長谷部はキスをしてくれない。

一応、私と長谷部はそういう仲だ。だけど特に、恋仲限定のそういうアクションは何もない。
相変わらず有能な仕事ぶりだし、執務室に二人だろうと何もないし、夜も速やかに部屋へ戻っていくし、二人で出かけるのなんて必要物資調達の買い物ぐらいだし。

もしかして女として見られていないのだろうか。今さらながら、彼の言う「好き」や「慕っている」というのは、異性に向けるそれではないのだろうか。そんな勘繰りを入れたくもなる。
恐ろしいほどに何もない。健全過ぎて怖すぎる。それでいいのか乙女の私。



「主、どうかしましたか?」



書類の広がる机で、向かいに座る長谷部が顔を上げた。



「あ、ううん。なんでも」



そうですか、と長谷部は再び作業に戻る。
仮にも恋人と二人きりの空間にいるのに、仕事とはなんて可愛げのない。仕方がないのだけど。

そっと、向かいの長谷部に視線を移す。書類に向かっているせいで顔は俯き気味だが、端正な顔がよくわかる。顔が整っていて仕事もできて、私が何かを頼むとなればすぐにでもやってくれる。こんな人に好かれたなんて、私は相当恵まれているのだと思う。私だって彼のことがとても好きだ。

お互いに想い合っている。それだけで満足すべきなのだろうか。それ以上を望んで、求めることはわがままなのだろうか。長谷部は別に、私といても何も思わないのだろうか。わりと深刻な悩みなのだが、長谷部がどう思っているのかわからないから解決しない。

立ち上がって長谷部のほうへ向かい、後ろにすとんと座る。一体どうしたのかと長谷部がこちらを見る前に、そのまま背中へと抱き付いた。



「っ!?」



長谷部の体ががちりと固くなったのがわかる。



「あ、主…!?」



たぶん、戸惑っているだけで嫌がってはいない。だが長谷部は何も動かずそのまま座り込んでいるだけだった。私が抱き付いても、あまり反応がないんだなぁ…。
それがなんだかひどく寂しくなった。こんなに近くにいるのに寂しくなるなんて、馬鹿げているとも思う。でも、せっかく長谷部の中で“主”とはまた違う特別に置いてもらえたのに。それまでと何も変わらないのなら、いっそ特別な仲などにならないほうが良かったとすら思えてしまう。



「長谷部、これから言うことは主命です。従ってください」
「…!…主命とあらば」



長谷部の背中に額を付けたまま、命令を下した。主命という大義名分に隠して、せいぜい主人ぶった口調をしてみる。
ずるいかもしれない。面倒な人だと思われるかもしれない。



「質問に、本音で答えてください。絶対に」
「はい」
「私がこうするのは、嫌ですか?」
「…いえ。嫌ではありません」
「…そう」



そっと目を閉じる。



「私のことは、好きですか?」
「っ、それは、もちろんです」
「…ん」



長谷部のお腹に回していた腕を緩める。



「最後。私と二人でいても、何も思いませんか?」



長谷部の体が少し震えた。長谷部は答えない。

その反応に自嘲した。長谷部は悪くない。私がわがままだっただけ。彼に必要以上の特別を求めすぎただけ。長谷部は私にそれを求めなかったというだけ。



「ごめん。質問終わり」



目を開けて、長谷部のお腹から腕を離す。
だが、離そうとした手が掴まれた。言わずもがな、掴んだのは手袋をした長谷部の手しかない。長谷部らしからぬ強い力だった。



「…長谷部?」
「主は、こうして俺が触れることが…嫌では、ありませんか?」



表情が見えないが、長谷部の声はとても硬い。質問の内容も意外だった。突然で驚いたが、どう答えるかは決まっている。



「…嫌じゃないよ。今の私が、嫌だなって感じると思う?」
「いえ…」
「何もないって、けっこう悲しく思ってたよ?」
「…申し訳ありません」



手が離され、長谷部がゆっくりと体の向きを変えた。至近距離での向かい合わせになる。
徐に長谷部が手袋を外すと、再び手を取られた。手を握ってくれたという事実に嬉しさを感じていると、私の手は引き寄せられて長谷部の唇へと触れた。

手の甲に押し当てられた感触に、一瞬思考が止まる。



「主?…あ、申し訳ありません!許可なくこのようなことを、」
「いや違う!大丈夫、びっくりしただけ!許可とかいらないよ!?」



私が嫌がったのと勘違いした長谷部を押しとどめる。
さっきは自分から抱き付いておいてあれだが、血液が湧き立ったのでないかと思うくらい体が熱くなっている。長谷部が、握った手の指を絡めた。素手で触れ合う手の温度はなんとも心地いい。



「失礼します、主」



ひとりで悦に浸っていると、長谷部の顔が近づいて思わず目を閉じた。小さな音と共に頬に触れる感覚。



「許可はいらないと、言ってくださったので」
「あ…はい、そうだね…」



緊張からぎこちなく返事をすると、長谷部は少しだけ顔を赤くしてはにかんだ。長谷部としても余裕たっぷり、というわけでもないらしい。

同じ土俵にいるのがわかったので、私も長谷部の頬に顔を寄せ、唇を押し付けた。たった今の私のように、長谷部はぎこちなく目を逸らす。



「お返しに」
「俺に、主導権は握らせてくれませんか?」
「長谷部が持ってるけど」
「そうでしょうか」
「私、そんなに余裕ないよ?」



余裕はないけど、少し高揚している。だから、指が交互になるよう繋がれた手を、自分のほうへ軽く引いた。
余裕はないけど、待っている。早くって。今まで待たされた分も相まって、余計にだ。

やはりまだ、主導権は主ですね。
長谷部は少し困ったように笑ったが、いざ近づく端正な顔にやはり戸惑う。目のやり場に困るというか、どうしたらいいかわからなくなり目を閉じるしかない。

そして降りてきた感触は、随分と待ち望んでいたものだった。女子だって、好きな人とだったらしたいと思うし、求めたくもなるのだ。
でもそれはすぐに離れていき、同時に私は目を開けた。…一回だけ?



「これは…、思いの外、良くありませんね…」
「え…」



俯いた長谷部の言葉にショックを受けそうになったが、言葉とは対照的に長谷部は手に力を込める。
空いている手を腰に回されて、ぐっと距離を縮められた。



「夢中になります」
「はせ、」



名前を最後まで呼ぶことは叶わなかった。なんだそういう意味かと安心しつつ、角度を変えるそれに委ねてまた目を閉じる。仕事はひとまず後回し。仕事人間の長谷部が夢中になるなら、都合がいい。

今までが何もなかった分、少しくらい貪欲になったっていいのだろう。
ようやく繋がれた手は放したくないし、私はもっとたくさん長谷部とキスをしたいのだ。


―――
#RTされた数だけキスをする刀さに小説書きます



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