契約の口づけを


それはありふれた任務の筈だった。
第五師団を任されたシンクは盗賊が出るという村からの嘆願を受け、小隊を率いて討伐に向かった。
情報収集をした限りでは少し武道を齧っただけの雑魚の群れであり、シンク一人でも足りるのではないかと言った規模。
しかし村人達の安全の配慮や非常事のことを考えての小隊編成後の討伐だったのだが、それは呆気なく崩れ去ってしまった。

敵味方関係なく周囲に倒れる神託の盾兵や盗賊達。
皆一様に悶え苦しみ、そして叫び声を上げながら倒れていった。
何が起こったのか理解の追いつかないままシンクだけが正気を保ち、恐らく元凶であろう…楽しそうに笑う少女に対し、敵意を振りまいていた。

「あらあら、貴方は何故倒れないのかしら?」

屋根に腰掛け、優雅に足を組み、完璧な微笑を見せて少女はシンクを見下ろしている。
白いワンピースが風にたなびき、髪が誘惑するように揺れる。
何故、と問いかけながらも少女の瞳に困惑はない。あるのは好奇心と、残虐な色のみ。

「アンタ…何者だ」

「人に物を訊ねる時の態度じゃないわね。でも、そうね」

少女は言葉を切ると指先をシンクへ向け、ピンと空中を弾いた。
途端シンクのつけていた仮面が弾かれ、シンクは無理矢理素顔を露わにさせられてしまう。
慌てて手で隠そうとするものの、それは得体の知れないものによって阻害された。
地面から無数に湧き出る闇に、身体の自由を奪われたのだ。
少女は軽やかに地面へと降り立つと、蠢く闇に拘束されて膝をつかされたシンクにゆったりと歩み寄った。

「貴方は可愛いから、許してあげる」

にっこりと笑う少女は、場面さえ違えば無邪気な少女の笑顔そのものだっただろう。
しかし四肢を訳の解らないものに拘束されているシンクにとっては禍々しいものでしかない。
シンクは少女を睨みつけるが、少女はそんな視線など軽く受け流しながらシンクの髪を撫でていた。

「そうそう、私が何者かって話だったわね。
私はね、音と快楽を司る悪魔、アルメフィリアって呼んでね。気軽にメフィでもいいわ。
それで、貴方の名前はなんて言うのかしら?」

「何で…っ、そんな事言わなきゃいけないんだよ…!」

「あらあら、人に名前を訊ねておいて自分は答えないって言うのは良くないわ。ねぇ、名前はなんて言うの?」

アルメフィリアが再度問いかけた途端、拘束されているシンクの手足に痛みが走る。
骨が軋むほどに圧迫され、このまま答えずにいたら恐らく骨を砕かれるのだと容易に想像できた。

「ッ! シン、ク…っ」

「そう、シンクっていうの。素直な子は好きよ?
ところでシンク…私一つ疑問なのだけれど、どうして貴方の身体は第七音素しか存在しないのかしら?」

アルメフィリアはシンクの顎に手を添えながら舌なめずりをする。
赤い目が爛々と輝き、唇が弧を描く。それはいわゆる悪魔の微笑み。
アルメフィリアの周囲を闇が踊りざわめき、シンクを取り囲む。

それを見たシンクが覚えたのは、本能的な恐怖だった。
喉が引きつり、周囲を蠢く闇に目を見開く。
アルメフィリアは恐慌状態に陥ったシンクを微笑ましそうに見ると、そっと己の額とシンクの額を触れ合わせた。
一瞬だけシンクの頭に痛みが走るが、それもアルメフィリアが離れれば無くなる。

「そう…レプリカっていうの」

「な…っ」

アルメフィリアの呟きにシンクは言葉を失う。
自分の秘密がバレたことにシンクは困惑するが、手足を拘束していた闇に背後に引き寄せられてその場に尻餅をついた。
拘束自体が無くなることは無かったものの、腕と足を完全に絡め取っていた闇が手首と足首に収束する。

後ずさろうとするシンクの上に馬乗りになるアルメフィリア。
そして頬に手を添えてそっと、額に口付けを落とす。

「な、にを…」

「良いわ、貴方…とっても素敵よ」

「……は?」

「第一から第六、第七で構成される雑多な人間達よりも遥かに純粋な、第七音素のみで形成される存在…素敵じゃない。
紛い物の命、人造人間、模造品…だから何?貴方はこんなにも純粋で、無垢な魂を持っている…普通の人間よりもずっと可愛いわ」

そう言ってアルメフィリアはシンクの顔にキスの雨を降らせる。
動けないシンクは顔を背けることすら忘れてアルメフィリアの言葉を頭の反芻した。

「あ、アンタ…馬鹿じゃないの?レプリカが、純粋…?」

「純粋じゃない。貴方を構成する音素はとても綺麗よ?私気に入っちゃったもの」

最後にシンクの鼻の頭にキスを落として、アルメフィリアは機嫌よさげに笑っている。
先程のような嘲笑ではない、心底楽しそうな笑みだ。
恐怖を忘れたシンクが呆気に取られていると、アルメフィリアは笑みを浮かべたままシンクに顔を近づける。
あと少し動けば、唇と唇が触れてしまいそうなほどの至近距離。
近すぎる距離にシンクが顔を引こうとする前に、赤い瞳を愉悦に細めながらアルメフィリアは囁いた。

「ねぇシンク…私と契約する気は無い?」

「契約…?」

「そう。私は音と快楽を司る悪魔。音と元素で成り立つこのオールドラントに置いて私に不可能は無いに等しい。
私が貴方の願いを叶えましょう。だから、その願いを叶えた暁には貴方の魂と身体を…私にちょうだい?」

シンクの首にアルメフィリアの腕が絡みつく。
柔らかな身体をシンクに押し付けながらアルメフィリアは悪魔の囁きを続ける。

「どんな願いでも叶えてあげる。
世界を作り変える?世界中の人間をレプリカに摩り替える?世界の理を捻じ曲げる事だってできるわ。貴方がそれを望んで、私に身を捧げるというのであれば…」

甘く蕩けるような囁きにシンクの心は奪われかけていた。
鈴を転がすように可愛らしい声が毒となりシンクの全身に染み込んでいく。

シンクの願望、それは預言の消滅。
アルメフィリアの言葉が本当ならば、ヴァンに協力するよりも達成率は上がるだろう。
それが叶えられるのだ。シンクの身一つで。

「…どんな、願いでも…良いの?」

「えぇ、私に叶えられるのならば」

「…この世界から預言を消すとか、そんな願いは…?」

「預言…星の記憶を消すということ?別にやっても良いけど、星の記憶の消失は世界の消失と同意義よ。
アレはあらかじめ設定された時代の流れ、女神が紡ぐ抗いきれない運命の糸。

解りづらいかしら?
星の記憶を消すということは、星の一生を描いた本を燃やすのと同じこと」

アルメフィリアの言葉にシンクは眉根を寄せ、唇を噛み締める。
それは即ち預言の消失は叶わないということだ。
アルメフィリアはシンクの反応を見て目をぱちくりさせると、下からシンクの顔を覗きこむ。

「でも、預言の書き換えだったら可能よ」

「…え?」

「設定の強制的な上書き作業を施すの。
既にあるページを破り捨てて新しい内容を書いたページを貼り付けるのよ。
勿論多少面倒な手順を踏む必要はあるけれど、できない訳じゃあないわ。
人類は預言を捨てることになる未来を、貴方に見せることはできる」

シンクの手と足を拘束している闇がするすると消えていった。
しかしシンクはそれに気付くことなくアルメフィリアの瞳を凝視している。
曇りの無い純粋な闇に染まった瞳はどこまでもシンクを誘惑していた。

「…僕がそれを望んだら、アンタはそれを叶えてくれるってワケ?」

「駄目よ、アンタじゃなくて名前で呼んで?
シンクがその後、魂も身体も全部くれるって言うなら、叶えてあげる。
ただ作業が少し面倒だから協力してもらうこともあるでしょうけど」

「…全部あげたらどうなるのさ」

「私だけのものになるの。私だけのシンク。私だけの存在にして玩具。
恐らくこの世界を離れて私の支配する空間で暮らすことになるわ。
大丈夫、飽きたら苦しむことなく殺してあげるから…」

その答えにシンクの唇が震える。
シンクが視線をさ迷わせていると、アルメフィリアはシンクの頬に再度口付けてから最後の選択を迫った。

「貴方の願いは預言という存在の消失。
そして私は人間社会から預言というものを消失させ、貴方の願いを叶える事ができる。

さぁシンク、貴方に選択肢をあげる。
私との契約を望むならば、私を抱き寄せて口付けてちょうだいな」

アルメフィリアは期待に染まる瞳でシンクを見上げていた。
その瞳はシンクが契約を断るという未来など欠片も想像していないようだ。
シンクはアルメフィリアの瞳を長い間見つめ続けていたが、やがて手袋の嵌められた手がアルメフィリアの腰に添えられる。
そして不器用に抱きしめたかと思うと、アルメフィリアの唇にそっと自分の唇を重ねた。

それは契約が成立した瞬間であり、シンクがした始めての口付けだった。





契約の口付けを






JUNKにある音の悪魔シンクルートで契約シーン、でした。
JUNKに書いてある内容とちょっと変わってしまいましたが、享楽的な悪魔を書けて満足です。

補足すると、冒頭でシンク以外の人間が苦しみ死んでいったのは体から強制的に第一から第六音素を奪われ、音素枯渇状態に陥ったため。
シンクは第七音素のみでできているので、そもそも奪われる音素がない。故に悪魔の興味を引きました。

あとおでこをこっつんこしたのはシンクの記憶を読み取るためです。
何でもあり。それが音の悪魔←

悪魔の言う面倒な手順は、全ては彼女の掌の上で、でどうぞ。
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