+△0820:Sun 終わりを信じるわたしたち
〇終わりを信じるわたしたち(2017/08/20 18:50)

 幼い頃より「目に映らないもの」を見るのが得意だった。たとえばホグワーツにはそこらじゅうに自由気ままなゴーストが存在するが、街の中ではその姿を見ることは稀である。城の外では魔法使いの目にも映らぬゴーストのほうが圧倒的に数が多い。けれどもわたしのふたつめには、そんなものが実によく映った。だれかが故意に隠そうとしているものは、特に。

「………」

 購入する際なんの手違いかひと回りふた回りおおきなサイズになってしまったローブの裾を地面に擦らぬよう歩くのにも慣れてきた。重たい教科書を腕の上に積み重ね歩いていたわたしは、ふとすれ違った一年生を振り返った。
 女の子である。肩を越す程度の長さの赤毛を垂らし、長ったらしいローブの裏地は赤色。めだつ綺麗な赤毛は、この学校で知らぬものはいないとある双子のものとおんなじだった。

「……ねえ、あなた、」

 思わず、声をかけた。人の少ない廊下で、彼女は振り返る。寝不足なのか、顔が青白い。抱え込んだ教科書はお古らしく、真新しくはない。

「……なんですか、」

 わたしの目は彼女の背後に向けられていた。彼女の肩の後ろあたりに、なにかの影が見えた。背後の景色が身に透けている。ゴーストの類らしいが、その顔は見えない。わたしに背を向けているのだ。わたしは目を細めた。黒いローブ、黒い頭、そこそこ身長のある身体。

(……ホグワーツ生?)

 モノクロであまり判別できないが、そのようにみえた。自分の肩の後ろあたりを凝視し黙ったままの上級生をどうみたのか、彼女は眉をひそめ怪訝そうにわたしを見上げる。

「あの、どうかしましたか」
「……ああ、ごめんなさい。なんでもないわ。人違いだったみたい」

 わたしはゆっくり眉を下げてすまなそうな表情をつくり、彼女に手を振って歩き出した。グリフィンドールのおちびさんにどうしてあんなゴーストのようなものが憑いているのだろうか。考えるも、よくわからない。しばらく思考をくりかえしたのち、面倒くさくなり匙を投げた。背後でふしぎそうに首を傾げる彼女の背後にうかぶ姿が、こちらを見たのに気づかずに。
+△0606:Tue もうすべてあとのまつり
はじめてその目を見た日のことをよく覚えていた。

 わたしの意識はそのとき確実に断絶されていた。現世から切り離され、ちっぽけな肉体をすり抜けただ孤独に存在して消えかけたその精神を、けれど彼は掬い上げたのだといった。透ける手足を持て余し、感謝の意を述べることすら満足に思い出せないわたしの前で、彼はそれを説明した。ぎらぎらひかる色違いのまなこを瞬かせて、うすい笑みを張り付けたその唇でもって。
 彼がわたしをうまく利用したがっていることにはきづいていた。元来、わたしはそういうことに敏感なほうであると自負していた。彼が善良ないいひとではないことくらいとっくの昔にきづいていたし、彼がただの中学生なぞではないことくらい、わたしは彼に出会ってから二日くらいで理解していたのであった。そしてあたりまえのように、彼もまたわたしがそれに気づいていることを知っていた。だからわたしがいるときでも遠慮なくどこぞのしょうねんを連れてきて軟禁したし、見るからに堅気のにんげんではないひとたちを呼び込んでは悪だくみとおもわれるものの作戦会議をしていた。
 あのボブヘアのかわいいおんなのこはどうしてだかやたらとわたしを目の敵にして、邪険に扱いたがった。けれどわたしはもうすでにはんぶんほどしにかけている身であり、そもそも身など存在しない幽霊もどきであったから、彼女のとがったまなざしもながい爪先でさえするりとすりぬけてしまった。あのこはそれに歯噛みしまなじりをつり上げていたけど、わたしはすこしだけむなしかった。
+△0314:Tue 革命前夜のうそのこと
足をすべらせた。ぞっとする。背筋に這い上がる予感。相手の握りしめる刃物がぎらりと光る。あっ、という一音のみしか脳裏にうかばない。しぬのか、ここで。ふしぎと恐怖はなかった。ただ虚無だけがそこにはあった。現実だけを凝視して、自分の口から声は漏れでない。ザシュ、と肉袋に刃物が突き刺さる音がした。痛みはない。刺さったのは自分にではない。おそるおそる、軋む首を感じながら相手を見上げる。その腹に、透明で透き通ったガラスのようななにかが突き刺さっている。男の動きは止まっていた。そして数秒ののち、また数本がうしろから男のからだをゆらす。ドスドスドスッ、まとめて突き刺さる。そんな駄目押しの連撃に、とうとう男の影が倒れる。黙っていることしか出来なかった。倒れたその背後に立っていた、能面のような無表情の彼女をみたからだ。血にまみれた姿。なにかをあきらめたような、それでもうけいれたような、けれどなにもうかばぬましろい顔。彼女はゆっくりとこちらにあるいてきて、からっぽの顔でしばらくこちらをみていた。エメラルドのごとき目が、しかしうすぐらい光をたもちながらゆらゆらとゆれていた。海のようだ、とおもった。太陽の光を海の水面がちらちらと反射するような、破片だらけの照りだけがそこにはあった。しばしたって、彼女は黙りこくりことばをはっせないでいるこちらの肩にそっとふれた。とたん、全身を汚していた血液が彼女の指先にあつまり、おおきな球をつくりあげ、地面にぱしゃりとおちた。彼女の指先は液体をあやつることができる。それをはじめてきいたのは、いつだっただろう。彼女の唇がうすらと開かれて、「かえろう」と、おぼつかなく単語をつむいだ。その声はかすれていた。さかなのようだ、とおもった。息の仕方をしらぬさかな。喋り方さえまともにしらないような、たどたどしい口調だった。あとから考えれば、きっと彼女はまよっていたのだろう。おれに言葉をかけるべきか否か。そしてとまどっていたのだろう。自分から他者に声をかけるというその状況に。ナデシコ=ハクリシカはこれまでたったひとりで、肌を覆い隠す豪奢な衣装とおおげさな包帯のなかでちいさく呼吸をしていたのだから。
+△0220:Mon ネオンライト聖戦
「こんにちは」
「…ああ、嬢ちゃんか 相変わらず気配消すのがうまいな」
「意識したことありませんけど それにあなたたちにはそんなもの無意味でしょう、ランサーさん」
「ははは そうかもな」
「どうですか、調子は 釣れてますか?」
「まあぼちぼちってとこだな いつもどおりだ」
「そうですか ところで煙草、消していただけると助かります」
「ん?ああ、悪い」
「ありがとうございます お節介でしょうけれど、煙草は健康に悪いですよ」
「サーヴァントに健康とはな 面白い冗談いうじゃねえか」
「肺も汚れないのですね」
「確認したことはないけどな」
「あったら驚きですよ」
「まあおれらは死人だからな 煙草ごときじゃもっぺん死ぬには足りねえよ」
「というか大英雄が煙草で死んだらお笑い種ですよ」

わたしのことばに同意し明るくけらけらとわらったその顔は確かにひどく整っていたしこの国のにんげんのものではなく、さらにいえばこの時代にいきるにんげんのそれではなかったけれど、それでも派手なイエローのアロハシャツを着たいまの彼はお世辞にもケルトの大英雄とは思いがたいもので、わたしはとなりで体育座りをしながら物思いにふけった。アスファルトにこすりつけて火を消した煙草の吸殻は彼のポケットに無造作にねじこまれ、横に置いてあった青いバケツにはられた水のなかでは数匹のさかながするすると泳いでいた。
+△0220:Mon 不道徳なをとめたち
たべられる、とおもった。めのまえでその飴玉みたいな朱いまなこをきらめかせ、おれの顔をのぞきこんでいる彼女に。さぞかし指通りがいいのであろう蜂蜜色の髪の先がこちらの頬をくすぐって、重力にまかせて垂れ落ちていく。彼女の手によりあっけなく押し倒されたおれは間抜けにも尻餅をついたような格好でいる。その脚のあいだに滑り込むようにしてはいった彼女は、ただ笑みを浮かべておれをみていた。その手足はおれの身体をおさえつけるようにおかれていて、血のめぐっているその肌はじんわりとあたたかさを有している。
「…ま、りきり、」
「速水ちゃんはおいしそうだねえ」
そう言って、彼女はすっと笑みを深くする。唇が弧を描き、いつもの無邪気な笑顔とは一転、ともすれば艶やかともいえる、妖しい笑顔だった。するり、とその指先がおれの首すじを撫でた。ぞわ、と背中が粟立つ。
「たべちゃいたいくらい」
ずり落ちためがね越しに彼女の唇をとらえる。うすい紅色のそれがひらいて、ちろりとのぞいた真っ赤な舌がずるりとうごめいた。舌舐めずりした彼女はそっとおれに顔をよせ、その空気に呑まれていたおれの目玉を舐めた。ざらついた生暖かい舌が眼球の表面を撫ぜて、びくりと己の肩が震える。生理的な不快感とともに、かあっと顔面に血が上るのを感じた。自然とこぼれ落ちた生理的な涙を舐めとって、彼女はくすくすわらう。その細められた目もとに背筋がぞくぞくと電流が走ったように痙攣して、ごくりと唾を飲み込んだ。
「たべちゃっても、いいよね」
おれに馬乗りになった彼女がわらう。その第二ボタンまであけられた夏物のブラウスの襟口がやたらと目についた。脳裏が真っ赤に塗りつぶされていくのを感じながら、おれはただ、何も考えずに彼女をみていた。

(ingの速水くん)
+△0204:Sat ほんとうは何も愛せないわたし
血が舞っている。きらきら、きらきら。
かつてのいまわしい記憶とともに蘇る赤黒く汚れた他人の血はわたしをああもたやすく脆くするのに、どうしてこの血はひどくうつくしく世界をいろどるようにみえるのだろう。押しのけたヴァイオレットが目を見開くのがみえる。その背後でしゃがみこんだ姫の顔も。ジョーカーの一撃目をうけとめたわたしのあのつくりものの左手は甲高い音を立てて砕けながらわたしの肉のいちぶとともに彼方に吹っ飛んで、二撃目はわたしの肩と胸を抉って血と肉を散らした。
「…ッな、」
「ど、うして、あなたが」
ジョーカーの顔がほんの一瞬驚愕に染まる。ヴァイオレットの声とともにほんのわずかな痛覚は引き伸ばされるように鈍いものとなってゆく。わたしは後方宙返りの要領で地面に手をつきジョーカーの顔面を蹴り飛ばす。意趣返しのわけではないけれど、彼の悪趣味なサングラスのふちが割れて落ちていくさまを見届けつつ、手のひらに液体をためて刃の破片と変え撃ちはなった。驚愕の残滓をはりつけたその顔はしかしすぐさま苦々しいものへと変わっている。撃ちこまれた破片を片っ端から鋼鉄の糸でもって切断して、撃ち漏らした破片で頬から血を流したジョーカーはわたしを見下ろした。背中のうしろでヴァイオレットがぺたんと尻餅をついた気配。わたしは彼女に同情していた。安っぽい感情を抱いていた。わたしと彼女の境遇が似ていたというただそれだけの事実にもとづいて。
「…ナデシコ」
「救済できるなんておもってない 私は私のしたいようにしたいとおもったの にんげんらしくありたいとおもった それだけ」
わたしはもう人形ではない。その意図を込めて、わたしは身を低くして身構えた。わたしがのりこえねばならぬ壁がそこにはあった。打ち砕き、埋めなくてはならぬ過去があったのだ。
+△0124:Tue 誰に救済されているのか
上司はどうやらいめちぇんなるものを果たしたらしい。厭になるくらいきっちり閉めていたシャツのボタンをうえからみっつあけて、靴の踵には踏みあとをつけ、とどめとばかりにトレードマークと化しつつあった帽子を脱ぎ髪の毛を逆立てた上司はもはやわたしの知る上司ではなかった。
「ユウキ=テルミ?」
「本名 今日からそう呼べ」
「はあ」
とっくの昔に捨てた教科書のなかにしるされていたようななまえだった。考えてみればハザマだのというなまえはコードネームだったか。諜報部に入りはや数年、自分の名がコードネームだと公言する上司をわたしはこのひと以外みたことがなかった。
「つよそうなお名前ですね」
「テメェよくずれてるって言われんだろ」
「そんなことありませんよ」
常に語尾に垂れ流すようにして引っ掛けていた敬語はいったいどこにきえてしまったんだろう。金色の目がゆるりと歪むのを見上げながら、わたしはぼんやりと霞むような思考をめぐらせる。そもそもわたしはこの上司についてほとんどなにもしらないのだ。その指がきれいに卵の殻を剥く姿、懐からながれるように取り出したバタフライナイフをくるくると弄ぶ姿、その程度のことしかしらない。もしかしたら彼はもともとこういうひとなのかもしれない。ふだんは仕事中だからとかなんとかで、オンオフきっちりキャラまで変えて、わたしのまえに立っていたのかもしれない。
「オイオイアサギちゃん、んだよその目 なんか言いたいことあんじゃねえの」
「いえ いうと怒られそうなんでいわないです」
「ハア? 言ってみろよ怒んねえから」
「本当ですか?」
「マジマジ」
「うーんじゃあいいます」
ハザマさんはそんなふうに喋らない。そんなふうに襟を立てない。そんなふうにわらわない。そんなふうに歩かないし、そんなふうにわたしをみない。
そんな内容のことを淡々と告げると、ハザマさんだったころもあるユウキ=テルミという上司はにやにやわらった。あんまりすきではないタイプの笑顔だったけれど、その顔は何度見てもやっぱりハザマさんのもので、わたしはじぶんの内臓がぐらぐらゆれているのを感じた。



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