@愚か者にも星は降る | 19:32
---------------------
鞄は重い。とっぷりと空は濃いオレンジに浸かり、視界の端っこには地面から空から染み出してきている異形のあれこれがちらりとのぞいている。その色はどれも淡く薄く明るくて、闇色に染まる「あく」はいないようで、わたしは目をそらした。買い物の帰りだった。バスケットのなかには瑞々しい野菜と果物と肉。わたしにおつかいを命じた神父様はいまごろ夕食の支度で忙しいのだろう。おなかがすいた。わたしは足を早める。

「おつかい?えらいじゃん」

頭上で声。耳慣れたその声に、わたしはぴたりと足を止めた。そして見上げる。そこには悪魔がいた。浮かんでいた。弓のように細められた両目と唇。何の冗談か服装はありがちなスーツ、けれどその背と尻から生えているのは紛れもなく漆黒の角と尻尾。口をひらけば尖った八重歯もみえることだろう。

「…おひさしぶりです」

わたしが会釈し歩くのを再開すると、ふよふよと浮かんだまま、悪魔はついてくる。笑顔のままで。

「最近ちょっといそがしくてなー。ほんとからだひとつじゃ足んねえってかんじ?だから愛しのマツリチャンに会いに来る時間もなくてさ。なあなあ、さびしかった?」
「べつに」
「ちぇ、つれねえの」

この悪魔は登場に前触れがない。あらわれてからも当たり前のようにわたしのうしろについてくる。道行く彼らにはきっとみえていないのだろう。わたしのこの目はいろんなものをうつしすぎている。つかれる。

「あの脳筋神父元気?」
「…元気ですよ。今日のおかずは唐揚げだと張り切っていました」
「ふうん?あいつ今も唐揚げすきなの」
「…」

今も。その単語はきこえないふりをした。あの神父様も天使も妖精も目の前の悪魔も、そして今もきっと影のしたで寝息を立てているであろう彼も。わたしのまわりにヒントのかけらをちりばめるのがほんとうにすきなのか。わたしは考えない。なにも、考えない。

「やっぱ反応してくれねえんだな、おまえ。マツリチャンが賢くておれはうれしいよ」
「…」
「まあおれってば最強の悪魔だし?そう警戒すんのもわかっちゃうけどさ」

にやり、とわらうその顔は、いまにでも舌なめずりをしそうなほど肉食獣の香りをさせている。教会の姿がみえてくる。ふいに悪魔はわたしのまえに浮かんだ。足が止まり、反射的に長ったらしいスカートの下に手が伸びる。彼はそんなわたしを心底うれしそうな顔で見やり、おもむろにわたしの頬をなでた。あたたかな手だった。にんげんとおんなじ血潮が通っているのではないかと疑うくらいに。

「おまえには罪の色が似合うよ」
「……」
「あいつに言わせりゃ無知は罪だ。でもおまえは知らなくていいよ、纏。無知で馬鹿なふりして、そうやってせいぜいうまく生きてみな」

悪魔の指先がわたしの輪郭をなぞり、そして唇に触れて、ゆるやかに親指で下唇をくすぐる。わたしは反応しない。抵抗もしない。スカートから手を離し、ただされるがまま、じっと彼の赤い目を見つめる。たのしそうにわらった彼ーーおそ松という名の彼はわたしの肌から手を離して、オレンジと黒の空を背後に、言うのだ。

「おまえはやっぱりおれの可愛い■だよ」


銅貨