宇宙だって世知辛い | 14:21
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「たいせつなひとができたみたいね、よかったじゃない」

わたしが注いだ紅茶から立ちのぼる湯気を目で追ってから、彼女は「…ふん」と鼻を鳴らした。灰色狼と呼ばれる彼女はほんとうにちいさい。透き通る肌はビスクドールのもののよう、本のページをめくる指先までつくりものめいている。長いまつ毛に縁取られたエメラルドの双眸には深い知恵の泉が沈んでおり、床にまで広がるブロンドヘアは絹のようだ。彼女とわたしは長い付き合いである。彼女がここに閉じ込められてから、もう何年経ったのだろうか。彼女が次々とさくらんぼ色の唇にほうりこんでいく色とりどりのチョコレートやキャンディ、マカロンなんかを買いためるのはわたしの仕事だ。彼女は床に広げた本のなかに刻まれた文字をじっとみつめている。その両のてのひらは今は握り締められていてみえないものの、ひどくあかく腫れていた。氷をもってこようかと提案したのだが、断られてしまった。あのドールハウスのような家にふたたび帰ってからでいいという。彼女のかんがえていることはわからない。否、予想はできる。けれど、この明晰で神秘的な彼女を前にすると、正解はけして彼女にしかわからないものであり、わたしなんかには想像もつかない難解なものであるようなきがするのだ。
ことり、とひそやかな音を立てて紅茶の満ちたティーカップを書物の横にあるミニテーブルに置く。「気をつけてね」返事をされないのにはもう慣れっこだ。ちらりと目をやってくれるのでまだましといったところか。

「…きみはへんなやつだな」

嗄れた声で狼は囁く。きょとんとしてその目をみつめかえせば、冷えたまなざしとかちあう。けれどよくよくのぞきこめば、そこに見え隠れする好奇心をみつけられることだろう。

「それはわたしのこと?」
「当たり前だろう。…きみにはわかるのか、この胸に巣食うなにかのことが。わかるなら私に教えてくれ、この感情はいったいなんなのだ…?」

灰色狼は迷っているようだった。すべてを知る彼女が、しかし知らないことに戸惑い道をみつけられていないようだった。わたしは自分のぶんの紅茶に口をつけ、淡いピンクのマカロンを齧り、しばらく考え、

「あなたの迷いにわたしは口出しできないわ」
「…なぜだ、きみにもわからないのか、レイチェル」
「わたしはあなたみたいな名探偵じゃあないからよ。わたしがあなたにあげられるのはこの図書館での静謐だけれどあたたかなティータイムくらいだもの」

わたしは無力なのだ。わたしに物語を紡ぎあげるちからなぞはない。わたしにできるのは、こうして灰色狼のとなりで紅茶を注ぎ、菓子を盛るのみである。

「けれどあなたのことはずうっと応援しているわ、ヴィクトリカ。だってわたしはあなたのおともだちだもの」
「…ともだち?わたしと、きみがか?」
「ちがう?」

ヴィクトリカ・ド・ブロワはその瞳に迷いを滲ませて、黙り込む。わたしはそんな彼女を微笑ましく思う。彼女はあの黒い死神に出会って、変わっていくのだろう。それはわたしにはできなかったことだ。いつか来るであろう大波のまえでさえ立ち上がることができないはずのわたしにはできないこと。

「いまはまだ、それでいいんだよ」

あなたはこれからずっともっと迷えばいい。自らのなかにある欲を自覚し、あたたかなてのひらを知り、喉につかえることばたちに辟易すればいい。そうすれば、あなたは孤独な狼ではなくなる。それがしあわせなのかどうかはあなた次第だ。


(同級生としてあてがわれたおんなのこ。自分は世界にかかわれないことをよく知っている。ヴィクトリカのおやつ係。ブロワ公爵と面識がある。サボり癖あり)

おめでとう 赤も青も桃もよんでいないけれど おめでとう

銅貨