66


「コレでキムラスカでの足がかりも出来たわね。
それにシュザンヌ様が福利厚生と保険制度をファブレ家の使用人にも適応してくれるのであれば、万が一襲撃を受けた場合使用人達も最悪の結末を迎えることは無い筈。
それに資格制度と専門学校を作っておく事で退職させた人間をそっちに放り込んで資格者にする、という手も取れるようになる」

「あ、そこまで考えてたんだ?」

「まぁね。シナリオが変更されている以上襲撃をかける必要性も無くなるわけだけど、保険をかけておくに越したことは無いでしょう」

「そうだね。どっかの馬鹿のせいで路頭に迷う人間が出るのは心が痛むもんね」

言わずもがな、どっかの馬鹿というのはティア・グランツの事である。
あの後紅茶談義を楽しんだ後、ファブレ邸からお暇した私は現在馬車に揺られていた。

というのも空中客車の揺れに慣れないと世間話がてらに漏らした私に対し、シュザンヌ様がそれなら教団支部のある階層へ直通の天空客車があるからそちらに乗れば良いと提案してくれたのだ。
そんなものがあるのであればさっさと言ってくれとも思ったのだが、ファブレ邸から少し離れたところにあるらしくファブレ邸の人々も普段は殆ど利用しないらしい。
とはいえ離れているといっても貴族街にあるには間違いないということで、わざわざ足を運んでくれたのだからとシュザンヌ様が天空客車のある場所まで馬車を仕立ててくれたのである。

ちなみに馬車を仕立てて案内してくれたのは、ガイだった。
物凄く取ってつけたような敬語を使っていた。
私の笑顔が冷えていくのを感じたらしいルークからは謝罪を貰った。

何故謝るのかと聞いたら、そうした方がいい気がしたからとルークは言っていた。
多分、ガイよりはルークのほうがよほど貴族に向いている。
あのなんちゃって辺境貴族が。使用人になりきれないならとっととマルクトに帰ってしまえ!

とまぁ私が罵倒したかどうかはさておき、おかげで私は周囲を論師守護役達が固めている馬車に揺られており、万が一のためにという名目でシンクも一緒に馬車の中に居る。
しかしながら万が一のためにと言い出したレイモンド奏長は微笑ましそうにシンクと私を見ていたので、絶対に何かしら誤解をしていると思うのだが、いい加減問い詰めるべきなのかもしれない。

「……それにしても、運が無いね。いや、相手の運が良い、というべきかな」

私がレイモンド奏長を問い詰めるべきか迷っていると、シンクが突如そんな事を言い出した。
私が何のことかと聞く前に馬車が急停止し、馬車の外から剣戟の音と怒声が聞こえ始める。
サーッと自分の血の気が引いていくのを感じた。
コレはもしかしなくともアレですか。移動中を襲撃されてるとか、そんな感じなのでしょうか。

「襲われてる。動けなくなったらすぐに言って」

「……うん」

どうやらそんな感じだったらしい。シンクに肯定され、一気に恐怖が襲い掛かってくる。
大丈夫でしょ、とか話していた昨日が懐かしい。全然大丈夫じゃなかった。マジで物騒だな、キムラスカ。
震えそうになる体を叱咤していると、シンクに優しく抱き寄せられた。
シンクは片手で私を抱きしめながらも馬車の外の様子を伺っていて、カーテンのかけられた小窓から伺った外はどうやらあちこちで戦闘が行われている様子だ。
論師守護役長があちこちに指示を飛ばしているのがちらりと見えた。

「状況は、みんなは……」

「落ち着いて。パッと見た感じは拮抗してるように見える。
けどココは貴族街だからこんな乱闘を起こせばすぐにキムラスカ兵が飛んでくるはずだ」

カーテンを少しずらして外を伺っているシンクの言葉に頷こうとして、嫌な思考が脳裏を掠めた。
落ち着けと自分に言い聞かせて無理矢理理性を働かせていても、人はどうしても最悪な方向へと思考をやってしまうものだ。
ばくばくと煩い心臓を抑えながら、私は仮面をつけたままのシンクを見る。

「ねぇ、もしも、もしもだよ?
貴族達が一致団結して、邪魔な論師を排除するためにコレ幸いと見てみぬふりをしたら……」

「は?まさかそんな馬鹿なこと、」

無いとは言い切れない。
シンクもそう思ったのだろう。
歯噛みした後口元に手を当てたまま考え込んでしまう。

が、突然顔を上げたシンクが私を抱えたまま狭い場車内で後ずさる。
背中をぴったりと壁にくっつけた状態で、何故か謝罪された。
そしてシンクが詠唱したと同時に急激に吐き気がこみ上げてきたため、音素酔いを起こさせてしまうからこその謝罪だと一拍遅れて気付く。
どうやら状況はかなり悪いらしい。

「シンク、いざとなったら、王城か、ファブレ家へ……」

口元を抑えたまま言った私にシンクは頷くだけで答えた。
ドアの外に襲撃犯が居るのだろう。
緊張した空気の中、いざという時は自衛せねばとスカートの下に隠してある拳銃に触れて存在を確かめる。
吐き気が酷いなどと言っていられるはずも無い。

張り詰めた空気の中、飛び込んできた瞬間シンクの譜術が炸裂するのは目に見えていた。
10秒待ち、20秒待ち、緊張も最大に達していたが、私はシンクの準備も徒労に終わることを知る。
がくりと、シンクがその場に膝をついたのだ。
抱きしめられていた私も当然同じように狭い馬車の中に膝をつく羽目になり、仮面を外さないままシンクの顔を覗き込めば焦点の合っていない緑の瞳。

「シンク?シンク!」

「くそ……っ!シオリ、逃げ、」

気付いた時には遅かった。
シンクが転がり、私もあちこちに身体をぶつけながら狭い馬車の中でシンクに抱きしめられたまま転がる羽目になる。
そしてくらりと眩暈がしたかと思うと世界が回り、何とか視界を動かせばドアの隙間から何か細いものが伸びているのが見えた。

どうやら気化性の薬を馬車の中に充満させて居たらしい。
シンクも気付かなかったということは、恐らく無香料の薬なのだろう。
狭い馬車の中だ、勢いよく噴射できるのであれば10秒もあれば充満させるのには充分すぎる。

外では未だに戦闘の音が響いていたが、それも徐々に遠のいていく。
どこか他人事のような自分が、気をつけて下さいねと言っていたレインに謝っていた。
吐き気と眩暈に包まれながら、それでも離すまいとシンクにしがみついたまま、私の意識は途切れた。









んで、目が覚めたら天蓋ベットの上ってどういうことやねん。

おかしい。
私の記憶が正しければ、私はファブレ公爵邸から教団支部へと帰還する間に襲撃を喰らった筈である。
そこで馬車の中で薬か何かで意識を奪われたのである。
なのに何故天蓋ベッドの上で眠っているのか。それに、だ。

「シンク、早く起きてくれないかな……」

そりゃワインレッドのカバーのかけられたお布団は非常に肌触りもよいし、恐らく最上級の羽毛を使っているであろうと簡単に想像できるふかふか具合のおかげでどこかが痛いとかもない。
しかしだ。シンクにぎゅうぎゅうと抱きしめられたままなおかげで、私はいっこうに起き上がることが出来ないのである。
確かにシンクにしがみ付いたまま意識を失ったが、目を覚ました後シンクに拘束されているとはこれいかに。
いや、シンクは私を離すまいとしたのだろうが、逃げろといっていたのにちっとも離さないとはどいうことだと声を大にして問いたい。

「おーい、シンクー。起きろシンクー、シンク、起きろー」

軽く揺さぶってみるも、まだ起きない。僅かに呻き声が聞こえたがそれだけだ。
なので今度は強く揺さぶってみるが、やっぱり起きない。
むしろ何故か更にぎゅうっと抱きしめられた。私は抱き枕じゃないぞ。
抗議の意も込めて蹴りを入れてやれば、私を抱きしめたままシンクが寝返りをうつ。
思い切り押しつぶされ、実はコイツ起きてんじゃないかと疑いたくなった瞬間である。

流石に重いので何とかどかそうとしてみるものの、予想以上に筋肉に覆われていた身体はびくともしない。
うんうん唸りながらシンクの腕の中(むしろシンクの下)から脱出を試みようと10分ほど格闘したものの、疲れきった私はいっそこのまま不貞寝してやろうかとすら考えた。

誰かはよコイツ起こせよ。
ちょっと泣きたくなった瞬間だった。


栞を挟む

BACK

ALICE+