B目を閉じてステラ | 19:36
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「最近どうしてわたしがここにいるのかわからなくなるんです」

言うと、女神は怪訝そうな顔をした。それは彼がよく浮かべる顔だった。

「理由なんてもとからしらないんですけどね」

水辺に腰掛け足を差し入れるとつめたかった。あたりまえのこと。水面に立つ彼はだまってこっちをみている。頭にかぶったオリーブの冠、真っ白い装束。彼は女神だった。わたしが信仰すべき対象だった。

「…それなのにみんな、…その理由を隠してるくせに、それなのにわたしに示そうとするのはどうしてなんですか」

それは悪魔だったり、神父だったり、死神だったり、天使だったり、妖精だったり、する。その誰しもが問に答えず、けれどなにかを指し示す。ひとりで勝手に知られるならば問題は無いとでもいいたげに。わたしはそれにいらだちをつのらせている。知って欲しいのか、知らないで欲しいのか。だからわたしはこうして口を閉ざしてなにも問えずにいる。もどかしいけれど、それ以上にいらだたしい。

「あなたもそうですか、かみさま」

「…私は、あなたに」

そこで言葉を区切り、彼はゆるりと首を振った。その指先はかんたんに自然をあやつるし、その足元は水面にはんぶん浸かったまま停止している。彼はにんげんではないのだ。

「…僕は、おまえに生きていて欲しかったんだ」

けれどそのことばはどこまでもにんげんらしかった。かみさまであるはずの彼はしかし、わたしのまえでかさついた声音で語る。なぜか聞きなれた、耳に沁みるような声音で。

「おまえが生きていてくれる以上のことを望んだことなんてないよ」
「……どうして?」

だって所詮わたしたちはひとりずつのにんげんでしかないでしょう。それ以上でもそれ以下でもない。神父様はわたしたちが家族だという、けれどその記憶はすべて跡形もなく塗りつぶされていて、そんな状態でもわたしたちは家族なのだろうか。それに、かみさまはかみさまでしかない。わたしみたいなたったひとりのにんげんを気にかける理由なんてない。きっとわたしでなくたっていいはずだ。なのに。

「…死んだらぜんぶ終わりだろ」
「…かみさまはいきてるんですか?」
「さあ、どうだか」

その胸にいのちは仕舞われているのだろうか。気になったがわたしの手じゃ神にはとどかない。女神は寂しそうにわらった。チョロ松はそれでもわたしをみていた。なにかを透かせて、わたしをみていた。その手で世界だってあやつれる、それなのにわたしの心はどうにもできないのだろうか。わたしはそれでもいいのに。あなたたちがのぞむなら、わたしなんてどうでもいいのに。

「勝手な奴でごめん」
「…かみさまなんだから、あやまらないでください」

教会の裏の湖はやはり冷えていた。女神はわたしにきれいな睡蓮をよこした。桃色の花は露にぬれてきらきらと光っている。じんわりと水が染みていく修道服の裾をぼんやりとみつめて、わたしは息をひとつ、吐いた。


銅貨