誰にだって、何をやっても上手くいかない日くらいある。
俺にだって。あいつにだって。
そう。
こいつにだって。
「なぁ」
「あー?」
「珈琲淹れるけど飲むか」
「……おー」
キューブのリビング。
ソファでごろんと横になりながら台本とにらめっこをしているのは陣だ。
俺はそんな陣をダイニングから眺めながら、一人で珈琲を飲むわけにもいくまいと声をかけた。
志朗と湊は海外ロケで帰りは明日。
瑞樹はまだバラエティ番組の収録から帰らない。時計の針は深夜0時をとっくに過ぎている。
「………」
「………」
テレビに出ているくせにテレビが嫌いな俺と陣は、どちらも互いにリビングにあるテレビをつけようとしない。
沈黙が流れる。
よくある光景。慣れたもんだ。
「陣。取りに来い」
「おー…」
マグをテーブルに置くと、のそりと陣が起き上がった。
その表情が冴えないのを見て、俺は苦笑いする。すると、それを見てとった陣が、ムッとしたように顔をしかめる。
「なんだよ」
「いや。やけに不機嫌だな、と思って」
「………」
陣がドラマの台本を人前で読むなんてのは珍しいことだ。
しかもとんでもないほど仏頂面で。
気に触る事でもあったのだろうかと勘繰るが、本人が言い出すまではと、俺はマグに口をつけて陣の言葉を待った。
「アイドル風情が主演したところで数字なんか取れるわけない、だとさ」
「……くだらない」
「それなりに現場の空気上手く作れてたと思ってたところにこれだ。カチーンときちまったっつーより、ショック受けちまって。…誰が言ったか、名前、知りてぇか?」
「いや、いい」
珈琲が不味くなる。
そう付け加えると、陣は「間違いねぇ」とようやく笑った。
猫舌の陣は、珈琲を冷ますようにマグの淵に少しだけ息を吹きかける。
「上手くいかねぇな。そう簡単には」
「まぁな。なにせ俺たちはアイドル風情だからな」
「結構身も心もガンガン削ってやってるつもりなんだけどなぁ」
「でも周りの奴らにそれを悟らせないのも俺たちの仕事だろう?」
「……世知辛ぇ」
うなだれる陣が一口、珈琲をすする。
あちっ、とすぐさま舌を出した陣に、俺は少しだけ笑った。
こういう日もある。
「ただいまー……」
「おー、瑞樹ー」
「おかえり」
玄関から足音が聞こえてきたとほぼ同時に、瑞樹の声がした。
鞄をリビングのソファに置いてこちらへ歩み寄る瑞樹の表情も、どこか疲れている。
「お疲れ。今日の収録長かったな」
「本当に面倒だよ。話進めようとしてるのに空気読まないタレントがいて…まだそういうのの扱いが下手だ、僕は」
深いため息と共に、瑞樹がダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。
上手くいかない日なんて、誰にでもある。
俺は陣と顔を見合わせて、肩を竦めて笑った。
「瑞樹にも珈琲淹れようと思ったけど、やめにするか、陣」
「だな。うるせーのもいねぇんだ、たまには3人で飲むか」
「…何、いきなり。どういう風の吹き回し?」
「誰にだって上手くいかねぇ日くらいあるっつーこと。な、亮介」
「まぁ、そういうことだ」
俺は陣の飲みかけの珈琲を受け取ると、キッチンのシンクにそれを置いた。しゃがみこんで、床下の収納に隠しておいた缶ビールを取り出して、それぞれ陣と瑞樹に渡す。志朗に見つかった日には、ビールなんて根こそぎ飲まれてしまう。
「3人で飲むなんて初めてじゃない?」
「それだけオトナになったってこった」
「お前は大人になる前から飲み歩いてたけどな」
「うるせぇよ!ホラ、開けろお前ら!」
缶ビールの栓を開ける。
「オツカレ!」
「お疲れ様」
「お疲れ」
こうして、3人だけの晩酌が始まった。
誰にだってある、上手くいかなかった1日。
くたびれきった1日。
俺たちはこうして1日1日、身を寄せ合って、乗り越えていくんだろう。
こんな日もあるよな、と。
互いに笑い合いながら。
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