夜の剥製 | 17:21
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ひとがしぬのをみていた。よくしっているひと。仲がよかったともいえるひと。ともに笑いあって、肩をたたきあった日だってあったひと。

巨人と化したアルミンがベルトルトを食らっていた。わたしの胴体よりも太い指が彼のからだを掴んでいる。彼の絶叫が鼓膜の奥で反響してきえない。彼が叫ぶなかにわたしの名はなかった。わたしは彼の敵だった。どちらが悪かなんてこの際なにも関係がない。彼が食われているのをただだまってみつめているだけのわたしが善人じゃないことくらいは、わかった。
わたしは目がすごく良いことくらいしか自慢できるところがないおんなだった。けれどそれを買われたのか、いまもこんなところにいる。ともあれ、訓練兵時代もそれはおなじだった。わたしの目はたしかに物事をよく見極めるしずっと遠くのものだって鮮明にくっきり見通すことができたけれど、だからといってミカサみたいにじぶんのからだをすべて思い通りに動かせるわけじゃない。だから最終成績も彼らより下だった。ずっと下だったわけではないことだけが救いだったんだろうか。
わたしはなぜかアニとほんのすこしだけ仲が良くて、夕食のテーブルで何も言わずに向かい合って座っても眉をひそめられない程度には互いを知っていた。わたしはアニがうまく授業をさぼるためにとる行為のすべてとか、彼女が意外と身だしなみに気を使うほうであることとか、朝が弱いこととかを知っていて、アニはわたしが他人との関係をがんばって築くことをなにより面倒くさがる性格であるとか、すぐ眠くなる体質であることとか、暇になるとジャンの刈り上げたところをぼーっと見つめはじめることとか(なんで知られていたかはよくしらない)、そんなことを知っていた。淡々としたアニのしゃべり方はわたしにはとても楽なものだったし、わたしみたいに馬鹿なおんなの隣は余計なしがらみなぞ存在しなくてアニにも都合がよかったのかもしれない。

でも、それでも、わたしはあの日から彼女のとなりにたつことをやめた。否、もうたつ機会なんて存在していなかった。すぐわたしたちは訓練兵からほんものの兵士になって、優秀な成績で憲兵になった彼女とは反対に、わたしはじぶんの目の前でしんだ数多くの誰かのために、調査兵になったのだから。

そのなかに、確かにあのそばかすの彼もふくまれていたのだ。

眼球の表面に、なにかガラスのような膜がかかる錯覚。瞼をこすってもそれはどうにもならない。経験則というやつだ。わたしはその日みてしまった。ずっとずっと遠く離れた屋根の上、めのまえで食われる仲間を微動だにしないでただみていた彼らの姿を。だれもわたしがそれをみていることにきづいていなかった。そのときわたしの視力がだれよりもなによりも優れていることをしっていたのは、遠くが見えすぎてちかくを見ないわたしにきづいて腹を立てたジャンだけだった。ジャンはそこにはいなかった。刃をにぎりしめて、彼らの立つ屋根からすごくはなれた屋根の上にひとりだけでたっていたわたしがそれを見てしまったのは、必然だったのだろうか。
わたしはサシャみたいに耳はよくないし、当時はまだ唇を読むなんていう技術は身につけていなかったので、彼らが何を言っているのかはわからなかった。でも、その光景がありえないものであることはわかった。彼らは、めのまえで友が食べられるさまを呆然と眺めているようなたまではないと知っていた。筈だった。だから。だからわたしは、真実にきづくことを寸前でやめた。その瞬間だけ、わたしは人類すべての栄光よりも個人としての願望を優先した。真実をどこか遠くにおしこめて、わたしはその光景から目をそらした。誰にもその光景のことは話さなかった。マルコの死にいちばん心を痛めていたジャンにさえ。だから、わたしは、

あの日のアニとおんなじ台詞を吐いた。ぐちゃぐちゃと肉が咀嚼される音が聞こえる。わたしはなんでも見えるこの目を閉じて、俯いてそのことばをもういちど繰り返す。伝染病を防ぐために口もとを布で覆って、たくさんの死体を運んだあの日、彼女がマルコの死体の前でつぶやいた台詞が耳の奥によみがえる。あのときの彼女の気分が、なんとなくわかった気がした。心臓らへんになにかのかたまりがつかえてとれない。呼吸すらままならないような、不快さ。
わかってしまう。これが、ひとを殺す感覚なんだ。直接手をくださずとも、この未来を選びとったのはわたしたちだった。わたしたちが、彼を殺している。彼らも、はたしてこんな気分だったのか。こんな気持ちを抱えながら、わたしたちのまえで笑顔を見せていたのか。
この世界は残酷で、わたしひとりが泣いたところでその事実はかわらない。わかっていたけど、それでも眼窩から溢れていく塩辛い液体を止めることは出来なかった。どうしてこんな世界なんだろう。わたしたちは殺しあうしかなくて、いつだってなにかを棄てなくては生きられない。ああ、ほんとうに。

「ごめんなさい」

友人だったはずのひとを殺したくせに、なんでわたしは生きているんだろう。

銅貨