、シンク謡士は肩をすくめた。
ああ、もう無理だ。シンク謡士の言葉は間違いなく毒だった。
その甘美な味を一度知ってしまえばもう戻れない。だって今の私は既にダアトでの生活を夢想している。

「ま、最終的に必要なのは未来を掴むための決断さ。それがなければどれだけ才能があろうと、腕を誇ろうと全て水泡と化す。
アンタの決断、楽しみに待ってるよ。それと決断をしたアンタが論師の目の前に差し出すだけの価値があるよう、祈っておいてあげる」

くすくすと笑いながら彼は私に背を向ける。どうやら話を切り上げられたらしい。
だが問題はなかった。最早私の気持ちはダアトに向かう方に傾いている。これ以上悩む必要を感じられないほどに。
この先どんな茨の道が待ち受けていようとも、その道を切り開いていく自信があった。

だって肯定されたのだ。
だからこそ私はこれから先、たとえどんな手段を使ってでもその道を突き進むだろう。
どれほど犠牲を出そうと振り返ることなく、利用できるものは全て利用して。

彼が居なくなった道をもう一度見上げ、私もまたきびすを返す。
預言だとでっち上げれば軍を退職することはそれほど難しく無いだろう。ただし鬱陶しい貴族と将軍が何人か居るから、彼らは潰しておくべきだ。
それとで大詠師派の貴族の力を少しでいいから削いでおけば、論師やシンク謡士へのいい土産になるかもしれない。
どうせならば潰したい輩と大詠師派の輩がお互い足を引っ張り合って殺しあうような、そんな策を置いていけば私も楽だし早くダアトに行ける。
そのためにはどうしたらいいか……そんなことをつらつらと考えながら自分の屋敷へと足早に向かった。
夕闇の中、血と怨嗟と裏切りに塗れた輝かしい未来に、私は胸を膨らませていた。









烈風の少年は女将校に毒を撒く








「ヴァン、ちょっとお願いがあるんだけど」
「シンクか。どうした、お前が私に頼みごととは珍しいな」
「まぁね。ちょっとセシル少将について調べて欲しいんだけど、どれくらいかかる?」
「私が断るとは欠片も思っていないところが論師に似てきたな……バチカル支部の人間に情報を集めさせよう。
しかし何故彼女を?彼女は特段大詠師派でも論師派でもなかったはずだが」
「シオリが神託の盾に勧誘したんだよ。その関係でちょっと話す機会があってさ。
シオリの口ぶりからただ剣の腕だけでのし上がって来た訳じゃない、訳ありなんだろうなとは思ってたんだけど、話してみた限りやっぱりそうみたいだから」
「あの人が勧誘……珍しいこともあるものだな。解った。調べさせておこう。それで、お前は話してみてどうだった」
「うん?いい感じに壊れてるんじゃない?まさかあそこまでとは思ってなかったけど」
「……シンク、何を聞いた?」
「何も聞いて無いよ。ただ向こうは僕のこと理解者だと思っちゃったみたいなんだよね。僕はフェイクかましただけなのにね」
「……お前、本当に論師に似てきたな」
「ありがと」






セシル少将は目的のためなら手段を選ばない人だといい。

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