月が綺麗ですね


黒子くんの一言で、青峰くんのいる桐皇学園相手に、誠凛は誰一人諦めず全員が最後まで闘った。
それでも点差は開き続けた。
私は、涙も出なかった。
その日、誠凛は
それほど圧倒的に負けた――――


試合が終わった瞬間の5人の選手は、いつもよりも汗をかき、息も上がり、うちの選手たちは初めて見る表情をしていた。それは、カントクと並んで座るベンチから見ても明らかだった。
対して勝利を収めた桐皇学園からは、歓喜の声が上がっていた。112対55。
涙なんて出なかったというよりも、プレイしてもない私が泣くわけに行かなかった。自分のほうがどうにかなりそうなのに、日向先輩達なら泣いてる私を、きっと慰めようとしてくれるはずだから。そんなようではダメなのだ。私は、マネージャーとしてベンチに帰ってきた選手達に、私がしてあげられるくらいでなきゃ。
それくらい。マネージャーの私でもこんな気持ちになるくらいなのだ。選手である彼らのほうがずっと……

私は黒子くんへ想いを寄せていた。練習中や、試合のプレー、教室や普段の黒子くんを見ているうちに、惹かれて行った。だから寄り添いたい。黒子くんのためになることをしたい。

選手達がベンチに戻ってくる。そうしたら、高校に上がって、普段から一緒に過ごすことの多い黒子くんは、友だちである私に視線を向けてくるだろう。
私は黒子くんに、気持ちを伝えるつもりはない。万が一、私の片想いが迷惑になってしまったら。バスケをがんばっている黒子くんの、負担になってしまったらと思うと。想いを悟られるわけには行かない。だから
……リコ先輩。
こういう時のマネージャーとしての私は、どんなカオをして選手を迎えたらいいのですか。
コートに立っておらず私と隣でベンチに居るとは言っても、カントクだって選手と同じ気持ちのはずだから聞けない。けど、同性である隣のリコ先輩の横顔を見つめる。

そんな心配はよそに、私は選手たちの邪魔になるようなことはせず、タオルを手渡すことができた。

「………………………」

帰り道は、口を開ける者は誰一人いなかった。駅に着くまで皆から離れて一番後ろで歩くカントクが、一番見る影もなかった。私は、自分がどう振る舞うべきなのかまた迷うのだった。

「………………………」
「………………………」

見る限りカラ元気なカントクが解散をかけ皆と別れると、帰る方向が同じ黒子くんと電車を待った。電車の入り口付近でラッシュの人ごみの中を詰めて立ち、なだれのなか、いつも通りに私の最寄り駅で二人で一緒に降りてくれる黒子くん。黒子くんは黙っているし、私も終始無言だった。選手である黒子くんの気持ちを思ったら、私が取るべき行動の答えはわからないけれど、私は黙っている選択肢しか思いつかなかった。私は、弱い。こういう時、下手なこと言って嫌われたくない。そうも思ったんだと思う。
ただ、それでも。いつも家まで送ってくれようとする黒子くんにこんな時なのに、好きだなあなんて思ってしまった私は自分を恥ずかしい人間だって思った。だからこそ。好きだから。こんな時の黒子くんがいつも通りになれる言葉を考えてしまう。気持ちを伝えるつもりはないなんて言っても、やっぱり嫌われたくはないんだなあ……私。黒子くんと行きつけの、バニラシェイクを飲みに立ち寄るお店の前にさしかかる。
…今日は、帰ろうか。
ううん、今日、なんて言えば、試合のことに間接的に触れるのでは?どうしたら良いんだろう?寄る?いっそいつも通りお店に入って行ってしまおうか。どうしよう。答えが分からない。私は……気を使えなさすぎる。
考えている間に、マジバは目前に迫っていた。正解がわからなくて、黒子くんの意向に沿おうと少し歩く速度を落とし、黒子くんの少し後ろをついて行くことに私は落ち着く。結局、こんな答えしか導き出せない自分に、ガッカリする。

「……もしかして気を遣わせてますか?」

頭一つ分身長が違う黒子くんが振り向いて、じっ、と真っ直ぐに見つめられた。

「あ……」

どうしよう。なんて答えれば正解なの?言葉を探して、目が泳ぐのを自覚した。すると、黒子くんがクス、っと小さく笑った。

「いろいろ考えてくれたようですね。では、バニラシェイク飲みましょう」

黒子くんの言葉に思わず、ほっとうれしそうな顔をしてしまう。結局二人でお店の中に入ると、バニラシェイクを2つ、今日はテイクアウトして店を出た。

「すいれんさん、すみません。少し付き合ってもらえませんか」
「うん」

今黒子くんの為に私ができることは、黙って隣に居ることや、話を聞いてあげること……だと思うから。

「外で飲むバニラシェイク、どうですか?美味しいでしょう?」

バニラシェイクに夢中のようで暫く無言で飲んでいた黒子くんが、突然明るい口調……ううん、いつもの調子で言った。

「うん!美味しい。ご馳走してくれてありがとう、黒子くん」

自然と言葉に出た。良かった、普段通りの二人の雰囲気だ。

「それなら良かったです。僕なりのお礼です」
「お礼?」

隣を歩く、頭一つ分上にある黒子くんの横顔を見上げる。黒子くんについて来たけど、いつもと違う道を歩いていることに今更ながら気付く。
黒子くんは私を見て微笑むと、視線を進行方向へ戻し、手を広げた。

「見てください」
「え……わあ〜綺麗…!」

満点の空に輝く星々。いつの間にか街の夜景が見渡せるくらい少し開けた高台まで来ていた。

「喜んでもらえましたか?」
「うん……!こんな綺麗な星空を見たのは初めて!連れて来てくれてありがとう、黒子くん」

私は夜空の星々にくぎ付けになる。

「僕の秘密の場所です。すいれんさんに、特別に教えてあげます」

澄んだ黒子くんの声を聴きながら、眼前に広がる星空。なんて、美しいんだろう。夜の澄んだ初夏の空気。隣には、大好きな人。

「気に入ってもらえて嬉しいです。すいれんさんに」

黒子くんの声に、私は自然と笑みがこぼれる。

「月が、綺麗ですね」

黒子くんの言葉に思わず空を見上げる。月なんて出てないことを確認して、黒子くんに目を戻す。かろうじて見える黒子くんの真っ直ぐな私を見つめる目に少し紅潮した頬。

「……!」

読書好きの黒子くん。これは、夏目漱石だ。告白の言葉。

「……月って、」

涙が出そうになる。

「本当はクレーターでボコボコしてるんだよ…?(私、よく見るとちっとも綺麗じゃないんだよ?)」

黒子くんは直ぐに嬉しそうにフフ、と笑った。

「それでも僕にとって月は綺麗です(それでも君を愛していますよ)」
「ありがとう……黒子くん。私、死んでもいい」

文学男子の黒子くんは、夏目漱石の「月が綺麗ですね(I love you)」を二度も引用して思いを伝え、黒子くんに釣り合うよう、文学女子として私は月の揶揄で返すために、二葉亭四迷の「死んでもいいわ(I love you too)」で締める。

「すいれんさん。僕はすいれんさんが好きです。僕と付き合ってください」

まっすぐな、やわらかな眼差しで見つめてくれる黒子くんに、私が「はい」って応えたら、抱きしめられた。

「黒子くん……」
「どうしましょう……すいれんさん。僕いま嬉しすぎます。すいれんさんが愛しくて愛しくてたまりません」

私の肩に顔を埋め、さらにぎゅう、と抱きしめられる。黒子くんの背中に腕を回し胸板に顔を埋める。息を吸い込むと、黒子くんの匂い。
私たちは、星降る夜に、ファーストキスをした。

帰り道は手を繋いで歩いた。楽しい時間はあっという間で、すぐに私の家についてしまう。

「まさか、夏目漱石に二葉亭四迷で返してくれるなんて思いもしませんでした」
「ふふ…私も、このやり取りを黒子くんとできてうれしい」

抱擁し合う若い二人。夜になって少し肌寒い空気に、黒子くんの体温が心地良かった。