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「え?じゃあバチカルに行くって本当だったんですか?」

「はい。突然で申し訳ありませんが、また暫くダアトを留守にします。
情報部に頼んでありますが、何か問題が上がった時はリグレットに伝えてください。
繋ぎをつけてくれる手はずになっています」

「解りました。また誘拐されないよう気をつけて下さいね」

「そうですね、シンク達の側を離れないようにしたいと思います」

その心配の仕方はどうかと思うが、私達の場合はそれがシャレにならないから問題だ。
レインにバチカル行きを報告しに来たのだが、レインはダアトのことは任せてくださいと頼もしい返事をくれた。
本人にも言ったとおりいざとなれば情報部と六神将がバックアップする手筈になっているから、まあ何とかなるだろう。
正直イオンとアリエッタが付けた影の護衛達も居るからあまり心配はしていない。

紅茶を一杯飲む時間だけお邪魔した私は、他にも詠師達に挨拶に回ってキムラスカ行きの準備を進めていった。
中にはもっと早く言えと文句を垂れる大詠師派の詠師もいたが、大詠師の伝達ミスのせいだよといえば黙った。阿呆か。

そして穏健派の詠師から話題に出されたのは、預言に詠まれし『聖なる焔の光』のこと。
晩餐会の場所がファブレ邸である以上、彼に接触する可能性は非常に高い。
預言を順守してもらうために屋敷に軟禁しているのだから、くれぐれも本人に預言を漏らさないよう言われた。
例え穏健派であろうとやはり預言は守られるものだという考えは根深いようだ。
それがユリアの残した秘預言であれば、余計に。

だがそれは仕方ないかな、と最近思うようになった。
というのも、導師派の人間であれど預言を回避しようとすることは非常に勇気がいると聞く。
預言というものは私の予想以上に人々の生活の中に根付いていて、ここダアトは他の地域に比べてそれが顕著であるというのが解ってきたのだ。
いや、予想はしていた。しかしその予想よりも遥かに深く根付いていることを実感した、身を持って体験した、という方が正しいのかもしれない。

ちなみに次に預言が浸透しているのはやはりというか何と言うかバチカルである。
国王自身が大詠師を側近にするほどなのだから当たり前といえば当たり前だが。

「バチカルでは手痛い歓迎を受けそうですね」

「物理的なものであれば例えどのような歓迎であろうとお守りいたします」

「えぇ、信頼していますよ」

問題は精神的・社会的な歓迎だろう。
私の呟きを聞き取ったシンクに微笑みを向けてから、バチカルで受けるであろう歓迎を予想する。

ヴァンから漏れ聞いた話によれば、貴族の八割以上は預言に従って政務を行っているという。
勿論だからといって預言を妄信しているか、預言順守派かどうかは別だ。
国がそういう方針だから渋々従っているだけという人間も居るであろうことは想像に難くない。
同時にそんな人間は少数派であろうな、というのも想像に難くない。

預言が存在しない体、預言を順守しない体制、預言を重要視しない思想。
恐らく多くの視線が向けられるだろう。嫌味を言われるならば可愛いもの。
侮蔑、軽蔑、唾棄される己がありありと目に浮かぶが、しかしまぁ、結局のところいきつくのはそれがどうしたというのが結論だ。

くすりと笑みが零れ、いずれ受けるであろう百を越える視線を頭の中で踏み潰す。
それが何か私に益を与えてくれるのか?
否、他人は他人だ。例えどのような評価を下し、どのようなことを言おうと所詮は他人事、何か責任を取ってくれるわけではない。
だったら無視してしまえば良い、つまるところ私と私の仲間とこれからの計画に影響がなければそれで良いのだから。

「シンク」

「何か」

「実に楽しみではありませんか。キムラスカは王侯貴族の権力が強い国。
つまりバチカルは権謀術数渦巻く本拠地ということ。向けられる悪意も敵意も、このダアトとは比べ物にならないでしょう。
しかし私達が目指すものはそれらを全て踏み潰した先にある……そして私はここで挫折する気はさらさらありません」

「申し訳ありませんが、論師が挫折する姿が思い描けません」

「ふふ、シンクが言うと世辞に聞こえないから不思議ですね。
ですがイメージトレーニングは大切です。敵など全て踏み荒らし、蹴散らして進んでやろうではありませんか」

「御意のままに」

高揚している私に気付いているだろうに、平静を装うシンクに笑い出したくなる。
この高揚感を満たしてくれるような、それこそピオニー陛下やカンタビレのような、骨のある相手に出会うことはできるだろうか?
己の中で士気と期待を高めつつ、私はキムラスカへと向かう準備を進めるのだった。








「ところでシンク、船の手配をしたのは誰ですか?」

「総長閣下です」

所変わって、ここはダアト港。
守護役を引き連れた私はバチカルに向かうために馬車でここを訪れたのだが、港に入港している船を目の前に笑顔全開でシンクを振り返っていた。
そして私が笑顔で質問した事で意図を察した守護役が数名、(若干焦りながら)お側を離れることをお許しくださいと願い出てくる。
彼等に許可を出した後、私は今回外交のために用意されたという船をもう一度見上げた。

美しい流線を描く白亜の船は小型の部類に入り、最大乗員数は160名ほど。
船の左右に取り付けられたプロペラなどの要所要所に使用されているのは落ち着いた紅色で、類を見ない配色ではあるものの一般的に言えば美しい配色なのだろう。
そう。その横っ腹にデカデカと黒髪の女性が描かれ、船の一番前に黒髪の女性像が飾られ、ローレライ教団所有小型高速船ヤマトナデシコ号とかふざけた名前でなければ私だって素直に喜べたに違いない。

「市民には非常に人気が高いそうです」

「そうですか」

「一日一度、400ガルドで2時間ほどのクルーに出られるらしく、最近は流行のデートスポットとしても有名だそうですよ」

「そうですか」

「何でも巷では論師号と呼ばれているとか」

「そんな情報要りません」

シンク以外の守護役達がくれる蛇足にぴしゃりと言い返しつつ、船の横っ面に描かれて女性の絵を見て深々とため息をつく。
ヴァンが私をびっくりさせたくて準備したらしい。阿呆か。
普通に恥ずかしい。今すぐ穴があったら入りたい。私はここまで自己顕示欲は強くない。

痛み出しそうな頭を抑えていたところ、守護役達に連れられてのこのこ現れたヴァンににっこりと微笑んでやる。そりゃあもう盛大に。
それだけで私が喜んでいないことを察したヴァンは適当な言い訳をして逃げ出そうとしたが、さり気なくシンクに退路を塞がれた。ナイスシンク。

「あぁ、そう言えばグランツ謡将もバチカルに向かわれると言っていましたね。ご一緒にいかがですか?
船を手配してくれたお礼もしたいことですし」

「いえ、そのっ、私は」

「何かこの後予定でも?」

「そ、れは、ありませんが…」

「では、行きましょうか。ああ、ソコの兵の方、申し訳ありませんが、主席総長も私達と一緒にバチカルへ向かうと第四師団師団長のリグレット奏手に伝言をお願いしても宜しいですか?」

「はっ!」

顔色の悪いヴァンの左右を守護役達が固め、半ば引きずるようにして船の中へと連れて行く。
タラップが外され、汽笛を鳴らしながら出発した船の上で港の人達が見えなくなるまで手をふる時間は、ヴァンにとっては閻魔様の審判を待つ気分だったに違いない。
事実、ヴァンの顔色は非常に悪く、僅かに冷や汗などかいていた。まぁ、気にかけてなどやらないが。

「さて、と」

人々が見えなくなった後、シンクを連れた私はヴァンと共に私の部屋だという船室へと向かった。
守護役の子達にはここまでで良いですよと告げ、私はグランツ謡将とお話がありますのでと言えば守護役達は警邏に行くと言って頭を下げて退室していった。
つまるところ自分達は姿を消しますということであり、それを見送ったヴァンの顔色が既に青を通り越して白色になっている。
そうして身内だけになった室内で私はくるりとヴァンに向き直ると、ピンヒールでないことを残念に思いながらその足を思い切り踏み潰した。

「で?コレは一体何なのかな?肖像権の侵害ってことで給料120%カットされたくなきゃさっさと説明しようか?え?」

「いやっ、あのっ、これは、だな…その…っ」

「120%ってことは次の給料全額カット、経費は自腹でボーナス無し、で良いの?」

痛みに言葉を詰まらせるヴァンの横で、呆れたようにため息をつきながら腕を組んだシンクが言う。
ヴァンはその言葉に勢いよく首をふりながら、この船について説明をしてくれた。
シンク、ナイス追い討ち。

何でも、ことの発端は計画が変更になったためにフォミクリーにつぎ込む予定の金がたらふく余ったことだったらしい。
まあ元々は横領したお金なわけだが、余った金を見てヴァンは思ったのだという。

この金を使って論師の名を更に広めることはできないか。
それも教団に利益の出る形ならば、もっと良い。

そうして思いついたのが、教団所有の小型高速船ヤマトナデシコ号。
使えるのは詠師以上の人間が外交に出るときのみで、普段は一般市民や観光客向けの遊覧船として使用する。
とはいえ、遊覧船と使用している間は今私が使用している部屋などの一部のエリアは入室禁止だ。
ちなみに大詠師がコレを使うことはない。彼は自分用の小型高速船を持っているからだ。

「で、実際作ってみた結果がコレだと?」

「うむ。今のところ順調に利益は出ている」

「うむ、じゃないわ。私の肖像権は無視か阿呆!その髭ガムテープで抜かれたくなかったら二度とやるんじゃない!」

「ぬ!?」

「え?ガムテープでやるの?あ、今布テープしかないんだけど大丈夫?」

「布で良いわよ。その方が痛そうだし」

少しだけ自慢げに言ったヴァンの言葉をぶった切れば、シンクが心底困ったような声で追従してくれた。勿論わざとである。
逆にヴァンはやられるところを想像したのか慌てて髭を抑えていた。

結局、次から金をつぎ込むときは相談に来るという約束をさせて、私はヴァンを解放した。
作ってしまったものは仕方が無い。流石に巨額を投じているものを壊せとも言えないし、そもそも教団所有なので私一人の意思で壊すことなど出来ない。
突っ走ると斜め45度上の方向に行くのはレプリカ大地計画で解りきっていたが、まさかこんな方向に行くとは思わなかった。

というか、ベルケントに行く前のイオンが船作る許可出してたのも問題だ。
アイツこの船の存在知ってて黙っていやがった、次会ったら覚えてろ。

「とりあえず、こんなもの作るくらいなら教団や騎士団本部の補修工事代につぎ込んで欲しいわ」

「あ、同感。大浴場がいい加減汚いから改装して欲しいんだよね。団員達からの希望も多いし」

以前訓練場で柵が壊れて落ちたことを思い出す。
うん、やっぱりそっちに金をつぎ込むべきだろう。
シンクの話に頷きながら、キムラスカから帰ったら補修工事に関して詠師会に提出するかと言えば、ヴァンはやっぱりうむ、そうだなと頷いていた。
だから、何でそんな偉そうなんだお前は。少しは反省しろ馬鹿。


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