音の悪夢〜終幕〜


薄桃色の花弁が大量に舞うその地は、何処からでも通じ、何処にも無い空間だ。
悪魔の意思一つで出現し消失する空間は許された者しか足を踏み入れることができない。
その中央にある豪奢な屋敷は悪魔の本拠地であり、玄関口の脇では数人の少年達が紅茶の入ったカップを片手に様々な種類のクッキーを口に放り込んでは頬を緩めていた。

そしてその中でもシンクと呼ばれる少年だけは、クッキーを食べても頬を緩めることなく憮然とした表情を貫いていた。
一人だけ顔が違うルークと呼ばれる青年は、落ち込んだ表情のまま紅茶を啜るだけだ。
最後の一人である、白いワンピースを纏ったこの世界の主たる音と快楽を司る悪魔はそんな二人を見て鬱蒼と笑う。

「さて、全員が堕ちた」

「へぇ?」

薄桃色の花弁が浮かんだ紅茶のカップをソーサーに置き、悪魔は…アルメフィリアは足を組み変える。
ルークがアルメフィリアの言葉に反応して顔を上げたのを確認してから、アルメフィリアは笑みを浮かべたまま結末を伝えた。

「帝国軍人は己の犯した所業を突きつけられ、現実を受け入れることなく処刑された。
導師守護役は信じていた主に裏切られ、現実を受け入れられず闇に沈んだ。

まぁあれが夢だと気付いただけでも、上々だと思うけれど」

目の前の現実を受け入れられなかった二人。
大切な存在から手を振り払われる苦痛に耐え切れなかった心は破壊された。

「かつての伯爵子息は置き去りにした庇護すべき民によって復讐をされた。
偽姫は分を弁えることなく、自ら滅びを招いた。

身の程知らずとはこの二人のためにある言葉ね」

選ぶべき選択肢を間違えた二人。
向けられる負の感情に耐え切れなかった心はばらばらに引き裂かれた。

「そして聖女の血を引く女は、自分の存在を亡き者にされることが耐え切れなかった」

関係を築いた者達から背中を向けられる哀しみを乗り越えることができなかった心は全てを拒絶した。

「おかしなことよね、みんなみぃんな、貴方が耐えてきたことなのに。貴方に与えてきたことなのに。
だぁれもそれに耐え切れられないなんて」

心底おかしいというようにくすくすと笑うアルメフィリア。
ルークはアルメフィリアの言っている意味が解らず首を傾げていたが、何を思ったのかアルメフィリアはルークの額にそっと触れる。
その冷たい指先にルークの肩が跳ねた途端、ルークの頭の中に仲間だった五人が破滅していく姿が流れ込んできた。
それらを見てようやくアルメフィリアの言った意味が解ったルークは反射的に立ち上がったが、すぐに自分が動いてもどうしようもないことに気付いて再度椅子に腰掛ける。

「……その、みんなは…」

「生きてるわよ?殺してなんかいないわ。美味しく無さそうだし」

恐る恐る問いかけたルークに対し、アルメフィリアはあっさりと答える。
そして指を鳴らしたかと思うと地面から黒い影が出現し、五人の身体を放り出してまた消えていく。
全員が全員呆然としていて、シンクはそれを見て鼻で笑い、ルークは仲間達とアルメフィリアの間で視線を往復させた。

「私が見せたのはただの悪夢じゃないわ。あれ等は全てありえた筈の過去であり、これから先全く同じでなくとも似たような事態が起こることもありえるの。
つまりあの夢は全て彼等が自ら引き寄せた事態でもあるのよ」

美しく整えられた爪で呆然としたままのティア達を指差し、あざ笑っていることを隠しもしないアルメフィリアにルークはただ話を聞くことしかできなかった。
アルメフィリアはそんなルークの頭をそっと撫でると、再度ぱちんと指を鳴らす。
途端に全員が正気を取り戻したが、その目に覇気は無く怯えた瞳でアルメフィリアを見上げていた。

「さてルーク、貴方に選択肢をあげる」

「選択肢…?」

「この世は全て選択の上で成り立っているわ。選びなさいな。
彼等と行くか、私の元にとどまるか。
彼等と行くというのなら、無事全員人里まで送り届けてあげる。ただしイオンは駄目よ。あの子は既に此処に残ることを選択したんだから」

アルメフィリアの言葉にルークはイオンを見たが、イオンは一つ頷いただけで何も答えない。

「私の元にとどまるというのなら、彼等は洞窟の外に放り出しておくわ。闘えないわけじゃないから命までは失わないでしょう。
そして一つだけ、貴方の願いを叶えてあげる。
その代わり貴方はずっと此処に居てね。あの子達と一緒に」

悪魔のささやきと呼ぶに相応しいその条件に、ルークは息を呑んだ。
既にアルメフィリアが人外の存在であり、無敵に等しい力を持っているのをルークは知っている。
ルークの心には確実に迷いが生じていて、のろのろと視線をティア達に向けた。

しかし全員、ルークなど見ていない。
全員の視線はアルメフィリアに固定されていて、その瞳には恐怖と嫌悪がまざまざと見て取れる。
誰もルークの心配などしておらず、気にもかけていない。

それを読み取ったルークは苦しげに眉を寄せて瞳を閉じたかと思うと、今度は隣に座っているシンクを見た。

「シンクも…此処に居るって言ったのか?」

「まぁね。でも願いはまだ決めてない。待ってくれるって言ったしね」

「そんなこともできるのか」

「私は寛大なのよ」

「それ、自分で言う台詞じゃないし。
案外此処も快適だよ。遊んで暮らしてるみたいなもんだしね。
何より、ここでは誰も"僕等"を否定しない」

シンクの言葉の意味を正確に受け取ったルークは、ごくりと喉を鳴らした。
それはあまりにも魅力的で、優しい言葉だった。

ルークは最後にアルメフィリアへと視線を戻す。
アルメフィリアは実に楽しそうな笑みを浮かべながら、ルークの答えを待っている。
その答えは解っているだろうに、聖母のような微笑みを浮かべ、それでいながら獲物を前にした肉食獣のような瞳でルークが答えを口にするのを待っているのだ。

ルークは口の中がからからに乾いているのを感じて、音を立てて唾液を飲み込んだ。
ルークの心は未だに迷っていた。

しかし、口が勝手に己の願いを紡いでいた。
心の奥底にある、本当の気持ちを。

「オレ、は…ここに、居たい。
イオンやシンクと、此処で暮らしたい。

もう…疲れた」

ルークの答えにアルメフィリアは満足そうに頷き、手を差し伸べる。
ルークは少し迷ったあと、その手を取って美しい手の甲にそっと口付けた。

途端、硝子が割れるような音がルークの耳に届く。

反射的に顔を上げれば仲間だった者達の姿は既に消えていて、逆にイオンが目の前に来てルークの顔を覗きこんでいた。

「イオン…」

「ルークも、此処に居ることを選んだんですね」

「あぁ。イオンもだろ?」

「はい。でも僕の方がちょっとだけ先輩です。これ食べ終わったら、お屋敷の中を案内しますよ」

「マジ?じゃあ早く行こうぜ!」

「食べ終わったら、ですよ。このクッキー、美味しいんです。食べなきゃ勿体無いですよ」

「っとと、そうだな。じゃあ先にお茶するか」

「はい。僕の兄弟も紹介させていただきますね」

先程まで案じていた仲間の存在など忘れてしまったかのように、ルークはイオンと楽しげに話している。
シンクはそれを横目に見ながら、レプリカたちを微笑ましく見守っている悪魔へと視線を移した。

「…何したのさ」

「あの子が言ったのよ。もう疲れたって。だから意識を少し弄っただけ」

「忘れさせたってこと?」

「違うわ。ルークの中でかつての仲間に対する関心が無くなった、それだけよ」

そう言ってアルメフィリアは紅茶の入ったカップを手に取る。
淹れられてから大分経っているはずなのに、未だにカップの中身は湯気がたっている。
シンクはアルメフィリアの言葉を反芻し、その言葉の意味を理解した途端皮肉げに笑った。
それは此処に居るレプリカたちが決して見せない、歪んだ笑い方。

「悪夢の中に閉じ込めたわけだ」

「優しい優しい、悪夢でしょう?」

弧を描く唇に、シンクは鼻で笑って答える。
それ以外答えようが無かった。
シンクもまた、悪夢を望んだレプリカの一人なのだから。

音の悪魔が見せる悪夢に捕らわれたのは、一体誰なのか。
それは誰にもわからない。





音の悪夢






あとがき

はい。音の悪夢、これでオシマイです。
このあとティア達は森の中に放り出されて放置プレイです。
そして悪魔に見せられた悪夢に怯えながら日々を過ごすのでしょう。

ルーク達は悪魔に保護されたと言えば聞こえは良いですが、これからずっとメビウスの輪のように閉じられた世界の中で延々と過ごします。
ただそこは穏やかな世界だと思いますよ。
幸せに穏やかに時を重ねて、毎日を過ごしていくのでしょう。
それが悪夢かどうかは、きっと本人も解らないでしょうが。

悪魔が飽きるまで、その世界は続いていくのでしょうね。


清花
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