すきと言ったら、きみにはまだ早いと優しく諭された。それは昔のこと。


「鶴丸が好きなの」


縁側に座っていた鶴丸は驚いたように笑った。


「俺じゃあ役者不足だな」


それはごまかしだとすぐにわかった。……ああ、なんだ。同時に理解もした。
昔は、私が子供だから無理だという意味かと思っていたけど、そうではなかったのか。
鶴丸は、昔から私のことなど好きではなかったのだ。だからいいように言葉でごまかして、私を遠ざけたのだ。今もそうだ。なんだ。いっそのこと、きみのことは嫌いだとはっきり言ってくれればもっと潔く引けるものを。
鶴丸の感情に今更気づいた私は相当に愚かだと思えた。馬鹿みたいだった。十年近く待ったというのに。
子供だから好きになってもらえないんだと思って、馬鹿みたいな勘違いをしていた。ただひたすらに成長を願って、せめて外見だけでも鶴丸に釣り合うようになろうと少しばか着飾ることを覚えて、大人になるのを待っていたというのに。
結局それはなんの意味もなかったのだと、今、ようやくわかった。


「……そう」


もはや何も言えなかった。
鶴丸に対して抱いてきた十年越しの気持ちは、もはやはっきりと釘を刺された。めげずに好きだと言う気すら起きない。むしろ、今度はどう勘違いをすればいいのだろう。


「きみも大人だ」


鶴丸はそれ以上を言わないが、その先に込められた意味は分かる。大人だからわかれ、と。察してくれと。
わかってるよ。私もそこまで馬鹿じゃない。大人の女性らしく察しよう。


「ごめんなさい。今の私、何も言ってないから」
「……ああ」


私も大人だ。失恋したって笑うことくらいできる。大人になるって、そういうことでしょう。
何も言えないし、どうしようもなかった。ごめんなさい、と鶴丸に背を向け歩きながら、二十歳の、大人になった記念にと開けたピアスを耳からひったくるように外した。
鶴丸に追いつくため大人になりたかった。大人になれた印に開けたピアスは、自分の愚かな想いの象徴でしかない。でもピアスを外した私は、もはや大人か子供か自分ではわからなかった。


「あーあ……」


大人になることを夢見ていた。大人になったら、好きになってもらえると思った。本当に、なんて馬鹿な勘違いをしていたのだろう。大人になったからと言って、鶴丸が好きになってくれるとは限らないというのに。どうして今まで、そんな簡単なことにも気づけなかったのだろう。
それくらい好きで、盲目的だったのだろうか。自分では気づけなかった。
泣いているのは悲しいからではない。無理やりピアスを外したから、痛いから。


「……きみ、耳から出血してるぜ」


後方からわずかに聞こえた鶴丸の言葉に耳を押さえる。きっと、首を伝って白の服に血が付いてしまったことだろう。洗濯が大変になる。
鶴丸を振り向いた私は、勝手に顔が笑っていた。


「いいの。お祝いだから」


赤と白、この血は紅白で祝っているのだ。
私が、ちゃんと大人になったことを。
体だけ成長した子供ではなく、ちゃんと大人になったことを。
ただどこぞの誰かのように、鶴らしいカラーリングであることが素敵な皮肉だと思った。



*****



完全に彼女が去ってから初めて、背後の気配に気づいた。少しだけ後ろを振り向き、また正面の庭に向き直る。


「立ち聞きとは趣味が悪いな、光坊」
「……ごめん、聞くつもりはなかったんだけど」


壁にもたれたままの燭台切の言葉を言い訳とは思わなかった。彼の言うとおり、たまたまこの瞬間に通りがかってしまっただけだろう。


「……僕が口を出すことじゃないと思うけど、いいのかい?」
「ああ、いいんだ」
「驚かなかったの?」
「驚きはしたさ。盛大にな」


驚かなかったなどあるものか。突然に愛の告白を受けて、何も思わなかったわけがない。
だが驚いたのは突然だったからではない。彼女が、幼い頃に言っていた「すき」という感情を成長してからも持っていたことにだ。とうに無くしたと、忘れただろうと思っていたのに。彼女はもう十年もその感情を持ち続けていた。


「鶴さんは、主のことを嫌いなのかい?」
「馬鹿言わないでくれ。そんなわけないだろう」
「じゃあ、」
「だめなんだ」


互いに背を向けたままで、顔を見合わせているわけではないからこそ言えるというのもある。


「だめなんだ」
「……具体的に、鶴さんにとって何がだめなんだい?」


表情を見られていないというのは、こうも楽に言葉を発せるものなのか。


「主のためにならないだろう」


人ではない俺が、主の時間を縛ってしまうのは。
主のこれ以上ない貴重な人生の時間を、俺なんかに費やしてしまうのは。


「人の子の命は短い」


だからこそ、人ではない自分に愛情など向けずにもっとほかのことに時間と情熱を向けるべきだと、鶴丸は昔からそう思っていた。


『あのね、私つるまるのことすき』


昔そう言われた時、きみにはまだ早いなと曖昧なことを言ってごまかした。
どうせ年齢が十の子供が言ったこと。すぐに忘れるだろう。すぐに他の者を好きになるだろう。そう思っていて十年、ここにきてまさかもう一度言われることになるとは思ってもいなかった。
彼女はどうやら、自らが大人になることを待ち続けていたらしかった。その間ずっと、鶴丸が好きだという感情を確かに成長させながら。それほどに真っ直ぐで純粋な感情を、鶴丸はついさっき、修復のしようもないほどにずたずたにしてしまったわけだ。
もちろん、鶴丸に彼女を受け入れる義務があったわけではない。だけども、だ。


「嘘を吐いてまで、そうしなくちゃいけなかったのかい?」


燭台切からの返答には、ぐうの音も出せなかった。


「たしかに人の人生は短いし、人はあっけなく死んだりもするけど……それなら、あえて主と生きてもよかったんじゃないかな」
「……そうだな」


人の命が短いとわかっているのなら、その短い時間にありったけ彼女と過ごせばいい。凝縮するように、全身全霊で彼女と生きていけばいい。その選択肢もあった。むしろ選ぶべきはそちらであって、そのほうが自分も彼女も幸福だっただろう。


「けどな光坊」
「うん」
「俺は、きみや自分が思う以上に弱いことに気付いたんだ」


燭台切が押し黙った。その反応に、鶴丸は小さく笑う。


「光坊の言うことは俺も考えた。だがなぁ、その選択をしたときの末路を、俺はきっと受け止められない」


主と生きていくこと。それを選んだ時の末路は、彼女が死んだとき。
寿命まで生きたとして、先に死んでしまうのは彼女だろう。刀剣たちは残される。もちろん鶴丸も例外ではない。
彼女が死んだとき、その死を、その事実と悲しみを受け止めるだけの強さが、自分にはないのだ。泣き叫ぶどころでは済まないだろう。どうしようもなく失意のどん底に落ちるだろう。
彼女を失った悲しみは、きっと計り知れない。それまでに彼女と幸福に生きていたとしたらなおさらだ。それが怖かった。だからそうなるくらいなら、最初から彼女と共に生きなければいい。幸福など味わわなければいい。それが先ほど行き着いた結論だった。


「俺は弱いんだ、光坊」


燭台切は少し黙っていたが、鶴丸も黙っていた。むしろこんな心情を吐露してしまったことに申し訳なくすら思った。


「……さっきも言ったけど、僕が口を出していいことじゃないと思ってる。鶴さんが後悔しないなら、それでいいと思う」
「おかしなことを言うなぁきみは。後悔はとっくにしてるぜ?」
「え……、そ、それなら今からでも、」
「違う。さっきのことにじゃない」


鶴丸は座っていた縁側から立ち上がる。壁の後ろにいる燭台切の背が見えた。先ほど主人が去った方とは反対に廊下を進み始める。


「あの子の時間を、十年も無駄にさせてしまったことに対してだ」


十年も彼女の心を縛り付けてしまっていた。大人になったところで、決して応えることなどできない気持ちを持たせ続けてしまった。もっと早くに芽を摘んでやるべきだった。そうすればきっと彼女は、今あんなに悲しい思いをすることもなかったのに。まさか、子供の頃のあれからずっと自分を好きでいてくれていたなんて、思いもしなかったから。
十年間、日に日に美しくなり、大人らしく着飾ろうとする様子はきっと他の誰かのためだろうと思っていた。少し背伸びのように見えることもあったが、大人に成長しようという彼女の努力が、まさか鶴丸のためのものだったとは鶴丸自身が思っていなかったから。どれだけ謝罪しても足りないほど、申し訳ないことをしたと思った。

きみを縛り付けてしまった。きみにはもっと自由に生きる権利があったのに、それを無駄にさせてしまった。


「もう、自由になってくれ」


涙どころか、血を流すほどに悲しんでいるだろう彼女に手を差し伸べることはできない。今後の彼女を願うことしかできない。

きみを傷つけた俺のことなど放って、どうか自由を得てくれ。
愛しているきみを愛せない俺を、許してくれとは言わないから。





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