「上白石副隊長!確認良いですか?」
「ん、なに?」

 隊の医工騎士が駆け寄ってきて書類を見せられる。その対応の方が最優先なのでそちらに集中する。

「んー、追加発注は少なめで良いよ。時間かかるし、届く頃には正直遅いしね。それまでは在庫ある他の薬草で代用しよう。手続き頼んで大丈夫?」
「はい、大丈夫です!」

 若い男の医工騎士だった。彼を見送ると背後から再び私を呼ぶ声がして、彼と話をしている間に忘れていたことを思い出した。

「はいはい、上白石糸ですよっと。久しぶりだね、志摩 蝮ちゃん」
「おま…副隊長って」
「どうもこうも、不浄王の件で増援部隊寄越すことになって、半強制的に任された。というワケで私は死ぬほど忙しいの。しばらくしたら様子見と囀石消しに来るから、それまではマジで大人しくしててよね?」

 余計な仕事増やしやがって、面倒くさい。なんてこぼしながら後頭部をガシガシ掻く。あの頃より少し伸びた髪の毛が邪魔っくさかった。
 志摩廉造のお兄さん、志摩柔造と私は同級生だ。蝮ちゃんは二つ学年が下だから私たちが三年生の時入学してきた。三人で同じ学校に通っていた時期があった訳だ。もう随分前の話になるが。ちなみに私と志摩は当時お付き合いをしていた。卒業すると同時に進路が違ったし自然消滅して、以降顔を合わせるなんてとんでもないし、連絡すらもしていなかった。
 塾講師になってなんだかんだ思ったのは志摩廉造の顔と、京都弁と、志摩の名字 これらを見て元カレの弟じゃん、しかも煩いしバレたら面倒くさいやつじゃん。等々、それなりに酷い内容だった。初対面で年齢やら彼氏の有無
を堂白昼々聞いてくるようなタイプなのだし、そう思っても無理はないと私は思っている。
 しばらく処置をして回っていると、廊下に見慣れた入れ墨をした男性を見かけた。

「あ、えーっと。宝生の方でいらっしゃいますか?」
「増援部隊の方やな。私が宝生蟒です。深部のことは報告書上げさせてもらいましたが、まだなにか?」
「いえ、申し遅れましたが私は上白石糸、今回増援部隊の副隊長をさせてもらってます。高校時代蝮ちゃんとは仲良くさせてもらったので。蝮ちゃんのお父上でしょう?」
「蝮がお世話になったようで…。あの子は人付き合いの下手な子やから…」
「否定はしませんよ。あ、そうでした。ご報告がありまして」

 「蝮ちゃんと志摩が喧嘩してたので今囀石の刑に処してます。一応説教もしましたけど、そう言うのが下手な性分なので、後のことはお任せしても良いでしょうか?」私がそう言えば、蟒さんは目元を手で覆って、「ほんまにすまんかった…」とこぼす。心中お察しします。囀石はそのまま祓魔して頂いて結構ですので。と軽やかに微笑を浮かべ仕事に戻る。
 私は白衣をなびかせて颯爽と布団の合間を縫って行く。薬草の世話をしないと刈り尽くしてしまうことに気がついて、とりあえず様子見だけでもしようと庭園の方へ足を向ける。夏のギラギラした晴れ模様なので、縁側は開け放たれてとても開放的だ。ここならタバコを吸っても良いだろうか、と思い至ったら吸いたくて溜まらなくなった。白衣のポケットに手を入れタバコを取り出し、ジッポに火を灯そうとした時、真横の襖がバッと開いて私は中に引き込まれた。

「俺 待っとたんやけど」
「蟒さんが行ったでしょう?私だって忙しいのよ」

 私は真新しい室内でタバコを吸う訳にも行かず、タバコを唇に挟んだまま、手持ち無沙汰にジッポの蓋を開け閉めした。志摩も私の吸いたい欲求とイラつきに気付いている筈なのに、それを無視して恋人のような近さで口を開く。

「なあ…」
「ちょ、近いって」

 「先生がこんな所でこんなことしてるって候補生たちに知られたら死ねる」とこぼせば、彼は少しきょとんとした後に「先生になったんか?」と疑問を素直に口にする。それが何だか恥ずかしくて、私は何にキレているのか自分でも分からないが「そうだよ!?可笑しいでしょう!?笑えば!?」と言い放つ。本当に私は何にこんなにイライラしているのだろう。
 タバコが吸えないだけじゃない。志摩とはもう別れてお互い別々の道を選び進んだのに、またこうして出会って近づいているのが許せないのだろう。こうも否定するのは未練の現れとういう事に気がついた私は思わず口籠る。志摩と別れた原因はどちらかが好きではなくなったとか、他に相手が出来たからではない。物理的な距離と忙しさが精神的な距離を生み、自然消滅を互いに悟った。自然消滅でも良かったのだが、後味は悪くなる。すっぱり別れて関係をリセットした方が次に進みやすかろうと思って私が別れを切り出したのだ。志摩も『わかった』の一言でそれに応じた。

「俺はまだ糸に未練あるで」
「やり直したいってこと?」

 後ろから抱きしめて、私の肩口に顔を埋める志摩がもぞもぞした。これは肯定の意なのだろう。私は分かりやすく「うーん」と唸って考える。志摩への未練があることはさっき知ったばかりだ。それが執着なのか情なのか、彼への愛なのか。私にははかりかねる。

「正直志摩と別れた後も他に男作ったし、気持ちがあるか微妙」
「それでもええ」
「…そういうの自分は嫌いなくせに。自分勝手だね」

 「私、仕事あるから。病人は寝てなさい」と言い残して私は去る。腕はそんなに力が入っていなかったのか簡単に振りほどけた。離れても彼は追いかける素振りを見せない。何となく彼の表情が見れなくて障子を後ろ手に閉めてすぐに部屋の傍から立ち去る。
 何なんだ、何なんだ、何なんだ。ジッポで煙草に火をつけ、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。紫煙とともにため息をこぼせば、虚しさが広がった。最近人肌に触れていないからだろうか。そう考えると恋しくなってきた。けれど今はそういう暇などない。糸は感情や欲求をコントロールできない子供ではない。
 まだ吸える長さの煙草を携帯灰皿に落とす。煙草を持たなくなった右手で、首筋から髪の毛に手を差し入れてくしゃりとすれば、自然と頭が回りだす。魔障者を治すことに専念しなくては。

あとがき

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