ドーナツホール(ドーナツホール01)


「地殻振動停止作戦…ね。つまり、死んで来いってこと?」

「そうだな」

「……はっ、いいよ。あいつ等と心中してやるよ。でも……一個だけ、条件がある」

「ほう、どんな条件だ?」

「……暗示を一つ、かけてほしい。安いもんだろ?ヴァン」





【ドーナツホール】





アブソーブゲートへと向かう決戦前夜、イオンはケテルブルクのホテルで一人悩んでいた。
明日、皆は決着をつけるためにヴァンの元へと向かう。
アニスはイオンが悩んでいるのはその心配だと思い慰めたが、イオンは違うのだと首をふるばかりだ。

部屋に入りベッドに座り込んだ後も、その顔は物憂げで音叉を握り締めたままずっと俯いている。
どうしたものかと悩んだ末、アニスは仲間達に助けを求めることにした。

話を聞いたルークたちは、明日が決戦だというのにイオンの元に集まってきた。
イオンはそれに目を瞬かせながら、僕のせいですみませんと謝罪を述べる。
それに苦笑しつつ、口を開いたのはルークだった。

「イオン、何か悩み事があるなら言ってくれ。俺じゃあんまり力になれねぇかもしんねーけど…俺達、友達だろ?」

「ルーク…」

友達。
その言葉にイオンは泣きそうな顔を浮かべた後、そうですねと小さく同意する。
暫く瞳を閉じていたイオンだったが、開かれた萌黄色の瞳にはどこか決意が宿っているように見えた。

「皆さん、本来なら今話すべきことではなく、また僕一人が結論を出さなければいけないことだと思います。
それでも…聞いてくれますか?」

「当たり前だろ!」

「わたくし達で力になれるのなら、何でもおっしゃってくださいな」

「イオン様のお話を蔑ろにしたりなんてしません」

「ま、今更という感じですかね」

「そんなに遠慮しなくたって良いんだ。仲間なんだからな」

「そうですよぅ。イオン様、ささ、ずずいっと話しちゃってください!」

それぞれ思い思いのことを口にしているが、全員が話くらいならいくらでも聞くと言っている。
イオンはその事に安堵しつつ、少し紫がかった唇をゆっくりと開いた。

「実は…シンクのことを考えていたんです」

「シンク?」

「兄弟のようなものでしたから…悩んで当然ですわ」

「あ、いえ…すみません、少し言葉が足りませんでしたね」

シンクのこと自体を悩んでいると勘違いされ、言外にそうではないと告げるイオンに全員がクエスチョンマークを浮かべた。
そうでなければ一体なんだというのか。

「シンクの死を、どう伝えるべきか悩んでいたんです」

「どうって…誰に言うんだよ?」

「はい、シンクの恋人です」

きょとんとしたルークと、あっさりと言い切ったイオン。
沈黙が流れ、それを破ったのはルークの間抜けな声だった。

「…………はぁ!?」

「まぁ!」

絶句する全員と、口元に手をあてるナタリア。
ナタリアは恋人という単語に反応しただけな気もするが、あえて誰も口には出さない。
次に声を上げたのはアニスだった。

「な、何でイオン様がシンクの恋人を知ってるんですかぁ!?」

「アニスも知っている人ですよ」

「えぇ!?」

「ルビアです。元導師守護役の」

「はぅあ!?ルビアが!?」

くすくすと笑うイオンと、驚愕の声を上げるアニス。
他の面々はそのルビアと言う女性を知らないので、口を挟むことができない。
その気持ちを代弁するかのように、今度はティアが口を開いた。

「イオン様、そのルビアと言う女性は一体…?」

「以前、僕の守護役をしていてくれた女性です。有能で、穏やかな気性の持ち主でした」

「いっつも微笑んでてねー、ちょーっと真面目すぎて融通が利かないとこがあったけど、まさかシンクと付き合ってたなんて…意外すぎる」

「そのせいでしょうね。ルビアは僕がレプリカであることを知っていました。
だからルビアの前では、僕は導師としてではなく一人のイオンとして過ごせた…それは、とても穏やかな時間でした」

そう言って瞳を閉じるイオン。
そのルビアという女性を思い出しているのだろうと全員が口を噤む。
アニスは少しだけ悲しそうな顔をしたあと、かぶりを振っていつもの顔を作る。

「イオン様ってば、だからルビアと二人で過ごしてたんですね!」

「はい。彼女はアニスが休みの時はいつも着いて貰ってました。彼女には恩があります。
ルビアを傷つけたくないと思う反面、黙っていればそれは裏切りになってしまうでしょう。
…僕は彼女に対してシンクの死をどう伝えるか、いつ伝えるか、むしろ本当に伝えられるのか、未だに答えが出ないんです」

話が戻り、イオンはそのまま俯いてしまった。
静寂が部屋の中を包む。
すぐに答えを出せる問題でもなく、またシンクと戦闘をした彼らにとっては人一倍難しい問題だった。
無言になってしまった面々を見て、イオンは小さく苦笑をする。

「…やはり、困らせてしまいましたね。すみません。
彼女に恨まれていると思うと怖くて…でも話せて少しすっきりしました。
聞いて下さってありがとうございます」

「何言ってるんですか!ルビアがイオン様を恨んだりなんてしませんよぅ!」

「いえ、恐らく恨んでいると思います。事実、彼女は教団を出て行ってしまったそうですから」

「え?あ、本当に伝えられるのか…って、そういう…」

「はい、自ら辞職したそうです」

ルークの呟きに頷きながら答えるイオン。
何を想像したのかアニスの顔がサッと青ざめ、ジェイドが目ざとくそれを見つける。

「アニス?」

「大佐…も、もしですよ!?もしルビアがイオン様を恨んでたりしたら…!」

「そんなことないって言ったのはアニスじゃない」

「そうだけどぉ!もしルビアが…」

ティアの言葉に不安げに答えたアニスがそこで言葉を切る。
イオンはそんなアニスに苦笑をしつつ言葉を継いだ。

「もしルビアが僕を恨んでいたら、出会い頭インディグネイションでしょうね」

「うわああぁぁぁああ、言わないで下さいイオン様ああぁ!」

頭を抱え、ぶるぶる震えながら半泣きになるアニス。何かトラウマでもあるのだろう。
他の面々は出会い頭に秘奥義をかます導師守護役を想像したらしい。
何人かはぶるっと身体を震わせて自らを抱きしめている。

「その、ルビアという子はそんなに強いのかい?」

「強いんじゃないの!むしろ最強だよ!プリズムソードやフレアトーネードを無詠唱で発動させる人なんて私ルビアしか知らないもん!」

パニックになって敬語を忘れたアニスの言葉にガイが頬を引きつらせる。
唯一引いていないジェイドも、流石に私もソコまではできませんねぇと呑気に呟いている。

「しかし、だからといって伝えないわけにはいきません。
僕はシンクの兄弟ですから…」

「イオン様…でもでも!ご自身の身体を一番に考えてください!ルビアならイオン様を攻撃するとは思えませんけど、それでもです!」

「ありがとう、アニス」

顔を青くしながらも詰め寄らんばかりにルビアに気をつけろというアニスに、イオンはにこにこと礼を言う。
いつも通りのイオン節に若干下がっていた部屋の温度が上昇した気がしたが、ルークの一言で気温はまた下がるハメになった。

「あのさ、一番恨みを買うのって…直前まで闘ってた俺達なんじゃ…」

「そうなりますねぇ。自ら地殻に落ちたとはいえ、やはり私達が一番恨まれやすいでしょう」

ルークの言葉にアニス、ティア、ガイが固まったというのに、ジェイドが更に追撃をかける。
ナタリアは話せば解ってくださいますわ!と力んでいるが、そもそも恨んでいる人間が此方の言い分など聞いてくれるのかというのがティアたちの感想だ。
石化してしまった三人に、イオンは恐る恐る声をかけた。

「あ、あの…まだルビアが僕等を恨んでいると決まった訳じゃありませんから…」

「そういうことです。飽くまでも仮定の話ですよ」

その言葉に三人の石化が解けた。
アニスが心臓に悪すぎる!と喚いているが、イオンは最早苦笑するしかできない。

「やはり、穏便に話せるよう努力するしかなさそうですね」

「それが一番でしょう。恋人で素顔も知っているとなったらイオン様が慰めるのは逆効果かもしれませんが…まぁ軍人に死は付き物です。
聞けばかなり優秀な人物のようですし、そこまで取り乱さないことを祈るばかりですね」

ジェイドの言葉にイオンは力無く頷いた。
ジェイドの言うとおり、神託の盾騎士団も軍である。
ルビアとて覚悟はあるだろうが、それでも恋人となれば別格だろう。
最悪ののしられ、手を上げられることも覚悟した方が良いだろうとイオンは考えていた。

その後解散した彼等だったが、まさか思わなかっただろう。
最強伝説を教えられた張本人に、翌朝になって出会うことになるなんて。


前へ | 次へ
ALICE+