参謀総長のご飯事情(至福の一杯)


ふむ、と一人ごちる。今の僕は面倒なことこの上ない接待という時間を浪費するだけの無駄な仕事を終わらせたばかり。
いつもならば多大な寄付金を落としてくれる馬鹿な信者達の話を聞いてうんざりとしている所だが、今日の相手――グレイ伯爵だったか――はそこまでしつこい相手ではないために少しだけ気力に余裕があった。
ささっと話してささっと帰る姿勢は素晴らしい。あの鬱陶しいモースもこれだけのスピードを身に着ければ、あのでっぷりとしたお腹も少しはスリムになるだろうに。

腕を組んだまま、テーブルの上に置かれた伯爵の置き土産をちらりと見る。
要点だけを簡潔に纏めてさくさくと話を進めた辺りで伯爵の有能さは十分に解った。
その伯爵がお勧めだといって置いていった土産がセントビナー産紅茶特選十二種類セット〜ファーストフラッシュ編〜だ。
ファーストフラッシュという意味の解らない単語はともかくとしてアレだけさくさくした人間が会話の一部で熱心にお勧めしてきたものだ。
紅茶など喉を潤すものという認識しかなかったが、一度くらい飲んでおくべきなのだろう。

別に僕が飲みたいのではなく、これからもグレイ伯爵とより良い関係を維持していくためにも一度くらい口にしておくべきだ、という観点からである。
そう言えば以前の紅茶は如何でしたか。ああ、あれですか、流石はセントビナー産ですね、後味がすっきりとした良いお茶でした。
そんな会話ができる程度にしておかないといけないのである。面倒。やはり接待は時間を浪費するだけの無駄な仕事だ。

ため息をついてから紅茶の缶のセットらしいそれを検分してみる。毒などの異物混入の形跡はなし。
中を改めてみれば初心者向けの紅茶セットらしく、美味しい紅茶の淹れ方、なんて小冊子までついていた。
ちょうどいい。これの通りにすればいいんだろう。話題の一つにもなるし、これで不味かったら自分には才能がないようです、なんてお茶を濁すこともできるだろう。お茶だけに。
時計を見れば多少時間も余っていたため、早速プライベートスペースのほうへと足を運んで半ばインテリアと化していた食器棚の上のほうに手を伸ばす。
普段は全く使わない……というか前任者が置いていったものがそのままにされていたスペースに、白磁のティーポットが置いてあったことを思い出したからだ。

小冊子を片手に道具が揃っていることを確認する。時間を計る砂時計にティーポット、ティーカップ、ソーサー、ティーコジー、ティースプーンにそれから茶漉し(目の細かい奴)。
まず片手鍋でたっぷりの水を入れ、沸騰させる。その待ち時間に長いこと使われていなかった茶器を軽く洗っておき、沸騰する前にお湯を少し貰い、ティーポットにさっと流しいれてポットを温める。
正直この一手間が面倒くさいと思うが、グレイ伯爵は紅茶通だと聞く。一度くらいは小冊子通りきっちりとした淹れ方をしておくべきだろう。

温まったティーポットに茶葉を入れる。自分一人しか飲まないので、茶葉は少なめ。大体ティースプーン一〜二杯ほど。
そしてそこに沸騰したお湯を高い位置から勢いよく注ぐ。注ぎ口から蒸気が立ち昇る中、すぐに蓋を閉めた。うまくいけば中でジャンピングとか言う現象が起こっているはずだ。
更に密封度を高めるためにティーコジーを素早く被せ、砂時計をひっくり返す。それから残ったお湯でティーカップも温めておき、砂時計の砂がきっちり落ちきったところでティーコジーを外した。
途端に開放された蒸気がふわりと舞い上がり、同時に先ほどは感じなかった紅茶特有の良い香りが鼻腔を擽る。というか、紅茶を良い香りだと思ったのはこれが初めてかもしれない。
理由の解らない胸の高鳴りを感じながら、ティースプーンを手に取り、ポットの中をくるりと一混ぜ。一人分のお湯しか注いでいない中身を温めておいたティーカップに注ぐ。
茶漉し越しになみなみと注がれるお湯は先ほどとは違って紅茶の色がついている。浅めの白磁のティーカップに満たされたその液体は、何故か僕をひきつける。
最後の一滴、ゴールデンドロップと言われるそれもきちんとカップに落としたところでふいに先日のことを思い出した。

「そう言えばリグレットから茶請けにでもしろってクッキー貰ってたっけ……」

確かマルクトのいいところの焼き菓子で、ダアトでは滅多に食べられない良い物だとか。
ちらりと時計を見る。少し予定をずらして休憩としゃれ込んでも問題ないと判断して、急いで小さな缶に入ったクッキーを引っ張り出した。
多分、こんな機会がなければ棚の中で腐ってしまっただろう。

缶の中に綺麗に並べられたクッキーと綺麗な色をした紅茶をローテーブルに並べる。見目が良い。
美味しいものはそれに見合う程度に美しくあるべきであるという誰かの格言を思い出した。

すん、と鼻を鳴らして香りを楽しむ。紅茶の良い香り……そう、良い香りだ。団員に淹れさせた安っぽい紅茶ではなくて、セントビナー産のちゃんとした紅茶の香りを楽しむ。
手袋を外し、少し迷ってから温かなティーカップを手に取り、唇をつける。上品な香りと言うのか、口の中いっぱいに香りが広がると言う感覚を僕は生まれて初めて知った。
舌の上を滑っていくのはほんの僅かな甘みと紅茶本来の味わい。喉を鳴らして飲み込んだ後のあと味はすっきりとしていて、微かな渋みすら味を引き立てるためのものだと解る。

「…………美味しい」

気付けばポツリと感想が漏れていた。目を真ん丸に開いている自覚があった。
喉を潤すために飲んでいた今までの紅茶もどきと違う。これが紅茶。今まで僕が飲んでいたのは紅茶の名を語る別の何かだったのかもしれない。
しかしすぐに違うと自分の思考を否定した。格が違うのだ。神託の盾の兵士もピンからキリまでいるように、紅茶もまたピンキリ。
今僕が飲んだものは上質で、まさしく香りを楽しむためのものだったのだと、本物の紅茶だったのだと思い直す。

再度口をつけたくなったが、視界にちらりと入った店名のロゴの入ったクッキー缶の蓋に、そう言えばお茶請けがあったのだと思い出した。
一度ソーサーにカップを置き、まずは一番シンプルな市松模様のクッキーに手を伸ばす。これもまた、上質な部類に入るお菓子。
いつも食堂でおまけについてくるクッキーと同じだろうと放置していたが、もしかしたらと恐る恐る口に入れた。

白とこげ茶色で構成された、掌に収まる程度のそれに歯を立てる。さくりと音を立ててあっさりと崩れた途端、ココアの甘みとほのかなミルクの風味が口いっぱいに広がった。
違う。全然違う。今まで食べていたクッキーと同列に語るのが失礼なレベルだ。噛むたびにさくりさくりと砕けていき、焼き菓子特有の甘さを堪能しながら舌鼓を打つ。
しかしいつまでも堪能していたかったがそういうわけにもいかず、ごくんと飲み込んだ僕は物足りなさすら感じた。
問題はどうしても焼き菓子は口の中が乾くということだ。再度紅茶のカップを手に取り、口をつける。クッキーの甘さが残る口内では先ほどのように紅茶の甘みを感じることはできなかった。
むしろ渋みが引き立つといっていい。されどごくりと飲み込んだ後には口内の甘さは一掃されている。
このさっぱりとした口で他のクッキーに手を伸ばせば、先ほどの市松模様のクッキーと味が混ざることなく、そのクッキー本来の味が楽しめるのがすぐに解った。

「うま……」

次に手を伸ばしたのはバタークッキーだ。口元に近づけば強く香るバターの匂い。
口に含めば濃厚なバターの味に口元が緩み、歯を立てれば立てるほどこれまた今までのクッキーの概念を壊していく。
ほろほろと壊れていく塊はよほど良い材料が使われているに違いない。乳製品をたっぷりと使ったその焼き菓子の後に再度紅茶を楽しめば、むしろ渋みすら美味しく感じる。
気付けばティーカップはあっという間に空になり、僕は生まれて初めて紅茶をおかわりするために迷うことなく席を立った。

いっそ二人分ほど淹れてしまおうか。いやいや、覚めた紅茶がこれほど美味しいかどうか解らない。
確か沸騰したお湯をある程度の温度でキープしておく譜業──確か譜業ポットとか言う奴──があった筈。
使わないからとしまいこんでしまったが、毎度お湯を沸かす手間を考えればそれを引っ張り出すことを考える。
いやいや、しかし小冊子には空気を含ん水を使うことでジャンピング現象が起こり、美味しい紅茶が淹れられると書いてあった。
ということは手間はかかるが毎回お湯を沸騰させなければこの美味しい紅茶にはありつけないということだ。

ティーポットを洗いながら、目の前にある小さな棚に貰った茶葉の缶を並べて次に飲むべき紅茶を選ぶ。
そして紅茶の缶に並べられた一文にふいに目を取られた。

『至高の一杯を貴方に』

その一文になるほどと思った。確かに、あの一杯は至高と言うに相応しいのだろう。
だってたった一杯で、僕の食に対する概念を塗り替えられてしまったのだから。
そう納得しながら、僕は片手鍋に水をたっぷりと入れて新たにお湯を沸かすのだった。


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