本日のノルマがようやく終わった。
審神者としての事務仕事は必要不可欠だが、こうして夜遅くまでかかってしまうのはあまりいいことではない。私の要領が悪いせいなので致し方ないのだけど。

喉が渇いた。お茶が欲しい。いや、お茶でなくてもいい。飲み物が欲しい。
肩をほぐして立ち上がり障子を開けると、「おや」と聞きなれた声が響いた。そちらを向いてみれば、湯呑を乗せたお盆を持った歌仙がいた。



「仕事は終了かい?」
「うん、今終わったところ」
「それはちょうどよかった。おひとつ如何かな?」
「ありがたくもらいます」



できた近侍だ。歌仙から湯呑を受け取り、部屋へは入らずそのまま縁側へ腰かける。せっかく仕事が終わって部屋を出たのに、すぐに戻るなんて癪だ。寝る前に気分をすっきりさせるためにも。

隣に歌仙も座ってくれる。落ち着く。歌仙が隣にいてくれるのは、とても安心できる。
彼が初期刀だからか、もともと頼りがいのある人柄を有しているからか。

少し曇っていた空は部屋にこもっている間に晴れていたようで、煌々と月が照っている。
ふと、そこでとあることを思い出した。文系の歌仙に話すにはもってこいのことだ。



「歌仙、ちょっと私の豆知識を聞いて」
「ん?」
「昔ね、…あ、歌仙にとっては未来かな?」



私にとっての昔のことなので、私よりもはるか前に生まれた歌仙には未来のことだろう。しかしながら、こうして自分が生きている今の年代を考えるとやはり昔のことなので、昔でいいかと自己完結して話を進めることにする。



「I love youって言葉を知ってる?」
「外国の言葉かい?陸奥守のように西洋のことには精通していないから、残念ながら」
「そっか、まぁ知らなくても大丈夫だから気にしないで。その言葉はね、日本語で言うと“私はあなたを愛しています”っていう意味なの」
「…へぇ」



お茶を一口飲んで、話を再開する。



「でも昔の時代では、日本人はそんな風に直球に言ったりはしないじゃない?」
「そうだね。言うとしても、もっと風流な表現をするだろうね」



昔と言わず、今の日本人だって大概奥手なので、そこまでの直球で“愛している”と言える人は少ないだろう。歌仙の言うようにもっと風流で、遠回しに言うのが日本人の性という奴だから仕方がないのかもしれないけれど。



「そこで、ある人がI love youを訳すときに愛しているじゃなく“月が綺麗ですね”という言葉に訳したんだって」
「月、か。なるほど、雅な表現だ」



顎に手を当てて、歌仙は感心したように頷く。

それを言ったとされる作家はとても有名だ。でも、それは逸話かもしくは後世の創作だという説もあるので、本当にその人がそう言ったのかは定かではないという。
でも例え逸話であれ、後世にこうして知る人が多いのだから、誰かが“月が綺麗ですね”と言い始めたことは本当なのだ。火のない所に煙は立たない。



「雅な豆知識だったでしょう?」
「ああ、いい話を聞かせてもらったよ」
「でも“愛している”が“月が綺麗ですね”の表現になるのが随分独創的だなって思う」
「そうかい?僕は的を射た表現だと思うけれどね」



それは歌仙が自称文系だからではないのだろうか。
私も別段理系なわけではないけれど、感性が鋭くないせいかこの表現は少々理解しがたいのだ。



「月は人の目を引き付ける」



見たくないのなら見なければいいが、見たいという気持ちが少しでもあるから月に目が行くんだろう?尚且つ好きならばずっと見ていられる。美しく綺麗だとも思う。それを言った人物がたまたま月に準えただけで、愛しているものに心が惹かれて止まないのは当然だ。

そこまで言った歌仙の髪がふわりと揺れる。



「だから、あながち間違いではないんじゃないのかい?」
「あー…なるほど。うん、すごくわかりやすかった」



そう言われると確かにと思える。文系を名乗る歌仙が言うのだから、説得力が増している。

歌仙の言ったことが正しい解釈かどうかは知らない。別に無理してその意訳に答えを付ける必要もない。でも今は会話の流れとして、この意訳に答えとして置いておくことにしよう。



「歌仙のおかげでひとつ賢くなった気分」
「僕も、主のおかげで知識がひとつ増えたよ」



お互いに良い方向へ転んだのならそれ以上のことはない。内容的にも歌仙にはぴったりだっただろう。
一つの話題を片付けたので、そろそろ寝ようかと残っていたお茶を飲み干す。



「ところで主、」
「なに?」



今夜は、月が綺麗だね。



それがさも当然と言うように。
歌仙はとても穏やかに笑っているので、言葉の意味はおろか、言葉そのものを耳が聞き取るのに時間がかかった。



(はいそうですねと同意するのは、この場合間違っているのだろうか)




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