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結局、切れた私が踵落しをしたことでシンクは目を覚ました。
素人の踵落しではあるものの、思い切り背中に入った踵はそれなりのダメージを与えることに成功したらしい。
咽こみながら起きたシンクは私をベッドに押し倒しているといっても過言ではない現状に声にならない叫び声を上げ、仮面をつけていても解るほどに顔を真っ赤にしてからベッドから落ちた。
正確に言うならば混乱を極めてベッドの上を転がった挙句、鈍い音を立てて絨毯の上へと落ちた、だが。

「目覚めた?」

「……ごめん」

「落ち着いた?」

「……ごめん」

自主的に絨毯の上で正座をするシンクに問いかければ、ふいとそっぽを向かれながら謝罪された。
にしても会話が成り立たないのは困る。早く落ち着いて欲しい。
そして私が蹴りを入れたことはどうやらスルーらしい。

「謝罪よりも立って現状把握してくれると嬉しいんだけど」

何はともあれベッドの端に腰掛けながらそう言えば、ようやくシンクは周囲を見渡す。
そして自分達が見知らぬ部屋に居ることと、ココに来た経緯が不明な点に警戒心を露わにし、私に動かないように言ってからまずはカーテンのかけられた窓の方へと歩み寄っていった。
なのでココがどこかという点に関してはシンクに任せ、私は改めて部屋の中をぐるりと見渡す。

シックなワインレッドの布地とダークブラウンの家具で統一されている室内は赤色を使っている割には非常に落ち着いた雰囲気を醸し出している。
家具の装飾に一部使用されている金がアクセントになっていて、部屋を整えた者のセンスの良さをうかがわせた。
色硝子を使用したランプ、棚の上に置かれた陶器の像などは精緻且つ繊細な技が使用されていて、ダアトでは見られないものだ。

どれもこれもある程度財力がなければ用意することが出来ないもので、恐らくキムラスカの貴族街から出ては居ないか、出たとしていても別荘地のようなところだろうとあたりをつけることができた。
最も、それを偽装するための内装だといわれたらオシマイだが。

「どう?」

「駄目だ、暗すぎて判断がつかないね。窓から見える庭に警備用の犬と巡回している兵が居るのは見えるけど、それだけだよ。
ただ何かの組織って言うより貴族の屋敷っていった方がしっくり来る」

「そう。他の子達はどこに……」

「そこまでやわじゃないからね、皆殺しって事はないだろうけど」

「やめてよそんな怖いこと言うの」

そもそも守護役を皆殺しにして私とシンクだけをココに連れてくる輩が居るとも思えない。
守護役を皆殺しにするくらいならば、私とシンクも殺すだろう。
私だけが狙いなら、シンクを一緒に連れてくる必要だってないはずだ。
まあシンクがどうしても剥がせなかったから一緒に連れてきたという可能性もあるが。

「後はあのドアだけ、か」

シンクがそう言って部屋に唯一あったドアを見る。どちらからでもなくお互い顔を見合わせ、頷きあった。
そしてシンクがまずドアを開け、暫く経ってから良いよと言われたので私もドアの外へと向かう。

「リビング?」

「みたいだね。となるとあっちはバスルームかな」

どうやら結構に広いつくりをしているらしい。
廊下にでも繋がっているかと思ったドアは同じくワインレッドとオフホワイトの壁紙で纏められたリビングへと繋がっていた。
しかしコチラにもやはり人影一つなく、テーブルの上に置かれているお茶のセットを見て自分達はどこかのホテルにでも来たのかと錯覚しそうになってしまう。

シンクの言うとおりもう一つあったドアはバスルームに繋がっていたようで、広々とした大理石の湯船にお互い何とも言いがたい表情を浮かべあった。
私達はここに旅行に来たわけではない筈だ。断じて。

「じゃあアレが、」

「うん。廊下かコネクティングルームに繋がってると思う」

最後に残った観音開きの重厚な扉に二人で視線を向ける。
先程と同じように私に待ったをかけたシンクが慎重に扉を開き、するりと身体を滑り込ませて扉の向こうへと消えた。
緊張感を滲ませながらシンクの帰還を待っていたのだが、やがて扉が両方ともゆっくりと開いたかと思うと、口をへの字にしたシンクがメイドさん二人と一緒に入ってくる。
どうしてそうなった?

「お目覚めになられていたのですね。お気づきできず申し訳ございません。
すぐにモーニングティーをおいれいたします。宜しければ何か軽く摘めるものなどご用意いたしますが、どうなされますか?」

「……ん?」

「その前にアンタ達誰さ」

やっぱりホテルに居るような対応をされ、思わず固まった私の前にシンクが立った。
その声が苛立っているように聞こえたのは気のせいではないだろう。
にも関わらず、笑顔のメイドさんその1は手馴れた手つきで紅茶の準備をし、笑顔のメイドさんその2は私とシンクの前に姿勢よく立って説明をしてくれた。

「これは失礼致しました。私達は旦那様に命ぜられ、一時的に論師シオリ様と論師守護役特別顧問であるシンク様のお世話係となっておりますメイと申します。
あちらで紅茶の準備をしておりますのは、同じくお世話係を命じられたユイ。
お部屋の準備、お着替え、お食事のご用意など全て私達にお任せください。
何かご不便なことなどございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」

スカートの端をつまみ優雅にドレープを見せながら挨拶をするメイドさん。
私達専用のお世話係ってなんやねん。そもそも旦那様って誰だよ。
突っ込みどころが多すぎてそろそろ追いつかなくなってきた。

「成る程。ではあなた達の旦那様とお話がしたいのですが、伝言を頼めますか?
どちらにせよ、私達が目覚めたことは知らせる必要があるでしょう?」

「お気遣いありがとうございます。シオリ様が何か特別御用などないようでしたら、彼女を旦那様の元に遣わせたいと思いますが」

「特にありませんので、お願いします。私としては一刻も早く旦那様とやらとお話したいと思いますので」

「畏まりました」

徹底された使用人としての態度に、恐らく彼女達では話が通らないだろうとあたりをつけ、とっととラスボスを呼べと言えばメイドさんは頭を下げて退室していった。
いつの間にか紅茶を淹れおえたらしいもう一人のメイドさんもそのまま頭を下げて部屋を出て行くが、恐らく部屋の外で待機しているのだろう。

警戒するのも馬鹿馬鹿しくなって部屋に置いてあった長椅子に座ればシンクが私の背後に立つ。
長椅子は硬くもなく柔らかくもない程よい固さで私を受け入れてくれて、その肌触りの良さにこれも上等なものなのだろうなと思いながら目の前のテーブルに広げられたティーセットを見た。

「……恐らく貴族の屋敷なんだろうけど、流れが読めない」

「同感。目的が見えてこないね。保護なら他の守護役達が外に居たはずだし、捕縛ならここまで丁寧にされる云われはない」

肘掛に凭れながら呟けばシンクの声が耳に届く。
そのとおりだと内心頷きながらため息をつけばするりと背後から伸びてくる腕。
最早慣れたもので、それがシンクのものだと私は知っている。

「でも、絶対守るから」

「……うん」

背後からぎゅっと抱きしめられる。そのことに関しては疑っていない。
だから私が言えるのは一つだ。

「でもシンクも大きな怪我しないように気をつけてね」

「解ってるよ。それで休暇とらされて暫く側に居られない、なんてなったら元も子もないからね」

そうしてシンクと暫く時間を潰していたら、なにやら申し訳無さそうな顔をしてメイドが帰ってきた。
何でも屋敷の主人が出払っていたらしく、帰還は明日になるのだという。

「大変申し訳ございません。しかし使用人頭に言付けは残してまいりましたので早ければ明日の朝にはお話が出来るかと思われます」

「そうですか。解りました。ありがとうございます」

「差し出がましいとは思いますが、既に夜も更けております。明日の事もありますし、そろそろお眠りになった方が宜しいかと」

「ああ、そうですね。もう日付が変わってしまいそうですし」

メイドに言われて時計を見れば確かに短針は12時を刺そうとしていて、明日の朝に話したいのであればそろそろ眠らなければいけないだろう。
先程目覚めたばかりであるにも関わらずもう眠らなければいけないとは妙な気分だが、無闇に抵抗する必要も無いので素直に従っておくことにする。

「ではお着替えを手伝わせていただきます」

「いえ、自分で出来ますので結構です」

なのでそれなら寝室にと思っていた私だったが、いそいそとクローゼットに向かったメイドさんの台詞に即効で切り替えした。
何故そんな残念そうな顔をする。貴族じゃないんだから着替えくらい自分でするわい。

「では御髪を整えさせて頂きます」

「それは僕がやるから」

続いてもう一人のメイドさんが言った台詞には、シンクが間髪居れずに返した。
これはシンクを褒めるべきなのか。それともやっぱり残念そうな顔をしたメイドさんを嗜めるべきなのか。

「ではご入浴のお手伝いを」

「一人で入れます」

「では入浴後のマッサージはどうなさいますか?」

「いりません」

だから私は貴族じゃないんだってば。
その後あれもこれもと世話を焼こうとするメイドさんを押しとどめ、ベッドメイクとお風呂の準備だけを頼んで何とか出て行ってもらった。
貴族ってどんだけ使用人頼りなんだ。いや、ダアトが質素なだけか。

「ところでさ、僕どこで寝ればいいわけ?」

「……どこだろうね?」

あれ?私シンクと一緒に寝るの?

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